片付けの本質は捨てることである
おはようございます!!
先日、人がうちに遊びに来て、まあ、あたりを見回して
「今度片付けたら?」
と一言。
自分的には普通に片付いていると思っていたのですが、どうやらその友人の目には全然片付いているようには見えなかったようです。
それから少しして、その人から家を片付けたと連絡があり、写真が送られてくると大量のゴミ袋の写真が。
なるほど、片付けるってのは、整理整頓もそうだけど、そもそも、いらないものを捨てないといけないのか!とまあ、至極、当たり前のことに気が付かされたのでした。
そういえば、前に腐海に飲まれて足の踏み場もなく、コナンのマスコット人形の蘭の頭の尖った所を踏んづけて、激痛に悩まされていたあの頃、それを解消したのもまずは捨てることからだったのを思い出します。
こんまり師匠も、まずはいらないものと必要なものを、手に取った時にトキメクかトキメカないかで選んで捨てましょうって言ってましたしね。
ところが先日、ゴミ捨て場で割れたマグカップを捨てようとして、ふと思ったんです。
「あれ?これ、両側かけちゃったけど、上手く使えば割れてないところから飲めなくね?」
っと、思った時に、あ、俺こういう風に考えてものを捨てないからドンドン溜まって行っちゃうんだって気がついたんですね。
そして、捨てる時にも、
「今まで、ありがとうございました。」
と手を合わせて捨ててて、危うくなんかマグカップが可愛そうになって、もっかい拾いそうになったところで、いけないいけない、こういう風にものを拾ってしまうからドンドン溜まって行っちゃうんだって、はたまた気がついたんですね。
古い物は多少壊れても使うけど、新しいものも買っていたら、そりゃまあ物は増えますし、片付かなくなりますよね。
あ、すみません、多少壊れてもと書きましたが、嘘つきました。
壊れたものも、修理しようと捨てないで残していました。
でも、今はもう、買い替えの時代なんですよね。
修理して使うなら、すぐに修理するならまだしも、何日もいや、何ヶ月も放って置くものなら、直ぐに捨ててしまって、必要になってから新たに買った方が、壊れたものを置いておくスペースの節約になりますもんね。
家の実家の両親もものを貯め込む人でした。
特に冷蔵庫がひどいです。
2個もある上に、まあ、回転率が悪い。どこに何があるのかきっと本人も把握しきれていないに違いありません。
実質可動して回転しているのは冷蔵庫の3割も無いんじゃないかなって前に実家で料理作っている時に思いました。
そういえば、父方の祖母も物が多かった気もします。
そうですね、その時も片付ける=大量の物を捨てる、という感じでしたもんね。
自分も整理整頓の前に、まずは不用品を大量に捨てて、家の中の膿を出してから、整理整頓はその後からなんですよね。
よく、鬱病の人が治療に際して、まずは早起きと朝の散歩からと言われて、朝起きるのが出来ないと嘆くあれと似ていますね。
部屋の片付けはまずは捨てること。
そういえば、成功法則でもまずは行動することから、なんでもいいからやってみることから始めて、考えるのはやりながらと言うのもありますが、結局やる前にどうしても考えてしまいますよね。
なんでしょう?これって習慣なんですかね?
鬱病治療の早起き、事業家成功の行動、片付けの不用品廃棄。
これらに共通しているのって、多分それまでにその人がどんな生き方をしてきたのか、また、どんな考え方の環境で育って来たのかってのがありますよね。
そんでもって、今まで生きてきた習慣や考え方を変えるのって、やっぱり自分自身でしかなくて、自分自身の使う言葉や、普段行う行動を少しづつ変えていくしか無いんですよね。
しかも、無意識はいきなり大きく変わることを極端に嫌います。
現状維持を望む無意識にバレないように、少しづつ変えて、変えた方が現状だよと上書き出来る状態になるまで、徐々に徐々にゆっくりとやっている必要があるんですよね。
ダイエットと一緒ですね。
いきなりやると失敗してキックバック食らうけど、少しづつ無理ない範囲からやって、徐々に落としていく。
自分自身を変えるもう一つの方法は、他人に言われることですよね。
人間不思議とやらなくてもいいことを自分でやろうとするよりも、他人に強制されてとかお願いされてとか、他人の為にやった方が、パフォーマンスが上がる場合があります。
それを上手く利用するやり方ですね。
ともあれ、僕の部屋はまだ一向に片付く気配が無いまま、夏に突入しそうです。
それではまた明日!