なぜ、日本のメディアは日本という国を悪く良い、日本人の能力が低いように言うのか?
僕ね、すごく最近思うんです。
もっと国を良くしようとか、日本のGDPが低いとか、人工が少ないとか、色々とニュースネタあるじゃないですか。
ニュースのキーワードって基本、悪印象な言葉とかネガティブな印象のモノのほうが多いよなって。
でね、なんでかって考えたら、恐らくはまあ既得権益者によって、多くの日本人が自分の国は悪い国で、自分たちの能力は低いって思っていた方が、得だからそうしている訳なんですよね。
じゃあ、どうして既得権益者にとって、国民の大勢が自国が悪くて自分たちは能力が低いって思ってた方が得なのかって言うと、まず、能力が低いって思っていてくれた方が、経営者とか雇う側としては雇用にかかる費用を抑えることが出来ますよね。
能力が低いって思い込んでいる人だったら、その人に安い賃金渡していても文句言われ難いですよね。
でも、逆に自分たちの能力はもっと高いんだ!って強く思っている人が雇われに来た場合、そういう人って中々雇いにくいか賃金を上げないと雇えなかったりします。
さて、ここで思考実験なのですが、仮に日本人のすべての人が自分自身の能力を高く見積もるようになったとしましょう。
すると、どういう世の中になるかというと、まず賃金の安い会社に入らなくなります。
そうすると大企業とかは雇用人数を確保出来なくなって、今の仕組み、状況を維持することが出来なくなります。
また、自分の見積もった能力が今ある会社の賃金より低い人たちは、恐らくですが、自分で会社を作って何かをしだすでしょう。
そうすると、社会全体としてものすごい変化が生まれます。
変化が生まれると、同じく大企業としてはその変化に対応しなければ、生き残れませんが、大企業は変化することは難しいです。
なぜならば、大きすぎるから故に、大きな変化に耐えられないのです。
つまり、大企業にとって、社会的な変化が起こることや雇用が確保できないことってのは、自らの今の状況を維持できない=大企業にとって望まない未来な訳です。
つまり、大企業にとっては大半の人たちが自分の能力を低く見積もって居てくれる方が良いわけです。
次に、自国が悪いって思うか、そうでないかについて。
なぜ、自国を悪いと思っている人が多い方が、既得権益者にとって都合が良いのでしょうか?
それは、まず政治家が自分たちの存在意義を国民に認めてもらうために必要なのです。
今、衆議院、参議院の議員の人数ってみなさんご存知でしょうか?
そして、彼らの給料とかその総額って分かりますか?
まあ、ググれば出てくると思いますが、その額って、ぶっちゃけものすごい額な訳ですよ。
(調べて書けよって話ですけど、まあ、どうせ重箱の隅をつつかれそうなので書きません)
んでね、消費税上げて国の税収を上げるくらいなら、国会議員を半分にした方が、全然国のお金は回るのですよ。
給料として支払われる額以外にも、まあ、色んなお金が動いているじゃないですか。
議員数が半分以下になれば、少なくとも頑張っている議員さんは置いておいて、金策にせっせと自己顕示欲や自己承認欲求に勤しんでいる議員さんも半分減ればその人の無駄な給料及びその人の影響で無駄に使われるお金も今より半分になるんですよ。
でもね、無駄に大勢いる議員の数って減らないんです。
それはなぜか?
そう、国を良くするために頑張っているからです。
でも、あれ?そもそもこの国ってとっても豊かで良い国だよってもし、思う人が大半だったら、どうなるでしょう。
そう、そもそもいまめっちゃいい国なのに、なんでこんなに議員の数いるんだ?ってなりません?
国が悪いからそれを正すために必要なのだ!って論理が使えなくなるんですよ。
議員の数が多いことへの言い訳が立たなくなるんですよ。
なので、メディアが日本の現状が悪いってイメージを付けるのと、日本国民全体に対して各自の能力を低く見積もらせるように電波を垂れ流しているのは、大企業関連と政治家にとってそれが一番好都合だからなのだなと思いました。
因みに僕は、日本は今すごくいい国だと思いますし、住みやすいし、平和だし、子供も育てやすいと思いますし、日本人のポテンシャルってもっともっとすごいと思っていて、新橋で飲んだくれているサラリーマン達は、劉邦に要職を与えられなくて毎日ぐうたらしていた韓信と同じじゃないかなって思っています。
みんな、なんだかんだで隣人には優しいし、物は大切に使うし、街はキレイだし、犯罪が少ないのは日本の国民性の素晴らしさだってゴーン氏も言ってたくらい道徳感が豊かだし、一部のくだらない人が(メディアやSNSなどに)取り沙汰されてそれに目を曇らせないで、もっと自分の身の回りの全体を見ればいいと思う。
今日はそんなところです。