サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。


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孤独を楽しめるかどうか ~イマジナリーフレンドとジェダイの交信~

皆さん、孤独、楽しんでますか?

 

いや、孤独って楽しくないじゃんってツッコミ、ありがとうございます。

 

ですが、一部の方はきっと少しだけおお、って共感されたんじゃないでしょうか?

 

先日Twitter上で一人旅が寂しくない理由みたいなのでイラストやっぽい絵にいくつかの理由が書いてあって、すごい共感を呼んでましたね。

 

なんだかんだで、一人というのはすごく楽なんだよなぁって確かにってそれ見て思ったんですが、一方で旧世代というか、人と一緒でないと寂しいという人達の気持ちも分からなくもない部分というのがあるなぁって思ったんですね。

 

一人は寂しいのか問題。

 

考えてみると、少し前の僕は確実に一人だと寂しすぎて、いつも誰かと会話していないといけないような、そんな性格でした。

 

だから、いつも、毎日誰かしらにメールなり電話なり直接なり話をしていて、人と全く話さないって事はありませんでした。

 

こっから少し重めの話をしますが、特にもう自分的には消化しているつもりですが、それでもどこかに僅かにも重めの空気みたいなものがにじみ出るかもなので、ちょっとヘビーな話は苦手よって方は今日の話は飛ばして下さい。

 

んでまあ、一人の孤独についてなんですが、僕は前にもどっかで書いたようにシングルファーザーでございまして、まあ、何年か前に奥さんを亡くしてるんですよ。

 

それで、その時は本当に物凄い孤独に襲われて、本当に一人になった感じだけじゃなく、周りにいる全ての人が、味方であるはずの人ですら、全員敵に見えてました。

 

唯一僕の中で敵じゃない存在は子供たちだけでしたが、子供たちは当時とても小さかったので、味方というよりは唯一残った大切な存在という感じでした。

 

一人になって、初めて気が付いたのが、先に言った僕は毎日何かしら常に話をしていたという事でした。

 

主に、家内が生きていた頃は、家に帰ったら真っ先に話しかけ、寝るまでずっと恐らくですが、何かしら話をしていたんだと思います。

 

今冷静に考えればかなり鬱陶しかったかもですね。

 

ですが、基本的に毎日何かしらの話をしていたんだなぁとしみじみと思います。

 

仕事の愚痴や他人の悪口は殆ど口にしなかったので、話す内容は大概がその日に面白かった事や見つけた事、発見した事などが中心で、大体が自分の組み立ててみた持論を展開してどう思うか?ってのを聞いていた気がします。

 

そうやって自分の立ち位置みたいなものを確認していたのかも知れません。

 

僕はこう考えるけど、それは君からしてみたらどういう風に捉える?みたいな。

 

そんな風に毎日家では何かしら話題が出ては話をしていたのですが、それがいきなりある日を境に全く話が出来なくなってしまった訳です。

 

ふと、いつものように話をしようとして顔を上げるとそこには誰も居ない空間があり、その時に物凄く強烈な孤独感を僕は産まれて初めて感じました。

 

強烈な孤独感。

 

それは、同時に今まで話しを聞いてくれていた事への感謝でもありました。

 

当たり前のようにしていてくれた事への感謝、それに対する感謝の気持ちを自分はどれだけ伝えられていたのだろうか?

 

恐らくは毎日の有り難さというのに居なくなってから気が付いたということは、日頃はきっと感謝の気持ちなど伝えるどころか思ってもいなかったのであろう、自分の無自覚さに対して無性に腹が立ってきました。

 

そして、その当時はこの孤独は一体いつまで続くのだろうか?恐らくは一生、死ぬまで、僕はこの仄暗い崖の端っこを落ちはしないのだろうけど、ずっと歩いていくのだろうという、良く分からない絶望感で溢れていました。

 

色々とあって今はそんな塞がった気持ちではなく、今を精一杯生き続けて行こうって気持ちでいますが、当時を振り返ってみると、いつもそんな感じであったなぁと、ふとね、思い出すこともあります。

 

自分でもどうしようもない孤独と絶望を抱えて、友達にメールで色々と話してみたり、定期的に会って話してみたり、色々な方法で自分を騙すやり方を探したり、自分の心の隙間を埋める何かを考えたりして来ました。

 

そんなこんなでまあ、色々な出来事を経て、すったもんだもあった末にたどり着いたのが、結局、他人は自分を癒やしてはくれないということでした。

 

正確には、

 

他人は自分が思った通りには自分に寄り添ってくれる訳ではない

 

という事です。

 

なので、意外な所で優しさに触れたり、反対に思っても見なかった所で不意打ちのように刺されたりすることもあります。

 

まあ、人は人なので、当然ですね。

 

しかし、一つだけ自分の思った通りに自分を癒す存在に気が付きました。

 

それは自分です。

 

いや、もっと言うと、自分のフィルターを通して頭の中で描いた他人です。

 

こう言うと変に思われるかもですが、これからちょっと頭のおかしな話をしますので、まあ、与太話と思って聞いて下さい。

 

僕はよく頭の中で、例えばテレビに出ている人や本の著者などの有名な人と仲良く話をする空想をします。

 

その空想で、彼らの色んな意見を聞くんです。

 

また、以前に普段から話をしていたような話をその空想の中で実際に自分が話をして、空想の中に出てくる人達が受け答えて、それにまた応えるみたいな事を頭の中でやっている訳です。

 

これは有名な人だけでなく、自分の友達や知っている人、色んな人が色んなシチュエーションで出てきます。

 

最近になって、それが、実はイマジナリーフレンドだったんじゃないかと気が付いてきました。

 

自分の頭の中の空想上の友達。

 

よく、イマジナリーフレンドって言うと、実際には出てこない、コミカルなキャラクターで描かれることがありますが、前に古市さんがイマジナリーフレンドについて言及していた言葉の中に、「僕もイマジナリーフレンドいますよ、〇〇さんも僕のイマジナリーフレンドの中の一人です」みたいな事を言ってたのが頭に引っかかり、もやもやと考えていたら、そっか、僕のやっていることもこれはイマジナリーフレンドなんだ!って思った訳です。

 

空想上の会話は一人になる前から実はずっと自分の中でやっていた事で、これを使ってプレゼン的な事の練習だったり、特定の誰かと大事な会話をする前の予行練習をしたり、時には自分を励ましたり、逆に時には自分の中の誰かに責められたりしていました。

 

そんな中で、一人の自分に慣れるために色々と探っていく中で見つけたものの一つに、ネガティブな言葉を避ける、自分を責めないって事があって、それがイマジナリーフレンドにも組み込まれていって、段々と以前あった、頭の中の誰かしらからの罵倒の言葉や責められることが無くなって行きました。

 

そうやって色んな事を自分の中に取り込んで、頭の中の会話を沢山して来たからか、段々と一人で居ることが苦では無くなって行きました。

 

以前だったら、1日のうちで誰かしら大人と話をしないと気が狂いそうで発狂しそうだったのが、段々とそんな事もなく、寧ろ人と話して意見が食い違ったり価値観のズレが生じている時の対処の方が面倒だなぁと感じるようになって行きました。

 

どんなに親しい友達でも、どんなに好きになった恋人でも、結局のところ誰も自分と同じような価値観の人とは出会えて無かったなぁと気が付いたんですね。

 

それは今の自分のステージだとそうなのか、それとも人生そのものがそうなのか分かりませんが、少なくとも、他人とは基本的に価値観が違うという所では相違はなさそうです。

 

そして、その違いを受け入れあっていくのが人間関係であり、受け入れがたい場合は人間関係が希薄になっていくのだと思います。

 

ただ、仕事や家族だと価値観が違いすぎたり、相容れない考え同士であっても、時として関係性を希薄に出来ない場合が多々あると思います。

 

そういう場合は、なるべく、可能な限りそういう人と距離を置くことなんだと言うことも段々と学んでいきました。

 

ネガティブな発言をする人と会話しているとどうしても何かが消耗しているようで、一人になった時に無性に疲れや眠気や某かを感じます。

 

そういう時は、まあ、寝るのが一番ですかね。

 

んで、そうやって自分から徐々に一人に向かっていき、他人と距離を置いていく中で、自分の頭の中の会話を促進させていて思ったのが、これって、イマジナリーフレンドって実はジェダイの交信と似てないか?って事です。

 

話が大きく変わりますが、映画スターウォーズのエピソード3かな?

 

確か、ヨーダがオビワンにジェダイの交信について話すシーンが最後の方にあったと思うんですよ。

 

それで、オビワンも最期にルークに未来を託す時、お前は一人ではないって感じで退場していき、その意味がエピソード6ジェダイの復讐(帰還になってましたっけ)で分かりましたが、あれってまさにイマジナリーフレンドだったんだよなって。

 

人の心の中で生き続ける。

 

それって、まさにイマジナリーフレンドなんじゃないかなって。

 

そして、イマジナリーフレンドって別に生死は関係なくって、今いる人でも、現実に目の前にいる人でも誰でも対象になれるんですよね。

 

それでね、ちょっと面倒な話をすると、人ってきっと他人を通して自分の心の中を客観的に見えてくるんだと思っているんですよ、僕は。

 

だから、他人に対して否定的に見ている人は、他人からも否定的に見られているように感じる。

 

それは自分の心が他人という鏡を通して映し出されているから。

 

だから、悪口ばかり言っている人は、きっと自分も悪口を言われていると思っている。

 

その反対に、称賛を素直に受け取れる人は、他人を素直に称賛する事ができる。

 

もっと言うと、人って自分の心の中を他人だけじゃなくて、全ての事象、現象、風景から自然、出来事に至るまで世界そのもので自分自身を投影させて捉えているんだと思うんです。

 

だから、疑心暗鬼の強い人と、楽観的に人を信じられる人では、同じ世界、同じ場所、同じ出来事でも捉え方は全く違う。

 

ちょっとした事でも一方は悪く凶報だと捉え、逆にもう一方は良い知らせ、吉報だと捉えるみたいな。

 

イマジナリーフレンドはそういう自己の投影を外側ではなく内面に持ってきたものなんじゃ無いかなぁと思います。

 

みなさんはイマジナリーフレンド、居ますか?

 

今日はそんな所です。

 

最期までご愛読いただきましてありがとうございます!!