里見八犬伝のFC(ファミコン)がめっちゃ面白いんです!!
前に、里見八犬伝の小説が面白いって話をちょっとしたと思うですが、その続きで、かなり前から気にはなっていた、あの対戦格闘アーケードで有名なSNKが作ったと言われているファミコン版の里見八犬伝をちょっとやってみたんですよね。
攻略情報とかは聖剣やドラクエの比ではないということから見ると、まあ、マイナーではあるなとは思いますが、それでも根強い人気というか、当時和モノのRPGって確かに無かったので、そういう意味でもカテゴリとしてはドラクエを筆頭に、
ドラクエに追いつけ追い越せの「FF(ファイナルファンタジー)」
竜退治はもう飽きたとアンチドラクエを謳って登場しつつも発売時期がスーパーファミコンが発売された後だったため、遅すぎた名作と言われた「MM(メタルマックス)」
糸井重里とすぎやまこういちが対談している時に、ふとしたすぎやまの一言がまさか実現する形になるとは、普通や日常が舞台となった完全なファンタジーではないRPG、「Mother」
江戸時代に一斉を風靡した曲亭馬琴の名作、南総里見八犬伝を元に、和をモチーフとして憂鬱無二の世界観を醸し出したと言える、静かなる名作「里見八犬伝」
とこんな感じでしょうか?(ヘラクレスの栄光や女神転生の事を書いて無くてすみません)
なんか、色々と枕詞を考えてたら段々と長くなってしまいましたね。
何ていうか、発売時期が初期であればあるほどに、今のゲームの操作感に慣れていると、非常に不便というか操作性が悪いなって感じはどうしてもあると思うんですね。
もっと、こうしたらやりやすいのにとか、こういう仕組みだったら、もっといいのにって。
でも、その不自由さというか操作性の悪さも含めて、昔のゲームの良さってあるんじゃないかって思うんですね。
例えば、里見八犬伝って、装備は基本的に誰でもなんでも装備できちゃうんですよ。
だから、何を誰に装備させようかってのを、武器屋から買う時にこれは装備できないとか、装備する際に、これは装備できないみたいなメッセージを頼りにすることが出来ないんです。
でも、何でも装備できるなら別にいいじゃんって思うじゃないですか。
なんと、装備は出来るけど、適正のない武器や防具を装備した場合、能力値が下がる(っと言うよりも、装備した値が必ず1になる)的な感じなんですよ。
だから、ちゃんとこれはきっとこいつが装備出来そうだなってのを想像して買ってあげないといけなくて、序盤のお金が無い時とかはかなり何を買ったら良いのかってすごく考えるんです。
今はネットに情報が沢山ありますからいいですけど、当時ネットも攻略本も無い時にこれを初見でやっていた人は、きっとものすごいやりこみ気質だったんじゃ無いかなっって思います。
そう思うと、昔、遊びに行ってた時にこれをやっていた友達は、ゲームのやり込みとかすっごくある意味では適正があるのかな?なんて思ったりします。
ファミコン版里見八犬伝の魅力は、他にはなんとレベルアップの時のHPとMPの上昇値がスロット形式の目押しなのと、レベルアップ時に与えられた数値を自分で能力値に割り当てるという方式なんです。
そうそう、里見八犬伝やってて、こうすればいいのにって思ったことの一つが、せっかく和風テイストで統一しているんだったら、HPは体力、MPは術力みたに漢字にしちゃえばいいのにとか、「じゅつ」を「じゅもん」って言うところがあるんですよ。
〇〇はじゅもんをおぼえていない
みたいな。
せっかく「じゅつ」って言ってるんだから、「じゅもん」って言わないで、全部「じゅつ」って文言統一しといてよって思いました。
もしかしたら、まあバグではないですけど、修正しきれてなかった点なのかもですね。
引き続き面白い点は、戦闘中に敵も味方もセリフを言うんですよ。
面白くないですか?
例えば、
「しののこうげき!! どうだ! こおにに 130のダメージをあたえた」
みたいな感じで味方が敵を攻撃したり、敵が味方を攻撃する時に掛け声みたいな感じでセリフが毎回差し込まれてるんです。
「どうだ!」
「おれはつよいぞ!」
「おまえなんか きらいだ!!」
「しんでしまえ!」
「きたない やつめ!」
と、まあなんかいくら妖怪相手とは言え、敵相手とは言え、なんか主人公側が言うセリフとしてどうなんだろうってのも無くはないかなって気もします。
そして、敵からの攻撃は、受ける味方によってセリフが統一されているみたいですね。
しのに対しては「おろかものめ!」
げんぱちには「しにいそぐな!」
そうすけに対しては「まだわかいな!」
どうせつには「なさけないやつめ!」
みたいな、なんか、「げんぱち」だけ心配されてません?
敵味方のバランスも結構ゲームバランスとしては非常に良く整っている感じがするんですよね。
最初の頃はかなり大変なんですが、仲間を4人集めて、レベルも上げて術を覚えていくと、割と安定して戦えるようになってくるんです。
ってか、序盤のギリギリ感が何とも言えなかったです。
回復も術だけでは底が尽きてしまうので、アイテムを持ちます。
ですが、アイテムも持てる量が決まっていますので、使い所がまた神経使います。
序盤は「しの」という侍キャラで戦士系なので肉弾戦が強いですが、まずは一人なので敵が複数出てくるとかなり手こずります。
次に仲間になるのが「げんぱち」で、一応僧侶みたいな位置づけですね。
お坊さんキャラです。
回復も攻撃もいける術がメインのキャラです。
最初の方に武器屋で売っている、「とっこ」って一体なんなんだ?って思いましたよ。
でも、なんとなく、お坊さんに関係しているかもって勘を働かせて、げんぱちに装備させた時にちゃんと能力が上がって、予想が当たったと分かった時の確信たるや、「ライオネットボンバー!!やったぜ!初セリフ」並に喜びました。
あと面白いなってのは、ボスの登場の仕方と倒れ方も結構凝っていて好きです。
やっぱ戦闘中のセリフなんですかね?このゲームの魅力は。
倒した時は結構、やったぜ!!!て感じがするんですよね。
あ、それと町での家に入ると切り替わって人が話す画面になるってのも意外と好きですね。
情報の広い場所がシンボリックになっている感じでしょうか。
中盤に進め方によってはリセット必至の詰んでしまうような展開とかも無くはないので、ゲーム性が完全に調整しきれているかと言われると微妙かもですが、そんな所も含めてレトロゲームとしての面白さと捉えてしまえば、このゲームほど和風RPGを見事にファミコンで体現したゲームは無いんじゃないでしょうか?
里見八犬伝とタイトルではありますが、キャラクターの名前と設定だけモチーフにしたストーリーは完全に別物となってはいるんですが、これが意外や意外とやった人の評価は悪く無いのですよ。
で、なんでかなって考えたのですが、恐らくですけど、里見八犬伝をこのゲームで知ったって人、結構いると思うんですね。
南総里見八犬伝の方の話を知っていて、読んでいて、その後にファミコンの里見八犬伝をプレイしている人って中々居ないんじゃないかなって。
だから、そもそもが原作を知らないから、なんとなくでファミコンの方のストーリーがさらっと受け入れられてしまうんじゃ無いかなと。
後は、意外とサクサク進むし、おつかいイベントが少ないから、レベルさえ上がっていれば、ドンドン先に進んでしまってもまあ、問題ないっちゃないので、そういう意味でもテンポ感が良かったんじゃ無いかなと。
(序盤は港が荒れて船が出せないとかで、イベントをクリアしないと先に進めないようになってはいます。)
そして、何よりもこのゲームの魅力は音楽だと僕は思うのです。
戦闘のテーマとフィールドのテーマが秀逸過ぎて、昔友達の家でちょっとだけ見たことがあるだけのゲームでしたけど、自分でプレイしたこと無いのに、どっちも曲を大人になってからも覚えていて、戦闘のテーマに至っては、全て覚えていた位、強烈に残っている曲でした。
まだ、中盤ではありますが、じゅつもわりかし色々と覚えてきて、アイテムも段々と充実してきました。
敵も強くなってきていますが、割と安定して戦闘出来ているので、終盤に向けて、どんなストーリー展開になっていくのか、とっても楽しみです。
リメイク版とか、作ってくれないかなってくらい、このゲームすごく好きになりました。
あ、そう言えば、言い忘れた、戦闘で話すってコマンドがあって、なんと妖怪にも悪いのだけじゃなくて、善玉妖怪ってのがいるんですよ。
それで、間違って善玉を倒しちゃうと、良心ってパラメータが大幅に減ってしまって、、良心がマイナスになって悪人になると、呪われた武器防具を使えるようになるみたいな裏設定が用意されているという、鬼畜っぷり。
こんなところにもこのゲームの魅力があります。
今日はそんなところです。