サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。


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少し狡賢くて、自分の為に嘘を付ける子、要領のいい子が特をするシステム

学校にしても世の中にしても、バカ正直だと損をします。

 

逆に、自分の利益のために平気で嘘を付ける子や、要領のいい子の方が得をする仕組みになっているのが今の学校教育のシステムだと思います。

 

いや、これは学校教育以外にも、世の中の法律を元にした根本の仕組み自体が、正直者は損をして、利己的になれる人の方が得をする仕組みになっています。

 

高校生までは、先生という絶対的な上片の存在がいますが、それを卒業すると、徐々に上下関係や、色々なモノの基準というのが、曖昧になっていきます。

 

関係性の希薄、ルールの曖昧化、自由と引き換えに、我々は自己責任というものを背負うようになります。

 

無秩序を統治するために法律という一律の決まりごとにて一応は収まりを付けていますが、法律というのはあくまで抑止力に過ぎないと僕は思っています。

 

法律やルール、世間の常識や風潮みたいなモノは、一定水準で、人の質を均一化する方向に働きますが、ある程度の度を超えた人を縛ったり強制したりするまでの効力はありません。

 

その場合、結局の所、僕たちは、自助努力、自己防衛を行わなければなりません。

 

そうでなければ、誰も守ってくれません。

 

この、自助努力について、大人でも正直自分で出来ているという人は少ないと思います。

 

お金がある人はガードマンや秘書を雇うことで、物理的、精神的な本人への直接関与をある程度コントロールすることは可能です。

 

しかし、それ以外の人達は、通常は自分たちで、物理的にも精神的にも自分とその家族に危害を加えようとする他人に対して、防衛行為だったり、予防策をしていかないといけません。

 

そうは言いつつも、実際にそれを考えたり、意識したり、行っている人はほぼほぼ皆無では無いでしょうか?

 

そういう中、小学校のいじめ問題とか、言った言わない、やったやられたみたいな話が出てきた時に、無論、加害者側は、危害を加えることを抑制する教育が必要になりますが、反対に被害者側には、一体どのような教育が必要になるのでしょうか?

 

嫌なことがあったら逃げなさい、ある程度ならやり返してもいいよ、やり返すなら手は出さないで口で返しなさい、先生に言いましょう、友達に相談しよう、色々とあるかもですが、この中でどれも、被害者が今まさに、被害を受けようとしている瞬間に対して、その時にどういうアクションを行うべきかという回答はありません。

 

僕らは、通常、自分たちも実際のところは運がいいのか、物理的、精神的な危害を加えてくる人に会っていないだけで、実はその危害を受ける危険性と常に隣り合わせだったりしますが、その事に気が付いている人もいなければ、予防策や対応を考えたりする人もいません。

 

なので、大人ですら、どのように対応するべきか分からない問題を孕んでいる中、子供に対してどうするべきかという回答はやはり出にくいのだろうと思います。

 

精神的なある種のバリアの張り方、ブラフや見栄の張り方、対他人への自分の見せ方など、一部の芸能人や人に見られる商売の人達しか恐らく意識して行っていないであろう、考えや技術が、その実小学生の時から実は必要になっているという事実をもっと僕らは意識すべきなのかなとふと考えさせられました。

 

結局、平和だと、何も問題が無いと、やっぱり人って真剣に考えないじゃないですか。

 

何か鬼気迫るものがあったり、実際に危害を加えられたり、脅威を感じたりすることで、初めて真剣にその事について考えたり、予防策や対応策を立てたりすると思います。

 

本当は、性善説のように、皆が一様に悪意を持った行動をとらないというのが理想ではあると思いますが、更に理想を言えば、きっと、悪意を持った人が、その悪意を行使しても、未遂に終わるように、各々が事前に準備してれば、ほんの一瞬でも悪意を持ってしまって何かしてしまいそうになっても、未遂で済むため、本人が我に返った時、元に戻れるのかなと。

 

子供の喧嘩の場合だったら、その子ども自身を強くしておけば、相手が来た時に、かわしたり、いなしたり、抑えたり、逃げたりすることが出来ます。

 

相手が悪口や人を傷つけるような事を言う場合は、それを言われた時の対処法として、どのようにそれを受け止めるのかというのを予め子供に教えておけば、嫌なこと、きついことを言われても、傷ついたり、腹を立てるという事も、少なくなります。

 

これは、大人でも中々難しい部分もありますが、親は例えそれが自分で出来ない事だとしても、子供に必要な事であれば、自分が出来るできないに関わらず、教えていく必要があるのだろうなと思いました。

 

ちょうど、オリンピックのコーチは金メダルを取れるような身体能力は無いですが、選手をそこまで引き上げるコーチングの能力に長けているのと同じ様に、子供にこれから教育する技術や何かを親自身が出来ている必要はなく、子供の能力として引き上げられるコーチング力さえあれば、いいのだろうと思います。

 

今日はそんな所です!