サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。


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整形じゃブスは治らない問題について

この話題を見た時に、ココ・シャネルの言葉で、人間の美しさについて20代は偶然、30代は努力、40代の美しさが本当の美しさみたいな事を言ってたのを思い出したんですよ。

 

整形してその後の人生がいい方向に変わる人と、整形しても変わらない所か悪い方に転がって言ってしまう人といると思うんですが、その違いは何かなと。

 

んで、多分なんだけど、整形したら綺麗になれる、綺麗になれたら幸せになれる、って考えている人はきっと整形しようがお金持ちになろうが、幸せになれないんだと思うんです。

 

なんでかって言うと、幸せって結局、自分の感じ方、心の状態なんですよ。

 

だから、自分の状況が一切変わらないで、今のままで自分自身が幸せと思えない人は、何が足りない、かにが足りないって求めている限り絶対に幸せになり得ないんだと思うんです。

 

だから、綺麗になれたら幸せになれるってのは、自分の心は何一つ変えないで幸せになりたいって言っている訳です。

 

要は、自分の心の努力は一切しないで、お金を支払って他人にどうにか自分を幸せになる状態にしてもらおうと怠けている訳です。

 

んでもって、結局、美人って何か?ブスって何か?って考えた時に、美人に見える人って自分の人生を幸せそうに送っている人なんだと思うんです。

 

逆にブスに見える人ってのは自分の人生を幸せそうには送ってなさそうに見える人という訳です。

 

つまり、ガクト氏が言っている整形じゃブスは治らないってのは、美人に見えるようになりたければ、お金を支払って他人に何かをしてもらうのではなく、自らが1円も使わずに努力しろって話なんだと思うんですよ。

 

それで、自分が1円も使わないで努力した上に、更にそこでお金を支払って人様に何かしら手を加えてもらうからこそ、より美しさに磨きをかけられる訳です。

 

土台が綺麗じゃないものを幾らお金を支払って他人に磨いてもらっても、無駄なんですよね。

 

彫刻に例えると、自分はノミやキリを持っていて、自分自身を削ぐことは出来るけど、他人はヤスリしか持ってないから、どれだけ頑張っても、表面をスムーズにするくらいしか出来ないんですよ。

 

だから、元の彫刻の形が悪かったら、その悪い形の彫刻をいくらヤスリがけしても、綺麗にはならないんですね。

 

美しい女神像を目指していても、元がモルボルだったら、ヤスリをいくらかけてもらっても、表面がキレイなモルボルでしか無いんですよね。

 

女神像作りたかったら、まずは、自分のノミやキリ、のこぎりでモルボルの触手を切り落として、人間の女の人の形に切ってかなきゃいけないんですよ。

 

モルボルにいくらヤスリかけても女神像にゃならねーよって話ですね。

 

んで、じゃあ、実際に見た目があまり優れていない感じの女性はどうなのよ?って話なんですが、実は意外とそういう人でも、笑っているだけでめっちゃ魅力的に見えちゃうんですよね。

 

そう、人って不思議で、笑顔の人を見るとそれだけで、とても幸せだなぁって気持ちが伝染するんですよ。

 

引きつった笑顔は駄目ですよ?

 

ちゃんと、ゾナハ病が治る笑顔じゃないと駄目です。

 

要はちゃんとリラックスしていて、副交感神経が優位な状態で自然と笑顔になっている人に人は魅力を感じるようになっている訳です。

 

そこに、外見の醜美は一切関係なく、美しい顔立ちで険しい表情の人よりも、美しくはない顔立ちの人で笑顔の人の方が、とても魅力的に移ります。

 

そして、実際、そういう笑っている人の方が男女共にモテています。

 

笑顔と清潔感、異性から好まれるのに、これにまさる王道は無いわけです。

 

そして、この笑顔と清潔感を出すには、自分自身が幸せそうに見えるようにいる事がとても大事な訳です。

 

今現状が望む状態で無くとも、少なくとも何かしらに感謝をすればいいと思います。

 

それまで当たり前と思っていた事を有り難いとひっくり返すだけで良いんですよね。

 

当たり前と思っている事って、当たり前なので、意識すらしてない場合が多いです。

 

なので、意識的に、例えば、空気って今無料じゃないですか。同時に日本だと普通に歩いてて、襲われる心配も撃たれる心配も、隣の人から殴り込みにこらえる心配も無いじゃないですか。

 

これって、すごく実は有り難いんですよね。

 

空気が有料だったら、生きていくのにめっちゃギスギスして、毎日が不安で仕方がありませんし、外を歩くと他人から襲われる心配があったら、とてもじゃないですが散歩なんて出来ません。

 

同じように隣の人が毎日ドアを叩いてきたり、襲ってくる場合は家も安心して居られる場所ではなくなります。

 

っと非現実的ではありますが、このように考えてみると、空気があるだけで、この世界そのものが実はとっても有り難いですし、外を歩く人も皆が標準的に振る舞う事に有り難さを感じられる訳です。

 

そう、ただ、普通に人と通り過ぎるだけで、実はとってもその人が有り難い存在なんですよ、大げさかも知れませんがね。

 

ただ、こんな風に、今自分自身が生きている状態の某をそれぞれ有り難いなぁと感じられるようになると、逆にこれまで自分がストレスに感じていた事が、どれだけ傲慢でわがままな意見だったかって事に気が付ける一手になります。

 

そう、別に変な宗教とかで神に感謝をしろみたいな事を言いたいんじゃなくて、それまでの自分自身の傲慢さに気がつこうって話なんです。

 

何だかんだ言って昔の聖書は優秀ですよね。

 

7つの大罪、怠惰、傲慢、飽食、色欲、嫉妬、強欲、憤怒とあって、これらが人を不幸にする要因でもあるわけです。

 

日頃から感謝をするようにして、当たり前を有り難いにひっくり返すと、この中の傲慢について直す事が出来る訳です。

 

んでもって、長々と書きましたが、僕の言いたいのは自分を大切に考えて、生きていることそのものに有り難さを感じていたら、自然と内側から何かしらが湧いてくる訳ですよ。

 

その何かしらこそが人を美しくたらしめる何かなんじゃ無いかなと。

 

だから、整形をしようと思っている人は整形について考える前に、まずは自分自身をそのままで愛せるようになるって所がとても大事なんじゃないかなぁと。