サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。


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「本当はすごい」っという書き方について

ある広告で「本当はスゴイ〇〇」みたいな謳い文句のビラを見かけました。

 

本当はすごい、

 

ん?

 

なんか、ちょっとした違和感がありました。

 

本当はすごいって事はすごくないって思われている事なんだよね?

 

それって逆説的にこの〇〇を貶めていないだろうか?

 

そんな事がふと頭によぎったからでした。

 

本当はすごい〇〇って言うと、一般的にはすごいって思われていないどころか、どちらかというと下に見られているものが対象ではないでしょうか?

 

本当はすごいダンゴムシ

 

本当はすごい雑草!

 

本当はすごいスライム!!

 

みたいな。

 

いや、ダンゴムシも雑草もスライムも別の側面からしたら人間なんかよりもよっぽど素晴らしいと思いますが、なんとなく例えで出したんですが、まあ、不快にさせてしまったらゴメンナサイです。

 

要は、

 

本当はすごい金持ち!!

 

とか、

 

本当はすごい弁護士!!

 

みたいには絶対使わないですし、同様に

 

本当はすごい机!

 

とか

 

本当はすごい晩ごはん!!

 

とかも多分、使わないと思うんですよ。

 

金持ちとか弁護士の方はどちらかというと一般的にすごいと思われている部類の言葉なので、本当はって言われなくてもすごいってわかっているよね的な。

 

そして、机や晩ごはんは良くも悪くもない、いわばニュートラルな部類の言葉なので、別に格下でもなければ格上でもない、そんな言葉には本当にすごいって言葉もなんだが不釣り合いな気がします。

 

そう考えると、本当はすごい〇〇の〇〇に当てはまる言葉というのはやはり一般的な認識で格下的に捉えられている言葉が当てはまるのが自然であり、その言葉をあてがった人自身の認識も〇〇に対して格下感を持っているのだと思われます。

 

多分、その広告では〇〇を強調したかったのだと思うが、それであれば、

 

本当にすごい〇〇

 

って書いた方が〇〇を売り込む文句としては相当なのではないかと思うんです。

 

また、こっちの方が〇〇に対するリスペクト感って出てないですか?

 

逆に本当はすごい〇〇だと、その〇〇に対しての見下し感が否めなくて、多分、僕はその言葉を見た時に、これを書いた人、考えた人の〇〇に対する見下し感みたいなものを感じ取ったから、ふとした違和感を受けたのだと思います。

 

本当に、

 

本当は、

 

たった一つの副詞、1文字の違いでこんなにも伝わり方が変わるのってなんだか面白いなぁと思いつつも、僕自身が誰かに何かを伝える時に、こういった一言、一語の選択ミスで他人に不愉快な思いをさせてしまったりしないようにしないとなぁってとても気が付かせてもらいました。

 

一文字違うだけで変わってくる人の想い。

 

作詞家さんや小説家など文章を扱う職業の人が一文字一文字、一言一句をとても大事にするのがなんだかしみじみ分かったような気がします。

 

それでね、なんで広告でこういうミスってあるんだろうって考えてみたんですけど、おそらくなんですが、会話の中ではきっとこれを作った人もこういう一字違いによる失言的なミスってしないと思うんです。

 

なんでかって言うと、会話していると会話している相手の声のトーンだったり、顔の表情をリアルタイムで観測しているじゃないですか。

 

だから、言葉を綴っている段階で相手の表情などを通して自分が今相手にどんな印象を与えているのか常にフィードバックしながら言葉を選んでいっていると思うんです。

 

なので、会話をしながら、選ぶ言葉も無意識に精査されていって、多分、会話をしている人にとっての失言的な言葉、失礼な言葉、傷付ける言葉などを回避しながら言葉が選び出されていると思います。

 

ですが、広告の言葉や、ブログなどの文章もそうですが、目の前に誰もいない文章ってきっとそういうフィードバックって無いじゃないですか。

 

まあ、なんで、僕もこういうの書いていて、後で見返してみると、あー、この書き方なんだかなぁって思う時もあります。

 

ですが、リアルタイムのフィードバックじゃないので、言葉に間違えたなって気がつくのがだいぶタイムラグがあるんですよね。

 

メールやラインなんかもそうじゃないでしょうか?

 

相手の表情、声のトーンなどが見えないコミュニケーションツールだからこそ、その対応が相手にとってポジティブなのかネガティブなのかが分かりづらい場合があります。

 

反面、テキスト以外の情報を相手に与えないので、シャットアウトしたりディバイド(分離)したい場合には逆にこういうメールやラインなどのテキストコミュニケーションは役に立ちますね。

 

テキストツールはだからこそ、相手にちゃんと伝えようと考えたらよく考えて言葉を慎重に選んで、精査に精査を重ねて送る必要があります。

 

かなり面倒なんですね。

 

この面倒な作業が億劫な人ほど、電話や会って話したがる傾向にあると思います。

 

そして、面倒な作業が億劫な人ほど自分では言葉を選ばないので誤解され、もしかしたら周りの人から煙たがられたりするかも知れません。

 

言葉を選んで伝えること。

 

僕は割と好きかもわかりませんが、みなさんはどうでしょうか?

 

今日はそんなところです。

 

最後までご愛読いただきましてありがとうございました!!