サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。


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漫画の悪役の描き方の変化について

ふと最近の漫画って悪役の描き方が、悪役の過去を描いていって、深堀りしていくパターンが多くなったなぁって思ったんですね。

 

例えば、最近で言えばヒロアカが弔くんの過去を描いてましたよね。

 

それから、鬼滅の刃は大体が強い鬼の過去編が描かれて行ってから散っていきますよね。

 

唯一玉壺だけですかね、上弦で描かれなかったの。

 

まあ、下衆な奴にはあまり同情したくないって所もあるんでしょうかね。

 

下衆な奴でいうと、確かにチェーンソーマンでは敵の過去はあまり描かれない事が多いですよね。

 

チェーンソーマンの場合は敵がゲス野郎が多いからでしょうか?

 

そう考えると、マンガの世界でもゲス野郎な敵はたとえ強敵でも、あまり読者としては読みたいとは思わないのかも知れませんね。

 

ゲス野郎がどうしてゲス野郎になっていったか?なんて、あまり知り合いと思う人も確かに居ないですからね。

 

ですが、カッコいい敵とか非情な敵がどうしてそういう風になったのか?みたいなのには興味がありますよね。

 

そう言えば、敵の背景を描いた最初って、あしたのジョーホセ・メンドーサの家族シーンを描いたのが初めてだったんじゃ無いでしょうか?

 

いや、世界チャンピオン、ホセの前に東洋チャンピオンの金竜飛も過去が描かれましたね。

 

ですが、もっと前までのマンガは、基本的に敵は偉そうで強くて非情で嫌な奴だった事が定番だったと思うんですよね。

 

この敵の背景を描く流れから、今度は敵が味方になる流れは聖闘士星矢キャプテン翼キン肉マンとかシティハンターなど、かつてのジャンプ黄金期のマンガが強い敵と戦い、そして味方になって一緒に戦うみたいな流れが出てきたと思います。

 

北斗の拳は唯一敵は敵のままで一緒に戦わなかった作品かなも思いますが、北斗の拳はそれゆえに唯一無二の作品になったのだとも思います。

 

これは、マンガ業界における主人公の魅力化がインフレしすぎてしまった故に、脇の良さを上げる為に敵を魅力的に描き出したのだと思います。

 

そして、敵を魅力的に描いたら、今度はその敵を仲間にしたいという想いが生まれ、そこから敵が仲間になる流れが出来ていったのだと思います。

 

しかし、今度は敵が仲間になる流れが当たり前になりすぎていきました。

 

ゆえにそこから脇役がかっこよく描かれる流れが出てきます。

 

この流れから主人公よりも脇役が目立つマンガも出てきます。

 

聖闘士星矢はある意味ではこの脇役が目立つマンガとしても割と早期の作品だったのではないでしょうか?

 

脇役が目立ち、敵が仲間になり、色んな展開がある中で、今度はハッピーエンドではない物語なども出始めていきます。

 

一時期暗い雰囲気のマンガが結構流行ったような気もします。

 

エヴァの鬱オチなども影響しているんじゃ無いかなって思うんですね。

 

鬱展開マンガやアニメが人気を得ていきますが、今度は段々とやっぱりハッピーエンドが望まれる訳ですよ。

 

そうして出て来たのが、最近の敵キャラの深堀り、つまりは敵は仲間にならないけど、過去を描くことで、敵が一時的にではありますが、主人公的な話になりますよね?

 

仲間になって一緒に戦うという共感は得られないですけど、一時的に敵が主人公になって一緒に追体験するという共感は得られます。

 

これが敵キャラの過去を深堀りするメカニズムなんじゃ無いかなって思いました。

 

ようは、深堀りすることで、仲間にはならないけど、同じ様な効果を読者に与えているんじゃ無いかなって事ですね。

 

なので、手法は違えど、どちらも読者を魅了するやり方なんだなぁって思います。

 

こうやってマンガを全体的に振り返ってみるのも面白いなぁって思ったので、もうちょっと沢山の作品を時代ごとに読み直してみて、調べてみて語ってみても面白いなって思いました。

 

今日はそんなところです。

 

 

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