なぜ彼女に対してストレスを感じてしまうのか?
みなさん、付き合いをしていると、彼女ないし、奥さんと意見が合わなかったり、ちょっと食い違ったりってしますよね。
んで、食い違った時に、ムリクリ自分の意見を通そうとか、貫いちゃうと、相手との摩擦が強くなったり、溝が深まったりするじゃないですか。
そこまでしなくても、意見は通さないけど、鉾は収めつつ、でも自分の中では矛盾を抱えたままとかだと、どうしてもモヤモヤみたいなものが心の中に残ってしまっていて、どこか消化不良というか、そんな気持ちが残ってしまい、何れにしても違和感は残ってしまうと思います。
そんでもって、そういうのが積もり積もって溜まっちゃうと、何かのきっかけで昔の話を持ち出してじゃ無いですけど、我慢の爆発で喧嘩がすごく悪い方向に行っちゃうこともあると思います。
何と言うか、まあ、そんな風にならないようにするにはどうしたらいいのかとかちょっと振り返って考えてみてどうしたらいいのかを自分なりに考えて、こう考えたらどうかみたいなことをメモ書き的に書いてみようと思います。
まず、自分が彼女に対してイライラを感じてしまう時について、一体どんな時にイライラしたりするのかを観察してみることから始めてみました。
観察すると言っても、リアルタイムでメモしたり、あ、今俺怒っているとか、その瞬間考えられたら、多分、そもそも喧嘩したり、モヤモヤを溜め込んだりしないと思うんですけど、とにかく、毎日できる限り日記を付けるようにして、付けられなかったら、その前日とか前々日とか振り返って、とにかく、この時自分はこういう行動を取ったみたいに書くことから始めました。
記録していて、最初はまるで分からなかったのですが、半年分以上記録してみると、意外と自分がイライラしたり怒ったりするパターンみたいなものが見えてきました。
僕の場合は、相手が自分の価値観に反した行動をしていて、それについてこちらがそうではないと正しても言うことを聞かなかったりする場合に、高確率で自分の機嫌が悪くなる事に気が付きました。
また、彼女と意見や考え方の根本的な違いが垣間見えた時に、なんとなく自分が彼女から引いているのも分かりました。
どちらかというと、そういう面が出てきた時に、本当にこの人と一緒にいるべきなのだろうか?みたいなことを基本的に考えて、そういう面が出ると、別れを意識するような行動をしていました。
さてさて、そんなこんなで自分の行動パターンと思考パターンが分かったところで、まずどうしたか?
とりあえず、彼女と別れるべきなのかとか、離れたほうが良いのか的なネガティブな事を迷ったり考えたりした時期がありました。
まあ、色々あって、彼女を信じられなくなったりもしたのでしょう。
ですが、彼女が完全に自分から離れるまでは、自分は彼女に対して誠実であろうと思いました。
なぜかというと、嫌な出来事って、多分そこで避けたら、また違う形で同じ様な嫌な出来事が起こるんじゃないかと思うからです。
なので、ある意味でこれは試練みたいなもので、自分がその試練を乗り換えれば勝手に嫌なことは無くなるだろうと思ったのです。
その無くなるという結果は、もしかしたら彼女が僕の元から去るという結果かも知れないし、或いは僕自身が彼女に対しての考えや捉え方が変わって嫌ではなくなるとか、もしくは彼女が変わって嫌だと僕自身が感じなくなるとか、そんな感じでとにかく自分が乗り越えるべき問題は逃げずに立ち向かってみよう的な、変な修行僧感で突き進むことにしたんですね。
後、ここで人を切り捨ててしまったら、今後も全て、そうやって自分に都合の悪い場合は人を切り捨てるみたいな感じになってしまうのではないかと思ったんです。
あからさまに相手に何か非があって、それが理由で絶対的に別れた方がいいというケースだったら、まあ、どうなんですかね?でも、まだそのケースまでは行ってないような気がしたので、とりあえずは、見、自分の修行だと思うようにしました。
相手から回避するという選択肢を潰した次に考えたのは、彼女が自分の思想、思惑とは異なる行動を取った時に自分の感情をどう処理するかです。
これは、子供とかペットに対して自分がどう接していたかを参考にしました。
ようは、彼ら(子供やペット)はまあ、理屈や言葉が通じない訳です。
なので、ガンガンこっちの要望を無視した行動を取ってきます。
しかし、そこでムキになって、真正面から立ち向かっても徒労に終わるだけです。
恋人もこれと同じだと割り切ったのです。
そう、つまりは、女性なのですから、その時点で自分とは大きく異なる存在な訳です。
普段、自分は人との違い、価値観の違いを認め合おうとか自分の中で言っているくせに、自分では、恋人との価値観の相違についてすら許せていなかったのです。
なるほど、これは改善のしようがあるぞと、そう思って、とりあえず価値観が違うこと、考え方の根本が違うことについては、今度は無視するというか、とにかくあまり深く気にしないように努めました。
だって、人間なのだから、違う人なのだから、自分と違う考え方もするし、行動原理も違うし、言って聞かせてやらせてみせるなんて、そんなの強要できないし、束縛じゃないですかそれって。
なんか、それはやぱりかっこ悪いなと思いつつ、ただ、自分がされて嫌なことは伝えて、でも、相手がすることに関して必要以上に首を突っ込まないようにしました。
するとあることに気がついたのですが、今までは一緒にいてくれるということに関してひどく当たり前で、そのことが自分にとって、非常に大きくプラスに作用していたことを忘れていたのです。
つまり、どんな些細な気になる点があろうが、少なくとも一緒にいてくれる時間を作ってくれているのは事実で、その時点でもうありがたいことこの上ない訳ですよ。
それなのに、それ以上に自分は今まで何かよく分からないモノを相手に求め続けていたなと反省しまして、とにかく、相手が自分とコミュニケートしてくれるだけで、ありがたいということに注視するようにして、当たり前と思わないで、ありがたいと思うように努めました。
なんか、そこいくと、何も言えなくて夏のサビの部分の歌詞みたいですね。
水のように空気のように意味を忘れずに 当たり前の愛など無いと心に誓おう
ほんとにそうだなって思いました。
なんかよく分からない感じになりましたが、言いたかったのは、苛ついたり怒ったりする原因って、実は相手の存在に対して感謝することを忘れたからじゃね?ってことなんです。
ようは、相手の存在を当たり前だと思うと、感謝しないどころか、何かしらのマイナス要素が出る度に単純にマイナス評価をしてしまい、それで苛ついたり怒ったりしていまうんじゃないかと。
当たり前だとスタートラインが0じゃないですか。
そうすると、マイナス評価が一つでも出てくると、すぐにマイナスになる。
仮にプラス評価が出たとしても、きっと日をまたいだら、忘れてしまってまた0にリセットされていたのでしょう。
つまり、当たり前だと思い続けていたんです。
なので、そうではなく、そもそもが、彼女でも奥さんでも一緒にいてくれている時点で、ものすごいプラスな状態の訳で、評価のスタートはかなりプラス値がある状態なんですよ実は。
なので、本当だったら、(相手に対する感謝さえ忘れていなければ)多少のマイナス評価や行動があったとしても、最初の感謝によるプラス値で相殺されて、よっぽどのことが無い限り、相手の評価がマイナスに転ずる事って無いんじゃないかと思ったんです。
そして、その日に起こったマイナス要素は次の日にはリセットされて、そして次の日には日々の感謝によるプラスポイントが加算された状態からまた始まるってのが、本来の相手に対する見方なんじゃないかなと。
つまり、本来であればお互いにこんな風に相手に対して見てあげていれば、そもそも喧嘩なんて起こらずに、まあ多少の意見の相違による意見交換、口論くらいはあるかもですが、溝が深まるような喧嘩とかまでは発展しなくて済むのかなと。
これは、若い人に限らず、自分の両親を見ても思います。
熟年の夫婦で、結婚していて、子供は離れて、お互いがお互いになんとなく愛想が尽かしている。でも、夫は家の家事が出来ないから、妻は収入源がないからというそれぞれの理由にて離婚しないみていな夫婦って少なくないと思うんです。
でも、そんな二人にしても、今までお互いが離れずに一緒にいた訳じゃないですか。
その事に関してはそれぞれがお互いに感謝していいと思うんですよ、ってか、寧ろ、もっと積極的に感謝するべきなんじゃないかなと。
特に、旦那さんは、家事をずっとやってくれている奥さんに対して、家事はお前の仕事だから当たり前だ的な前時代的旧石器時代な原始人な考えじゃなくて、普通に、そういうのを今までやってくれていたことに感謝するべきなんだと思うんです。
同じ様に、ずっと稼いで来てくれた旦那さんに対しては奥さんは、自分は家事やったんだだから、相手は稼いできて当然だ、じゃなくて、今まで稼ぎ続けてくれてありがとうって感謝するべきだと思うんです。
熟年夫婦に限らず、結婚したての新婚さん、付き合ったばかりの彼氏彼女にしても、とにかく、相手が自分と会ってくれる、話してくれる、コミュニケートしてくれるということが、もうすでに幸せでありがたい状況を作ってくれているという事に気が付いたほうがなんか、もっと幸せに近づくんじゃないかなとか思ったんです。
当たり前と思わないってのは、何も近しい人、恋人や奥さんに限らず、これってきっと全ての自分の身の周りのものに言えると思うんです。
当たり前だと思うと、お店の人がお水を持ってきてもありがたいと思いませんが、感謝の気持ちでいると、お水が運ばれただけでもありがとうって思えるじゃないですか。
当たり前って思っているのと、感謝の気持ちでいるのと、どっちがより幸せになる確率が高いかって比べたら、多分、圧倒的に後者だと思うんですよね。
なので、当たり前だと思っていた、つまり、自分にそれが起こるのは当然だと思っている出来事の全てを見直して、どこか感謝が足りてないんじゃないか?なにか感謝していない部分は無いかって自問自答したら、新しい幸せへの扉が切り開けるんじゃ無いかと思ったんです。
そんなこんなを言いたくて、ふとメモ的に書きなぐってみました。
夫婦の問題、恋人との喧嘩、両親の不仲、その他人間関係などで悩んでいることでもしかしたら、この考え方で解決の糸口が見えたら幸いです。