サブカルアキバパパ

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落合陽一氏が面白い

図書館でなんとなく知って、その後にホリエモンの本やらラジオとかで知ったのですが、すっごく面白い人です!!

 

まだ、知らない人は、ぜひ、この続きを読む前に、YouTubeで検索してみて何か適当な10分位見てみてください。

 

落合陽一氏を知らない人向けに軽く説明しますと、この人のお父さんの落合信彦氏が国際ジャーナリストで、たくさんの本を書いていて、元々は不動産売買をされていたらしく、土地ころがしで財を成したそうでが、それに飽きて、世界を飛び回ってその経験を本にして発信していた人だというのが僕の認識です。

 

僕はその中でもそして、数年経った後、その落合氏の息子という名目で本が出ていて、見るとサイエンスアーティストと「落合信彦 最後の真実」というのを読んだのですが、語り口や考え方が当時の自分にとってはすごく刺激的で、面白い人がいるなぁと思いました。

 

のことで、29歳の若さで筑波大の助教授を務めるという、お父さんは文系なのに、息子は理系に行ったという面白い人だなあというのが僕の最初の認識でした。

 

メディアアーティストと称している通り、落合陽一氏は、物理を使って、ものを浮かす技術とか見た目に面白い技術を研究したり、考え方を発信したりしています。

 

考え方の発信は、お父さん譲りなのかなとも思います。

 

動画を見た人は分かると思いますが、話し方や語り口調に癖があり、人によってはあまり好まない人もいるかも知れません。

 

僕は、割りと好きな感じの印象を受けました。

 

多分、ホリエモンひろゆき氏が嫌いな人は、落合陽一氏も嫌いだと思いますし、逆にホリエモンひろゆき氏に対して嫌悪感を抱かない人は落合陽一氏に対しても嫌悪感はないと思います。

 

基本、理系とういよりもコンピュータサイエンス寄りな考え方かなと思い、使っている言葉も専門的な言い回しと言うか、あまり一般的な会話に使わないような言葉も出てきます。

 

一見して、最初は聞きづらいかもしれないのですが、意味や内容が分かっていると、ネイティブの人が、一部会話の中で英語を使って表現した方が分かりやすいみたいな感じで、使っている用語を知っていると、結構すんなりと話が入ってきて面白いです。

 

プログラマーさん、SEさんとか、ブロガーさん、SEO業界とかIT関連やインターネットに関わっている人は割りと用語に親和性があるんじゃないかなと思います。

 

本でも若い世代だけでなく、壮年層にも語りかけて、日本をみんなで変えていきましょう的なポジティブなメッセージを出しているのが、とってもいいなぁと思いました。

 

僕は、利権主義というか、既得権益にしがみついた人があまり好きではないのですが、まあ、簡単に言ってしまえば老害と呼ばれるような人ですね。

 

例えば、年を取れば必然的に偉いと考えるのも既得権益主義者だと思います。

 

もちろん、礼儀とか節度というのは他人同士のコミュニケーションでは必要ですから、誰でも気軽にタメ口OKとは言いません。

 

ですが、自分は年を取っているのだから、無条件で敬えというのは、とっても暴力的な考えじゃないかなと思うんです。

 

じゃあ、そう思っているあなたは、他人に対して敬っていますか?

 

と問い返したいです。

 

逆に、自分が今までそうやって若いときに、無条件に敬いたくもない人に対して敬ってきたから、お前も若いうちは同じように敬えってのも、とっても暴力的な思想だと思います。

 

そうではなくて、老若男女かかわず、みな一様に、他人に対しては敬いの気持ちを持って接するって方がいいと思うんです。

 

別にだからといって、全部いつでも正しい敬語でしゃべれとかそーゆーのでもないです。

 

気持ちの問題だと思うんです。

 

正しい言葉使いを出来なかったとしても、そういう、敬う気持ちを持って接していれば、相手にもその気持は伝わると思いますし、仮にそういう不完全な部分(正しい言葉遣いが出来ていないという所)を責める人がいたら、そういう人からは距離を置けばいいと思うんです。

 

んでもって、誰に対しても敬う気持ちを持つってのは、自分が年下の人と接する時もですし、子供に対してもそうだと思うんです。

 

もちろん、子供は大人に比べて未熟な部分がたくさんありますが、だからといって、下に見ていい存在だとは思いません。

 

子供の未熟さは、ある意味では、単なる違いだと思うんです。

 

我々大人の脳は、数ある可能性の中で絞込をこなった結果、未熟さを失い、社会性や創造性、経済的観念や忍耐力、知識、などを得てきたわけですが、逆にいうと、子どもたちには、我々大人が捨てた、たくさんの可能性をまだ持っているということだと思うんです。

 

だから、未熟であるからという理由で子供を敬わないというのは、年上であるという理由で年下を敬わない人と同じ既得権益主義だと思います。

 

年上至上の人は年齢が既得権で、子供未熟派の人は、知識や能力が既得権になっていると思うんです。

 

既得権益主義の何が危険かというと、差別主義とつながっているかなと思うわけです。

 

つまり、お前は俺と違うから、はいダメーって感じです。

 

そして、俺はお前らとこれこれこういう面で違うから偉いんだーって感じです。

 

年が上だからゴイスー、知識あるからチョー強ー、って他人に主張する考え方って、日本人だからいい思いするのは当たり前ーとか、白人だから、黒人よりも偉いーって考えに寄っていくかなと。

 

差別と区別の違いですよね。

 

違いを認識するまではいいと思うんですよ。

 

でも、違いに上下関係とか、善悪、良し悪しを付けるのが良くないと思うわけです。

 

だから、自分で勝手に、俺は知識あるからゴイスー、年輪を重ねたからすんげぇって思うまでは良いんですが、それを他人にまで拡張して主張するのが良くないと思うわけです。

 

他人はあくまで他人ですし、自分とは違うと認識した上で、更に敬う気持ちを持って、接することが、形式にとらわれない、何より大切な礼節なんじゃないかと思いました。

 

そんな気持ちで落合陽一氏の動画を見てみると、もしかしたら、最初は違和感を持った方も、意外とすんなりと話が聞けるんじゃないかなって思いました。