ゲームに飽きたのではない、成長しない自分に飽きたのだ by 梅原大吾
何年か前に日本初のプロゲーマである梅原大吾さんが大学で講演をされてたんですが、その中の言葉で非常に印象深い言葉があったので、今日はその事についてちょっと話してみたいと思います。
この講演、動画にもなっているので、ぜひ興味のある方はチェックしてみて欲しいのでリンクを貼っておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=fS4SKgzKawI
この講演では当初予定されていた内容を当日に変えたそうなんですが、ものすごく面白い内容となっています。
前半は梅原さんがどのようにしてプロゲーマーになっていったのか?という流れがストツーを始めた時から遡り、一時プロ雀士を経て介護の仕事をし、そしてゲーム業界へとカムバックした時に最初のスポンサーが付いてくれた話などを、当時の記憶と気持ちなどを交えて話してくれています。
その後に話す話で、ゲームをやって、ハマっていた人がある時やらなくなってので、その理由を聞いた時に、その人はゲームに飽きたからと答えたそうなんですが、梅原さんはその答えに対して、そうではないと考えたそうなんです。
その人が飽きたのは、ゲームではなく、成長しなくなった自分に対してなのだと考えたのです。
そう、最初はゲームが面白くなるのはドンドン自分も成長していて、それに合わせて出来ることがドンドン増えていくからなんですよね。
ですが、成長が止まると今度は同じことの繰り返ししか出来なくなってしまう訳です。
同じことの繰り返し故に飽きてしまう訳です。
なるほどなと思いました。
そして、この考えはゲームだけでなく色々な全ての事に共通して言えることだなと思ったんです。
人は飽きることがない生き物なんですよ、本来は。
でも、飽きてしまうのは、結局自分自身が止まってしまうからなんですよ。
趣味にしても、仕事にしても、恋愛にしても。
新しい刺激が無くなった時点で飽きが来るんです。
そして、継続的な新しい刺激というのは、自分の自助努力ナシではありえないのです。
最初はどんな事も刺激はあります。
なぜならば新しいからです。
ですが、徐々に何も考えないでそれを続けていくと、段々と飽きてきてしまいます。
それは、自ら新しい挑戦をしないからです。
例えば、屈指のゲーマーである加山雄三氏は縛りプレイをすることでも有名ですが、そのように自分で新しい目標を決めて、そこに目指して努力していけば、例え遊び尽くされたゲームだったとして、面白みや発見があるんですよね。
グランツーリスモをノーマル車で攻める、鬼武者のタイムアタック、バイオハザードのナイフクリアなど、加山さん、めっちゃガチ勢ですね。
他にもロマサガとかタイムアタックだけでなく、様々な縛りプレイが年々開発されていってますよね。
こんな風にして一つの遊び、ゲームですら楽しくなる工夫は考えた数だけ無限に存在します。
例えば、ジャングルジム。
これだけだとまあ、せいぜいが自由に登ったり降りたりするくらいですよね。
ですが、子供達はここに鬼ごっこの要素を組み合わせます。
そうすると、追いかけたり逃げたりするスリリングが、ジャングルジムという制約によって面白みが増す訳です。
また、ジャングルジム視点で考えれば、それまでは自由に上り下りしていたのが、今度は鬼であれば、相手を効率良く追い詰める為に、どうするかを考え、逃げる側であれば、どう逃げたら鬼から離れられるかをリアルタイムで判断して逃げます。
この様に、縛りプレイみたく制約を設けるというのは一つのポイントなのかも知れません。
恋愛でも、イケナイと分かっている恋ほど燃えるとかなんとか。
ただし、遠距離恋愛の場合は大半の場合が失敗に終わるのは、制約がキツすぎてクリア出来る人が少ないからなんだと思います。
なので、逆に遠距離を経て結婚したカップルは、その後も順調に行っているようにも思います。
つまり、両者とも恋愛というプレイヤーにおいて上級プレイヤーだったという訳ですね。
ちなみに、僕はナンパしまくっている人は、恋愛プレイヤーとしては上級だとは思いません。
なぜならば、恋愛をゲーム視点で考えた時、ナンパしまくってワンナイトラブばっか狙っている人は、その多くが恋愛として長続きは出来ないからです。
格ゲーに例えるなら、ファーストダメージ率が以上に高いけど、勝率は無い(最終的には負ける的)みたいな。
まあ、逆にナンパをゲームとして例えたならば、ナンパ師はレベルの高いナンパプレイヤーなんでしょうね。
だから、別にナンパプレイヤーの方々をディスっている訳ではなく、単にナンパと恋愛は別だと言いたいだけです。
良きプレイヤーが良き先生になるかどうかは別なように、良きナンパ師は良き恋愛者になれるかどうかは分からないという事です。
ちなみに、ナンパに関する本は色々と世に出ていますが、ザ・ゲームという本が素晴らしく、その後を描いたザ・ゲーム4イヤーズという本がすごいオススメです。
ザ・ゲームを元に日本版を「僕は愛を証明しようと思う。」という題名で藤沢数希著で出ていますが、いわゆる巷の恋愛工学の発端ですが、どちらかというと、ザ・ゲームの表層を上手く取り入れて、モテない市場を上手くポジション取ったような感じのフィクションなので、これはこれで面白いですが、その元となったザ・ゲームとその後を描いた4イヤーズまで読んでみることを強くオススメします。
この本は海外のナンパ師、向こうではピックアップアーティスト(通称PA)と言われているある一人の掲示板への投稿から物語が始まります。
やがて出会った二人の天才は、自らを昇華させると共に、コミュニティを形成し、豊穣へと向かいます。
ですが、栄枯盛衰、人の世はいつもバランスが取れているとは言えません。
それぞれの思惑、それぞれの抱える悩み、色んな事が交錯してやがてコミュニティは崩壊、そして、主人公であるスタイルことニールにもその災がやって来ます。
このザ・ゲームのリアリティがあり、メッセージ性が強いとこは、まず最初に地獄の描写を描いたことにあると思います。
そして、そこから紡がれていく物語がどのように着地していくのか?
とてもスリリングな気持ちで読めていきます。
ニールの高揚と挫折、そして再生を描くこの2冊を通して、きっと様々な気づきを学んでいけると思います。
ですが、結構2冊とも分厚い本なので、まずは藤沢数希さんの書かれた「僕は愛を証明しようと思う。」から読んで、その後にニール・ストラウス著のザ・ゲームと4イヤーズを読むと良いと思います。
さて、話を梅原さんの言葉に戻すと、ゲームに飽きるのではなく、成長しない自分に飽きる。
これはある意味で常に自分自身に向けているといいかも知れませんね。
もし、どこかでなにかに飽きを感じたとしたら、それは自分が成長していないで続けているという証でもある訳です。
なので、恋愛でも、仕事でも、それ以外の事でも、全部常に新しい制約、縛り、工夫を考え続けていれば、きっと飽きることは無いのでしょう。
そんな事をこの言葉を聞いてから、肝に銘じつつ、僕も色々と飽きられないように手を変え品を変え、毎日少しずつマイナーアップデートをして行きながら生きて行こうと思いました。
今日はそんなところです。