リボ払いの仕組みについて小学生の時知った時、一瞬でデメリットを理解した話
皆さんはリボ払いって使ってますか?
カードによっては勝手にリボ払いになっているカードとかあるみたいで、もしかしたら意識して使ってない場合もあると思うんですが、そもそものこのリボ払いって、かなり悪質ってか悪魔な仕組みだと僕は思っています。
そもそもなのですが、借金ってシステム自体がかなり搾取する仕組みですよね。
そして、リボ払いは借金で有ることすら知らないで利用している人も少なくいるみたいで、まさに知らないと怖い、やばい仕組みだなと思います。
僕が初めてこのリボ払いを知ったのは小学生の家庭科の時間でした。
家庭科はなぜか専科の先生が教えてくれて、その時にリボ払いについての教科書にのっていて、説明をされたのですが、今考えると色々と疑問がふつふつと湧いてくるような事をちょっと思います。
まず、リボ払いの説明を聞いて、一番最初に僕が思ったのは、これって損しかなくない?って事でした。
お金を毎月決まった額で支払えるとは言え、最終的に支払う金額は大きく膨れ上がっているのですから、これって借金と何が違うんですか?って先生に質問したと思います。
先生は一般的な借金はこうで支払い方がどうでみたいな説明をし、反面リボ払いはどうでみたいな感じで言ってましたが、僕からしたらどっちも損するよくわからない仕組みでしかありませんでした。
なので、先生の率直にどうしてそんな損する仕組みを使うんですか?って聞いたら、お金が払えない場合があるみたいな事を言ってて、そこで追い打ちをかけるように、僕は、だったら買わなきゃ良いんじゃないですか?って質問しました。
そしたら先生なんか怒ってる風で、大人には大人の事情があるみたいな体で説明しつつ、とにかくリボ払いは便利なのだと一辺倒に説明して授業を終わらせてしまいました。
この時は、僕の感覚ではお小遣いをもらっていてもお小遣いで買えないものは買わなければいい的な感覚でした。
とは言えお小遣いもらってなかったんですけどね。
まあ、収入と生活コストのバランスって感覚はまるで無かったんですが、それがきっと先生の逆鱗に触れてしまったのかなと思いましたが、今振り返って考えてみると、これ、旧文部省は教科書で推進して書かれているんですよね。
恐ろしくないですか?
子供に借金(リボ払い)は良いことだよ!って洗脳しようとしてたんですよ。
今振り返るとすげー恐ろしいことを平気で子供に刷り込むなってのと、それをなんの疑問もなく省庁のスピーカーとしての役割を全うしようとしてしまう先生という役割について、ふと考えてしまいました。
子供達の未来を考えるなら、子供達にとって害悪のあることはちゃんと害悪であると教え、有益になることは有益であると教えて行くのが先生だと勝手に思ってましたが、そりゃシステムを考えれば、先生というのは一つの枠組みの中で教えられることを教える存在でしか無かったんだよなって認識を改めさせられました。
なので、そういった、世の中の仕組みについて、根幹だったり、基本的な考え方については親として自分は子供達にしっかりと教えていきつつ、学校で教わることと、実際の現実についての違いをしっかりと感覚として身に付けさせる必要があるなと思ったのです。
そんで思ったんですけど、リボ払い今やっている人達、それで苦しんでいる人達って多分僕と同世代かその前後だと思うんですよ。
って事は、旧文部省、つまり学校教育で「リボ払いは便利で素晴らしいもの」って価値観を植え付けられて、テレビのCMでタレントが「リボ払い便利!」って何回も刷り込んでその結果、リビ払いをして地獄にハマってしまったって事ですよね。
政府こわ!とかって思います。
癒着してたんだろうなって、当時の銀行なり金融業界と教育業界と絶対某かのあったんだろうなって。
でなきゃあんなにタイミング良く出来ないですもん。
先生も仕組みとしては説明するにして、これは結局の所借金ですから皆さんはしないように気をつけて下さいねって言うはずじゃ無いですか。
でもまあ、金融の話、特に複利計算って学校ではその恐ろしさと効能については教えてくれないですもんね。
昔は算術で習ってたんですよね。
複利計算と幾何学って農業ですげー大事だったから、昔の寺小屋みたいな所では当たり前のようにやっていた。
けれども学校教育として文部省ってのが出来て、教科書が定められた時から、その一部が省かれた。
そして、右肩上がりの景気に銀行、経団連、政府がこぞって国民をうまい具合に乗せて借金をローンって言い方に変えたりして、借金して大きな買い物をする文化を作り上げてしまいましたよね。
その借金の恐ろしさを教えないで。
つまり複利についての知識を奪って、一部の人達が得して来たのです。
こーゆーのって、多分、学校じゃ教えてくれないですよね。
奨学金とかも、これ奨励金と違うじゃないですか。
一字違いですけど、片方は頭良かったら免除ですけど、片方は卒業と同時に地獄が待っているじゃないですか。
この詐欺システム考えた人本当に頭いいと思います。
まあ、旧官僚でしょうね。
ともあれ、子供に金融的な知識、学校で教わることと実際の世の中での価値観の違いとかをちゃんと予め教えておく必要があるんだなと思います。
自分も学校からも親からも誰からも教わらなかった事、本当に沢山あるなって思います。
ってか、きっと、学校の先生も親も、みんな気が付いてないんでそうね、何が大事で何を子供に教えるべきかとか、自分自身ですらどうするべきかみたいな事を多分気が付いてなかったんだと思います。
昔はテレビと新聞しかメディアが無かったので、洗脳されて終わってたんだと思います。
ですが、今はネットを通して好きに情報収集するメディアを選べるようになったので、恣意的な一方通行な洗脳から抜けられる状況になりました。
これって、宗教と似てるなって思うんです。
昔は日本全体が、いや、世界中がそれぞれに、それぞれの宗教に入っていて、滅多に外に出ないもんですから、自分達に文化の異常さに気が付かないで、それが普通だと思って生活しているみたいな。
新興宗教とか、囲うじゃないですか。
情報遮断。
これですよね。
結局、人を支配する手法って割と画一的ではあるにせよ、それは大規模にも出来るある意味で普遍的なやり方だったんだなって思います。
今は脱洗脳、情報遮断から情報と情報が繋がっていきますが、逆にフェイクニュースも多くあります。
そして、逆に言うと、そのフェイクニュースの多くから、我々は今まで享受していたニュースすらもフェイクであるという可能性に気がつけた訳です。
つまり、フェイクのニュースって当たり前にあるんだって思ったからこそ、既存のニュースもフェイクである可能性を疑えたわけです。
情報の取捨択一を迫られるようにはなりましたが、ある意味では選べる自由を得たとも言えます。
ぶっちゃけ今自分の親とかその近辺の世代の人と話していると、テレビばっか見ている人と、テレビを意図的に遮断するようになっている人と分かれていますね。
そして、テレビを相変わらず見ている人は、例えネットの情報も見ていると言っても、結局テレビの恣意的な方に偏っているように思います。
つまり、情報に対する懐疑心はあるんだって意識を持ちつつ、テレビ側の恣意的な操作に踊らされているのに気が付かないでいる感じです。
一方、テレビ・新聞を遮断している人は、割と話が通りやすい感じがします。
うちの親は前者なので、中々コミュニケーションに苦労しますが、まあある意味でこれは諦めつつ、子供には影響が無いようにと思っております。
そんなこんなで、世の中には平気で罠が転がっているナニワ金融道的な世界が実はかなり身近にあったなって思いつつ、そうは言いつつも、人間それほど捨てたもんじゃなく、身近な人は逆にいい人が多いなって実感した次第です。
今日はそんなところです。