速報にあったレトロゲームのランダマイザーの使い方による遊び方から、海外のランダマイザー、日本の縛りプレイという文化の違いについて語る
さてさて、最近レトロゲームのブームが到来しているようでして、その波は海外にも及んでいます。
その海外で今話題となっているのが「ランダマイザー」。
これは何かというと、簡単に言うとゲーム内のアイテムやイベントをランダムに混ぜて、基本的なゲームのルールは則りつつ、全く違う新鮮なゲームを味わう事ができる仕組みです。
イメージはゼルダの2周目みたいな感じですね。
基本的なベースは変わってないけど、中身が違っているみたいな。
また、このランダマイザーは違うゲームを2つ組み合わせて、同時に進行させるみたいな事も出来るみたいで、遊び方、使い方としては色々と可能性がある仕組みのようです。
このランダマイザーが海外で流行っている流れを見た時に、ふと思ったんですが、日本だと縛りプレイが流行っているじゃ無いですか。
この違いについて、すごく海外と日本での文化の違いというか、お互いの文化のあり方みたいなもの、価値観とか世界観っていうのでしょうか?そういうのが色濃く映し出されているようで、ちょっとおもしろいなって思ったんです。
まずね、ランダマイズの面白さって、完全に仕様は同じだけど、全く違うゲームとして遊べるって事ですよね。
つまり、今までの攻略法は使えないから、これから新しい発見をしていくってことだと思うんですね。
まあ、単純に難易度上がりますよね。
なので、そのゲームに対して腕に自信があるユーザーにとっては挑戦しがいのあるのがランダマイズだと思うんです。
また、自信のあるゲームが複数ある場合は、それを組み合わせることで、両方のテクニックと知識を必要とするので、更に難易度が跳ね上がって、挑戦のしがいは上がるのだと思います。
一方、縛りプレイの場合は、一見した見た目と仕様は全く変わりません。
その代わり、自分自身がルールに制限を設けることで、そのゲームの難易度を跳ね上げさせています。
有名なのがあの加山雄三さんもハマったバイオハザードのナイフクリア(普通は銃器などの強い武器を駆使してクリアする)とか、ロマサガ一人旅、アイテム縛りとかレベル縛りとかですかね。
アクションゲームにおける、ノーコンティニュークリアとかノーミスクリア、ノーダメージクリアとかもこれに当てはまるでしょうし、レースゲームでの周回遅れプレイも同じ様に言えます。
この縛りプレイというのは、ゲームそのものを変えること無く、ゲームはそのままに、それに対する自分の関わり方を変えることで、難易度を上げています。
なので、逆に言うと、それを破ってしまうのも自分で簡単に出来てしまうんですよね。
強制的に変化させるのがランダマイザーだとすると、自律的に変化するのが縛りプレイと言ったところでしょうか。
これね、このゲームそのものを変えちゃう発想と、それによって自分の腕を試す感覚と、ゲームそのものは変えないで、関わり方を自分で変える事で自分の腕を試す感覚、文化や感覚の違いが出ているよなぁって思うんです。
簡単に言うと、海外の方が派手で分かりやすい。
一方日本はそこまで派手ではなく、意見したら何も変わってないけど、よく見ると、その奥深いところに発見があるみたいな。
そんなイメージあるじゃないですか。
これとランダマイザーと縛りプレイってめっちゃ当てはまるなぁって思ったんです。
ランダマイザーはゲームの変更具合がまあ、派手というか、かなり変わってしまいますし、その変化は分かりやすいじゃないですか。
でも、縛りプレイの方は一見してその変化は分からない訳ですよ。
でも、そのやり方に注目するとその難しさが見えてくる、っとまあ、まるで日本文化の侘び寂びみたいじゃないですか。
そんな風に、文化圏によって楽しみ方やアレンジの仕方が変わってくるんだなって思ったんです。
例えば、料理にしても、海外の方が盛り付けが派手な方がウケる感じですが、日本はどちらかというと素材を活かすとか、そっちの方がウケるじゃないですか。
静と動ってんでしょうか?
そうか!海外はラオウなんですよ!!
剛の拳。
んで、日本はトキな訳です!!!
柔の拳。
で、トキはラオウに憧れてましたよね。
トキ自身ラオウが認めるほど強く、そして、素晴らしい拳を極めているのに、トキは兄の拳にずっと憧れをいだき続けていた訳です。
それと同じ様に、日本も素晴らしい日本文化ってのがあるのに、ずっと海外に憧れ続けているみたいな、そんなイメージ無いですかね?
なんか、そう考えたら勝手にふと納得してしまいました。
(ちなみに、ラオウとトキは北斗の拳という漫画の登場人物です)
しかし、それにしても海外にまで影響を及ぼす日本のゲーム文化ってやっぱりすごいなって思うんです。
それはひとえにね、ゲーム開発者の想いと思想と哲学があったからこそ、文化たり得たのだと思うんですね。
例えば、スーパーマリオの土管の高さの配置一つにしても、色々と考え抜かれて配置されてるんですよ。
この辺はゲーム夜話に話を譲りますが、造り手が、いかにプレイヤーに対して繰り返し楽しんでもらえるか?ということに着目して、ものすごく親切に、そして、時に辛辣にプレイヤーへ挑戦を投げかけてるんですよね。
そう思うと、これまで作られてきたレトロゲームの全てはある意味で伝統工芸品とも言えて、そう考えると、ランダマイザーは日本の伝統工芸品をバラバラにして、色々と適当にくっつけてみたら、それっぽいアートになったみたな、そんな感じにも思えてきます。
そして、縛りプレイは今までの伝統工芸品に対する評価とか見方を一転させ、違った見方、視点を持つことで、新たな楽しみを得るみたいな、そんな感じでしょうか。
アートで思い出しましたが、最近ではファミコンにショックを与えてバグった画像をアートにしようとしている人が居ましたね。
なので、アートの世界に決まりは無いですよね。
別に伝統工芸品をグチャグチャにされたとて、それをアートして再構築している事は悪いことじゃないと思いますし、そこから新たな価値が生まれることも非常にあると思います。
内に内にへミクロ的な、内在的発見をしていく日本の文化と、外へ外へとマクロ的な大きな変化をもたらしていく海外(主にアメリカですかね)の文化。
それぞれの文化のそれぞれの良さが伺える話だったなとランダマイザーの話を聞いて思いました。
今日はそんなところです。