サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。


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西加奈子さんの短編にハマってます!!

最近たまたま手に取った西加奈子さんの「おまじない」という短編集の本を読んで、西さんの世界にめっちゃハマりました。

 

サラバ!でも漁港の肉子ちゃんでもなく、おまじないにしたのは、その時本屋で長編を他にいくつか買っていたので、星新一か短編で何かいいのないかなぁと探していた時に、たまたま見つかったのが「おまじない」でした。

 

前々から西加奈子さんには興味があって、椎名林檎さんとの対談を動画で見ることがあり、そこでさらに西加奈子さんに興味がわき、そっから読んで更にハマったという訳です。

 

まだ、短編一冊しか読んでませんが、西さんの小説の言葉ってすごい不思議で、なんというか人の深くしまい込んでいた心の声が沢山聞こえてくるような、そんなお話達なんですよね。

 

短編に出てくる主人公は皆、心に何かを抱えていて、そのそれぞれに抱える何かを持っている事がその人にとって祝福でもあり呪いでもある。

 

どちらかというと呪いである事を認識している事が多く、祝福の面に気が付かずに不幸を感じてしまっている人が、色々な事を思って日常を過ぎ去っていく感じがしました。

 

前に、ロンリネスを読んだ時の(いい意味での)気持ち悪さ、読後の(同じくいい意味での)嫌悪感みたいな、作者が意図して描いていたであろう部分を、より丁寧に描く事で共感を得られるみたいな感じでしょうか。

 

うーん、ちょっと伝えずらいというか、表現が適切ではないですね。

 

それについてもっと考えるために、まず、ロンリネスを読んだ時、なんであんなにも嫌悪感があったのか?それについて深くちょっと考えてみたいと思います。

 

ロンリネスの気持ち悪さは、登場人物に何一つ光が無かった事が言えます。

 

希望が一切ない、ただ、惰性と妥協の日常がそこには描かれていて、他人の価値観で生き、それでいて自分勝手に生きる人々のいわば我儘な部分が如実に描かれていて、そこに共感出来る余地が全く無かったんですね。

 

自分で選んだ事なのに、それに言い訳を付けてイヤダイヤダと駄々をこねる人、だってそれが普通だから仕方がないよねと諦める人、そして、自分が不幸だから、諦めているから貴方も不幸に、諦めなさいと言う人、なんか、そんな人ばっかだったような気がします。

 

そして、そうだ!主人公ですらも、そういう人でなんというか、他の人との対比がされていなくて、物語の中の主人公補正が一切ない、一人称で書かれていてもどこまでもが第三者視点での物語なんですよね。

 

そうそう、そして、その主人公に全く共感が出来なかったから僕は嫌悪感と気持ち悪さだけが残ったのかも知れません。

 

そう考えると、西加奈子さんのおまじないは主人公とそれ以外の人々がはっきりと分かれていて、それぞれの話の主人公の心の声が沢山描かれているので、多分、どの話にも主人公の心に共感出来る部分が多かったのだと思います。

 

そうか、そして、それぞれの主人公の持つ抱えている何かというのは誰しもが持ちうる可能性のあるような、そんな気持ちだったり、問題だったりで、それに対してそれぞれの主人公はだって仕方がないとか他人にそれを押し付けるというような、モブ的な言動が無いんですね。

 

あくまでその問題や気持ちに対して自分自身がどう向かうか?みたいな、その過程でどんな事をして、どんな風に思っていくのかってのがとても共感出来たのかもわかりません。

 

多分ですけど、西加奈子さんの作品ってきっと若い世代には人気かもですが、30後半とかの方にはあまり受け入れられないのかも分かりません。

 

それは、ロンリネス、ハピネスを支持する30歳以上の女性達にはきっとそうでしょうし、20代後半の働き出した男性にも受け入れられないような気がするのです。

 

それは、何かというと、どちらも自ら選んだ道に不満がある人達だからです。

 

働いて、しばらくして思っていた人生とはだいぶ違う道に行ってしまったけど戻れない20代後半の男性。

 

結婚して、あるいは結婚しないで、しばらくして思っていた人生とはだいぶ違う道に行ってしまったけど戻れない30歳以上の女性。

 

その中でも率先して自らを変えて、自分の環境を変えようとして何かしら行動したりしていないと、恐らくですが不満が沢山溜まっていて、自分でもどうしたらいいのか分からないような状況に陥ってしまうのだと思います。

 

そして、分からない原因を周りの環境や他者のせいにして、変わりたくないという自分の殻に閉じこもるのです。

 

そうなってしまうと、自分自身を変えようして生きる人が疎ましく、自分よりも幸せそうな人を妬み、自分を保つために誰かを、何かを踏み出しにして今にも落っこちそうな自らの自我を支えているのだと思います。

 

先の言い方をすれば、何一つ光が無い人達ですね。

 

そういう人にとっては西さんの物語よりもロンリネス、ハピネスのような、人生って仕方がないよね、だって自分で変えられないし皆そうだからって感じの方が受け入れやすいんじゃ無いかなって思います。

 

逆に、未来に希望が持てる人達、若い人、今なお常に自分自身を変えようとしている人などは西さんの心に向き合い変わっていく希望みたいなモノがある方が共感出来るんだろうなぁと思いました。

 

おまじないに出てくる人達がそれぞれに持つ抱えた悩み。

 

これを見た時に、ふと過去に読んだ「ある種の女はなぜ口説きやすいのか」(後藤よしのり著)を思い出しました。

 

人は皆それぞれに悩みを抱えていて、それぞれの大きさ、レイヤー、深さが様々で、それに対する感じ方や捉え方も色々です。

 

そして、自分から見た他人のそれがどれだけ形が違うものかというのを最近よく身に沁みて思います。

 

自分にしてみたら些細でなんてこと無いことでも、他の人からしたら恐怖の対象でしか無かったり、怖くて出来ない事、その逆に自分は不安で出来ないと思っていても、他の人からしたら他愛の無い簡単な事。

 

こういう考え方、感じ方の違いがあるからこそ、人は多様であり面白いんだろうなぁって思います。

 

画一的な人が生産された時代から個性が謳われた時代。

 

しかし、個性というのは決して奇抜で周りと違うことではないんですよね。

 

周りと全く同じであっても、それに対するポジショニングであったり、対比によって全く違うようになる。

 

それが個性なんじゃないかなって僕は思います。

 

周りから見たら、人から見たら自分は何一つ変わりない平凡な人間かも知れない。

 

けれども、人の感じ方、考え方は実は微妙に少しずつ人それぞれにずれていて、そのずれや立場、位置などの違いが個性なんだと思います。

 

個性は作るものではなく、気がつくものなんだと思いました。

 

今日はそんなところです。