サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。


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歳を取るほどに謙虚になった方が実はカッコいいって思った話

つい先日、誕生日を迎えまして、ふと自分の歳について考えてみたのですが、まあ、体力的な衰えはどちらかというと運動不足のせいにして、それ以外で特に衰えたと感じる事はあまり無いかなって思ってたんですね。

 

でも、なんかここ最近ふと周りの人、コンビニの店員さんとかのいわゆる他人的な人を含めて、ちょっとした違和感みたいな物を感じてたんですね。

 

まあ、その違和感を感じていたのは実はもっと前からなのですが、僕は割と昔から性格的にというか、キャラクター的にも割と友達や周りの人からいじられるというか、まあ、ネタにされることが結構多かった感じなんですね。

 

今風によく言うと愛されキャラ、まあ、いわゆるいじられキャラです。

 

なので、他人というのは基本的に自分に対して遠慮なくずけずけと踏み込んでくるというのが自分の中では当たり前な感覚でした。

 

そして、それに対して自分もどこをどう踏み込んでこられても、切り返しを考えて答えるみたいな、そんなよく分からない自信がありました。

 

ですが、ある時くらいから、他人が僕に対して遠慮するようになったというか、なんでしょうか、まあ、土足で踏み込んでくる人が少なくなった感じです。

 

その辺りで、なんとなくですが、自分も結構他人に対して平気で土足で踏み込んでえいやあってやってたなぁって気がつくんです。

 

そして、それが実は人によってはすごく嫌なことで、人間関係というのは、すべからく、お互いの距離を詰めすぎる事は時に弊害になるのだと言うことに段々と気が付いてきます。

 

まあ、言ってしまうと、自分は何を言われてもそんなに気にしないし、全部ネタにして返してしまっていたので、時に思わなかったけど、他人はそれを言われたら、そこを踏み込まれたら傷つく或いは、あまり踏み込まれて欲しくない部分ってのがあることに、ああ遅かれ気が付いてのですね。

 

そうして、自分も他人に対して土足で踏み込むのをやめるようにしました。

 

当たり前といえば当たり前なのかもですが、今までノーガードで他人に顎と顎が付け合わせるくらいの距離感が普通だったのが、それをやめて、友達や親しい人と適度に距離を取るようにしたんですね。

 

そうすると、まあ、付き合い方が大人になったからなのか、向こうも勿論変わってきて、相変わらず僕を軽くいなしてくる人も居ますが、それでも前ほどおうぼうな感じはなく、適度にあちらさんも距離を持って接してくれている感じです。

 

さてそこで、気が付いたのですが、今まで付き合ってきた人だけでなく、新規で付き合う人も割と距離感を持ってくれるようになったんですね。

 

それで、なんとなく半分寂しさを感じつつも、

 

「アレ?これって案外生きやすいぞ」

 

って事に気がつくわけです。

 

イメージ今まではたたみ一畳のなんの囲いのないところにいたけど、ちゃんと囲いと壁が出来たみたいな感じでしょうか。

 

ノーガードのクロスレンジからガードと距離を取ることをするようになったんですね。

 

それに加えて、自分が歳を重ねたってのもあるなと思いました。

 

つまりは、自分の周りは今までは最初は年上しか居なかったけど、段々と年下の人も増えてきて、つまりは自分を蔑ろにする人が減ってきた訳です。

 

また、知り合えでなくて、先に話したコンビニの店員さんとか、買い物をしているお店の接客の人、工事の案内をしてくれる人、タクシーの人、様々な人が割と丁寧に対応してくれるようになった気がしたんですね。

 

僕の中で他人はすごく優しく親切な存在になったんです。

 

ところがある時、自分の父がそういう他人に対して、まあ、別に横暴って訳じゃないですが、父としては普通の態度を取ってたんですが、それに対しての対応された人がムっとまではしませんでしたが、少なくとも自分がいつも受けているような態度や雰囲気ではないなあということに気が付いたんです。

 

勿論、別にいつも接している人ではないです。

 

ですが、その感じを目の当たりにした時、ああ、父にとっての他人ってこんな風なのだと気が付いたんです。

 

そして、それはそのまま共通して接している人に対しても言えることでした。

 

要は、父は他人に対して自分がTakeされるのが当たり前だ、当然だという態度で常に接しているのでした。

 

対して僕は、Takeは求めないように意識しつつ、なるべくGiver(ギバー、与える人)になるように心がけるようにしています。

 

例えば、お店の店員さんに対しても、何かをしてくれることに関して、レジで袋に入れてくれるとか、商品を持ってきてくれるとか、そういう事に対してもなるべくありがとうございますと言うように意識していたり、どういう事を話したら、或いはどういう態度で接したら、この人にとって、気持ちがよくいられるだろうか?というのをなるべく考えるようにしています。

 

コンビニで商品を袋に入れてもらうとか、食べ物屋さんでご飯を持ってきてくれる事はまあ、お金を払っている対価に入っているから、そんな事を一々感謝しなくてよくない?って思う人もいると思いますが、それでも、もしそれを当たり前だと思ってしまったら、仮にその当たり前が履行されなかった時、なんか損した気分になりません?

 

でも、当たり前じゃなくて、有り難いって思っていると、されたら、ラッキー、されなくても普通って状態で居られるんですよ。

 

これが当たり前精神だと、されたら普通、されなかったらアンラッキーってなるじゃないですか。

 

なので、これは別に他人にいい顔をしようとか、八方美人でいたい訳ではなく、単に自分の心の持ちようをコントロールするために必要なだけで、別に親切でやっている訳ではないのです。

 

それで、ある時子供達と自転車でどっか行っている時に、車だったか、工事の案内の人だったか、まあ、例によって通してくれたので、ペコってお辞儀しながら通ってたんですけど、子供達がちゃんと渡れてるかなって思って、振り返ってみると、子供達もペコってお辞儀しながら渡ってたんですよ。

 

それ見て、ちょっと嬉しくなってしまって、ああ、こういう風に謙虚さを持ち続けて、自分だけじゃなくて、子供達も天が味方してくれるような、そういう雰囲気をまとってくれたらいいなって思ったんですね。

 

それで、謙虚さに戻るんですが、ふとね、歳を取るほどに、きっと人は謙虚に生きた方が、実はカッコいいんだろうなって気が付いたんです。

 

どこか、偉そうにしていたり、仕切ってたり、強そうな態度を取っている人に憧れたり、カッコいいなって思ったりするのってありましたが、ラオウではなくトキ、項羽ではなく劉邦のように、謙虚さを持って生きている方がいいんじゃね?って思うように変わってきたのんですね。

 

例えば、魔女の宅急便の老婦人居るじゃないですか。

 

かなり素敵な人ですよね。

 

で、この人の素敵さって多分謙虚さなんですよ。

 

他にも、三国志諸葛亮孔明がなんでアレだけ大人気だったかって言うと、やっぱりアレだけの才がありながらも、常に謙虚で居続けたじゃないですか。

 

そこなんだなと。

 

実るれば実るるほどに、頭を垂れる稲穂かなって言葉は単に成功したらって思ってたんですが、実は成功するしないに関わらず、年を取ったら取った分だけ、その分謙虚になる方がいいんじゃないかって思ったんです。

 

勿論、自分よりも立場の下の人って居ますよね。

 

でも、そういう人に対しても横暴に接するのではなく、偉そうにするのでもなく、立場が弱いからこそ、キチンと相手の立場を考えて謙虚になる、これは子供達に対してもそうだと思います。

 

親は子供に対して絶対的な上の立場に居ます。

 

ですが、だからといって、子供に横暴な態度を取り続けったら、子供はネジ曲がってしまいます。

 

きっと横暴な態度を取られ続けた子は、大人になってから自分が他人に対して横暴な態度を取る人になるでしょう。

 

思い返してみれば、父がそうでした。

 

祖父は僕が生まれる前に亡くなっていましたが、話を聞くと、常に他人に横暴というわけでもなく、ちゃんと近所付き合いや営業的な付き合いも出来る人でしたが、こと家族、父と祖母に関しては横暴な態度が多く、おそらくは暴君そのものだったと思われます。

 

それを思わせる幾つかのエピソードもありますが、そういうのから推測するに、父は父の父、即ち祖父から横暴な態度を取られ続けた訳です。

 

その結果、父は大人になって他人に横暴にすることに対して、なんら疑問を持たない人になりました。

 

つまり、他人に対して横暴な態度、当たり前を享受することはなんら普通の事で、なんなら、それがまかり通らない時や当たり前が出てこない時は父にとってはハッピーな状態では無かった訳です。

 

PSYCHO-PASS3で、ディフロストの静くんが最初はカッコいいなって思ってたのに、ケイに対して強気な態度を取った時に、なんだか魅力がちょっと下がった気がしました。

 

強い口調や他人を支配するような態度は、一見してカッコよく見えそうですが、実は、それよりももっとカッコいいのが、謙虚さなんだと思います。

 

勿論、降りかかる火の粉は払わねばなりませんから、火の粉として来た人については、相応の毅然とした対応をすべきだとは思います。

 

ですが、横暴と毅然は違うのです。

 

僕はケイに対する静くんの態度は毅然ではなく、横暴だと思いました。

 

それは、圧倒的権力を持った人間がそれを持たない人間に対して一方的に圧力を使ったからです。

 

勿論、そうせざるを得ない位追い込まれていたからだとは理解出来ますが、それでも、僕はどんな時でも謙虚さを持ち続けられる哲学じゃないですけど、そういうのを貫き通していこうって勝手に思いました。

 

まあ、僕はディフロストみたく命を取られるような切羽詰まった状況はまあ大分ないと思いますので、そう考えたら、謙虚で居続けようってのは要人に比べたらイージーモードなのかも知れませんね。

 

歳を取っても、いつまでも他人に感謝して、いつでも余裕で居られるような、そんな人でありたいと思いました。

 

今日はそんなところです。

 

たとえば、謙虚に愚直なことを継続するという習慣

たとえば、謙虚に愚直なことを継続するという習慣

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