サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。


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理解する気がある人とない人

話をしていて、話しやすい人と話しにくい人っていませんか?

 

話しにくいって言うよりは、どちらかと言うとあまり、この人とはちょっと話したくないなって人って言う方が正確かも分かりません。

 

その2者を比べてみて、何が違うのだろう?ってちょっと考えてみたんですよ。

 

そうしたらね、話しやすい人とそうでない人の違いについて、それぞれ共通点があったんですね。

 

話しやすい人はよくよく振り返ってみると、こっちが話している内容を分かろうとしてくれる気持ちで話を聞いてくれてたんですね。

 

仮に、その人が知らない単語や考え方、概念が出てきたとしても、こちらの話を聞きながら、その人なりの解釈をして聞いてくれている訳です。

 

一方で話したくない人は、だいたい、話で自分が分からない事柄が出てくると、そこで話が止まってしまって、理解したいから聞いているんだと言いながらも、理解しようと自らが動くのではなく、どちらかと言うと、自分に分からせて欲しいという感じで、自分なりの解釈は持たずにこちらに理解させる何かを要求してくる気がします。

 

こういう人と話すと、なんだか話の腰も折れて話が最後まで行きませんし、何より途中を説明する傍らで相手が分からないと音を上げてしまってしまい、まあ、その人とは話しが出来ないなぁという感じになる気がします。

 

さて、この両者の違いについて考えてみたんですが、前者は分からないなりにも自分なりの解釈で補足しながら話を聞いてくれるのに対して後者は分からないが出てきた瞬間に話がストップします。

 

なんでこういった違いが出るの?って思って考えてみたんですけど、多分、前者の人は分からない事や、決定されない事を保留していることが出来るんですよ。

 

保留することが出来るってのは脳にとってかなりストレスフルな状態らしいんですけど、逆に言うとそれが出来るのはある程度余裕があったりするって事なんでしょうね。

 

保留が出来ない人達は、何でも黒か白かすぐに判定して選り分けていかないと、きっと一時容量が過多になってしまって溢れてしまうんじゃないかなぁと思いました。

 

そして、一時容量が少ない人ってのはいわゆる頭が堅い人って言われている人なんじゃないかなぁと。

 

柔軟性に欠け、保留が出来ない故に話を聞く際も一つ一つが理解された事柄でないと頭の中で処理しきれないのではないかと思います。

 

もう一つはお互いのリスペクトでしょう。

 

話している方も聞いている方も、互いに尊重し合ってる関係であれば、お互いに話す方も相手になるべく合わせて話すでしょうし、聞く方も相手に合わせて聞くでしょう。

 

逆に、関係性の中でどちらかが自分が何かしらで上であるみたいな意識が働いた瞬間、きっとそう判断された相手も同じように防衛反応で別のなにかで自分の方が上であると意識が働くのではないかなと。

 

つまり、どっちかが、尊重ではなく、増長した場合、相手も増長し、尊重した場合は尊重が返ってくるみたいな、そんな風にミラーニューロンが働いているんじゃないかなぁと思うのです。

 

では、仮に先に相手が増長した場合、自分が増長しないで尊重するにはどうすればいいか?

 

そして、相手の増長を沈めて、こちらの尊重にシンクロさせるにはどうすればいいか?

 

それは、きっと増長しちゃう人に余裕が出来るまで待つしか無いのかなと思います。

 

何かしらの神の一手で一瞬で相手の増長を沈めてこちらの尊重に合わせられるてたいなウルトラCの技なんて多分なくて、時間をかけないと難しんだと思うんですね。

 

それはなぜかというと、相手の話が聞けない人は恐らくですが、自分に自信がなかったり、不安だったりするんだと思うのです。

 

自信がなくて、不安だから、その不安が頭の中を支配し、分からない事が一つでも出てくると、不安が増殖してしまって、頭の中の不安の火消しをしないと保留しながらなんてとてもじゃ無いけど、きっと話は聞けないんですね。

 

そして、自信がなくて不安だからこそ、相手を尊重することが出来ないんです。

 

尊重するということは相手を持ち上げることですから、それは自分が無い人とか自分が小さい人は難しいんですよ。

 

単純に力のない人は大きな荷物を上に持ち上げることは出来ないですよね?

 

それと一緒で、自分という存在の小さな人で自信の無い人は、自分よりも大きな存在に対してそれを持ち上げた時に自分自身が潰れてしまう恐れを抱いてしまうのだと思います。

 

要はアイデンティティの弱い人は他人を受け入れたり、フラットに判断したりが出来ないのと同じで、自分の弱さのバランスを取るために、自分を一時的に過大評価(増長)したり、相手をちょっと貶めて考える事で、どうにか心の平定を保とうと無意識にしているのだと思います。

 

逆にアイデンティティのものすごく強い人に出会ったら、多分ですけどそういう人ってきっと脅かしてこないんですよ。

 

どちらかというと、そっと側にはいてくれたり、寄り添ってくれたりはするんですけど、押し付けたり、ぐっと無理にこっちに来たりはしないんですよね。

 

だから、そう考えると自分自身が、相手に人に押し付けたり、何かの強要をしてしまっている場合は、アイデンティティがまだまだ確立しきって無いって事で、何かしらでまだ自信が足りないのだと思います。

 

アイデンティティの弱い人ととの付き合い方ですが、一番は距離を置くことだと思います。

 

同じくらいのアイデンティティだったら、きっと疲れないで付き合えるでしょうが、自分よりもアイデンティティが弱い人と付き合うと、多分その人は悪気なく無意識に自己防衛として増長します。

 

増長が感じられるとこちらも意識していないと自己防衛で増長が働いて、お互いのギスギス感が出来てしまうと思います。

 

なので、そういう人とはなるべくそうなってしまう間は突き合わず、しばらく時間をおいてみて、相手に自信が付いてきたり、アイデンティティが強くなってきたなぁと思ったら普通に付き合うなり話をするなりすれば良いのかなぁと思います。

 

しかしながら、それが仕事に関しての人間関係だった場合は時間を置くとか距離を置くとか言ってられませんよね。

 

その場合は、もう、ひたすらに自分が意識してその人と話したり関わる間は、なるべく相手の増長に対してこちらの無意識が反応しないように受け流すなり無にするなり、予め自分の中で対応策を練っておいてから関わるようにする他無いのかなと思います。

 

まあ、かなり疲れるでしょうから、なるべくその人と関わる時間や考える時間を短くするようにコントロールするのがいいと思います。

 

その人の愚痴を他人に話したり、イヤダイヤダと考えてしまうと、結局無駄な時間が増えるだけでいいことはないので、ちゃちゃっと必要最低限に終わらせて、とにかく相手のアイデンティティが育つのを待つしか無いかなぁと思います。

 

そして、同時に自分のアイデンティティも育てていけばいいのだと思います。

 

そうすることで自分自身の対応力が付いたと一つの自信にもなり、普通に人と対峙した時に、きっと余裕を持って対処出来るようになるので、その人との時間はきっと無駄にはならないでしょう。

 

そんな風に考えて、嫌な人でも関わった時間が別の人との関わりで有益に変わると思って行けたらなぁと思いました。

 

今日はそんなところです。

 

最後までご愛読いただきまして、ありがとうございます!!