今日はポジショントークについて語って行きたいと思います。
そもそも、ポジショントークって何よって所から、どんな風にそれを使っているのかとか、いつそれを身につけているのかなどについて細かく追ってみたいと思います。
人はいつポジショントークをしているのか?
「あいつはポジショントークしているよ」とか、「あの記事はポジショントークだな」などポジショントークという言葉が最近出始めている様な気がして自分もそのキーワードが気になったので自分なりに考察をしてみようと思います。
まずは、人はいつポジショントークを使っているのかについて考えてみると、十中八九は他人に向けて何かメッセージを伝えている場面であることは間違いないと思います。
そして、その人の立場から、その公共の発言をしている場に対して、そう言うべきだと思われる適切な言葉を選んで使っている時に正にポジショントークだと思います。
政治家が、有権者達に、接する時の言葉が正にそうですね。
つまりは本音とは真逆の言葉と言ってもいいです。
中には本音とポジショントークとが一致する場合も有るかもしれないですが、大体にしてそういう場合は稀有だと思います。
他人、公共の場というのが出たが、友達同士とか、お客さんとの会話とか、Twitter、Facebook等のSNSでの発言もそうでしょう。
それと、あまり意識はしていないと思いますが、親子で親が子供に対して叱る時や教える時などもそういう場合もあると思います。
ポジショントークって、本音と建前の建前に似ているかもしれないですね。
いや、正に建前を使った会話の事をポジショントークと言うのかもですね。
ポジショントークはいつ覚えているのか?
恐らく、誰しもが幼稚園、小学校、中学校、高校、大学または会社へと進む中で自然と社会性の一環として身に着けているスキルなのだと思居ます。
例えば、どんな時に人はポジショントークをしようと思い始めるのでしょうか?
友達から、悪い方向に思われたり、言われたりしないようにする時、先生や大人から非難を浴びせられないようにする時、年下の後輩からがっかりとされないようにとかでしょうか?
恐らく、大体に於いて、意識する他人にからの否定を受けない為に行うのが主な発生事由ではないかと思います。
歯に衣着せない言い方で人を傷つけるのも厭わない人などは、きっとあまりポジショントークしないでしょう。(或いはそれがポジショントークの可能性もありますがね)
そういう人は他人からの否定もあまり気にしないか、否定されたら物凄い勢いでその相手を否定し返すかのどちらかだと思います。
何れにしても、他人からの否定を回避する手段としてポジショントークが使われているのであろうというのは見えてきた気がします。
つまりは、友達から、大人から、或いは後輩からどうしたら否定を受けたかが自分の記憶のデータベースに沢山情報として蓄積されており、その上で、どういう人のどんな立ち振舞が逆に否定を呼ばないのか、否定を上手く回避しているのか、或いは自分でも回避ができたのはどんなケースだったのかみたいなのを無意識で反芻している内に勝手に自然と身についていくようなものではないかと思います。
そして、ポジショントークは言わばボクシングでい言う所の遠距離での打ち合い、ステップを使っての牽制など、正にポジショニングが重要な訳です。
なので、自分が今どいういう立ち位置で、発言をする相手はどんな立ち位置で、どの発言がどのような作用を促すのかなどを考えながら話す、これこそがポジショントークですね。
そこには自分の本心や本音も全くないと言わなくはないが、どちらかというと、発言を受け取る側に対して、否定を起こさないよう、波風を立てないような、そんな話し方ではないかと思います。(或いはその逆にわざと波風立てたり、否定を起こさせたりする)
本音とポジショントークがシンクロする時はあるのか?
さっき、冒頭で本音の真逆と言いましたが、状況によってはポジショントークと本音がシンクロする場合もあると思います。
例えば、同じ思想、同じ考え、同じ価値観を持った人達との間での会話が正にそうでしょう。
本気で漫画が好きな人達の中で、漫画を推進したい人が俺は漫画が好きだーってのはポジショントークでありながらも、本音でもありうりますね。
これが、仕事柄は漫画を売り込まなきゃいけないけれど、、漫画は好きでない人みたいな場合は、唯のポジショントークでしょうね。
そう考えると、人は自分の真意や価値観、考え方、想いなど色々な所で賛同しない人達と一緒にいる機会の方が多いのかも知れないです。
だからこそ、自然とポジショントークしてしまうのかも知れないですね。
ポジショントークは悪いことなのか?
僕個人的には悪いとは思わないです。
別にその発言によって、誰かが傷ついたりしないかぎりは、僕は嘘を付いたって構わないと思います。
寧ろ、本音、本当の事をそのままストレートに言って、相手を傷つけてしまう位なら、多少の盛った要素が入ったとしても嘘を言って相手を傷つけない方がいいと思います。
これは「優しさ」とはまた別な話で、単純に相手との人間関係を良好に保ち続けるための潤滑油、一つの円滑さを保つ為の知恵だと思っています。
そして、例え相手に嘘がバレていたとしてもそれは問題ないのです。
つまり、相手は「ああ、あいつは本当はこう思っているんだよな、でも俺が傷つくの知っているからワザとこういう言い方をしたんだよな」って思って貰えれば、いいし、そうでなくても相手がその嘘を完全に信じてくれたならば尚いい訳です。
そこに罪悪感を抱える隙間は一切ないです。
同じ様にポジショントークも、そのコミュニティの中では、その会話の中では、お互いの関係性を良好に保つ為に必要なある意味での必要悪、嘘でもいい、とにかく円滑にする言葉使いなんだと思うから、ポジショントークはなんら悪いことはないと思います。
では、なぜポジショントークを批判する人達がいるのか?
そこに問題点があると僕は思います。
そもそも、どんな話題であれ、他人の批判をよくする人は、評価はしないで批判ばっかするだろうし、制度や物事、創作物に対して、自分では作る努力もしないで批判しかしていないんですよね。
つまり、ポジショントークを批判している人ってのは、別な言い方をすれば、どんな態度をとっていたとしても、正直者であれ何であれ、批判するんですよ。
つまり、ポジショントークが悪いのではなく、ポジショントークを批判する人達が悪いんじゃないかなと。
なので、結論としてポジショントークは、なんら悪いことではないと僕は思います。
最後に、ポジショントークの使い方について。
人によってはポジショントークなんて面倒な事はしないで俺は本音だけで立ち向かうんだって人もいるかも知れないです。
それはそれでいいとは思いますが、でもその本音によってもしかしたら傷つけている人がいるかもしれないってことだけは、常に頭の隅に置いておいて欲しいと思います。
そして、人間は他人との協調によってしか生きていく手段はないと僕は思っています。
それはどんな孤独な人であっても、どんな隔離された人であってもです。
例外なく、ほとんどの人は他人との協調が必要であると言い切りたい!
そして、その際に必要になってくるのがこのポジショントークなのですよ。
これは単なる言葉の使い方なのです。
文房具みたいなものです。
真っ直ぐな線を引きたい時に、何度も練習すれば定規を使わなくてもさっとッ真っ直ぐな線は引けるかもしれないです。
だけども、定規を使ったほうが明らかに誰でも時間をかけずに綺麗に引くことが出来るのと同じなんです。
これはカッコ悪いことでも、悪いことでもなく、人間関係を円滑にするための必要な知恵なのです。
発言をする時に、自分はどいういうつもりで、これからの言葉を発するのか、今、自分の話を聞いてくれている人達はどんな人達なのか、それらを常に意識しながら会話をする癖を付けておけば、ポジショントークを使いつつも、自然と円滑に自分の本音も時々ぽそっと入れられる、そんな会話が出来るようになっていると思います。
まぁ、何にしてもトライアンドエラーは必要なので、相手を絶対に傷つけないようにとか考えないで、自分が絶対に傷つかないようにとかも考えないで、気軽に失敗しながら、失敗したら傷つけてしまった人には何か別の形でお返しをしてあげて、自分が傷ついてしまったら、それでも突っ込んでいった自分の勇気を褒め称えてあげて、そうやって少しづつでいいから、コミュニケーションが円滑に出来る人達が増えていったらいいと思います。