サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。


スポンサードリンク

育児話に花咲いて

先日、友達と会って来て、育児アルアルみたいな話を沢山して来ました。

 

その友達の子供はまだ1歳位でしたが、その苦労を聞くと、当時育児をしてなかった自分の時期に、家内がどれだけ大変だったのか、その時の気持ちを少し計り知ることになりました。

 

家事や育児って、ほんとに男からしたら、絶対にやってみないと分からない事、体験してみないと分からない気持ちって沢山あると思います。

 

ある調査機関によると、家事育児を労働計算したら、年収で1000万を超えるとか書いてありましたよね。

 

だから、間違っても、年収1000万円以下の世の男性は、女性に俺は外で稼いできているなんてセリフ、言っちゃいけないと思うんですよ。

 

1000万円分の仕事をしている人に、その半分か、それ以下しか稼いできていないのに、やった気になっている感っていったら、もう恥ずかしくて、恐ろしくて、ちゃんちゃら可笑しいですよね。

 

それに、年収1000万円でも、ようやく肩を並べて、奥さんの労働分と同じ位は働いてきているって訳ですから、少なくとも、その2倍か1.5倍は稼いでこなければ、結婚した奥さんに生意気な口を叩いたり、相手を慮らない行動ってすべきじゃないと思います。

 

まあ、そもそも、相手を慮らない行動はすべきではないですが、そんな行動をしてしまった時に、自分が恥ずかしいと思って反省すべきじゃないですか、普通。

 

でも、それが今の日本ってちょっとどこか認識がおかしくて、例え稼ぎが少なくても、男は外で働いていると許されて、女は家事育児をしないと許されない的な風潮ってありませんか?

 

片や免罪符で、片や罰則ですよ。

 

これは、どうにも、絶対的におかしいと思っていて、もっと男は自分のプライドを高く持って、志を高く持って、奥さんとの間での優位性確保の争いなんてマウンティングしてないで、奥さんは無条件で自分を愛し続けているんだから、自分は自分で自らを磨いて、より稼いだり、人のために何かをしたり、経済活動、社会活動に専念した方がいいんじゃないかと思います。

 

多くのサラリーマンは、仕事自体が直接的に人の役に立つ仕事ではありません。

 

間接的な事が多く、その間接度が多ければ多いほど、やりがいは少ないですし、ルーチンワークだったり、実質のライン工だったりですよね。

 

経済活動というのは、経済的に貢献するということなので、お金の流れを新しく作るという事だと思うので、サラリーマンとして働いている限りは経済活動に参加しているとは言えないと思います。

 

経営者はそうかもですが、一部上場とかの大企業の雇われ社長などの経営陣も、自らの責任でリスクを踏まえた上で、自らの決断をしていない人は、総じて名は社長、経営者だとしても、サラリーマンと同じだと思います。

 

つまり、経営者の中にも経済活動をしている人とそうでない人がいるのかなと。

 

歯車の一部として同じ所を回り続けるのがサラリーマンで、新しい歯車を作ったり、ピストンや電気回路など、別の仕組みを作るのが、経済活動だと思います。

 

そんな状況で、ほとんどの男性は、奥さんに対して頭が上がらないのが当たり前だと思うんですよね。

 

でも、それって、男の世界だけにいたら、絶対に分からないんですよ。

 

ホントかウソかはおいておいて、かの有名なマリー・アントワネットの、

 

「パンが無いなら、お菓子を食べればいいじゃない」

 

ってなセリフを、我々男は平気で、女性にするんですよね。

 

女性にとっては平気ってか兵器ですよね、男性のこの手の言葉は。

 

でも、悲しいかな、知らないんです、わからないんです、男性は。

 

だって、XYですよ。

 

足が、手が、一本足りないんですもん。

 

欠陥商品ですから、ってのは冗談にしても、人間誰でも、体験しない事、見たこと聞いたことの無い世界は、その人にとって、存在しない事と同義なのです。

 

日常的に掃除、洗濯、自分以外の食事の用意、などなどを行ってこなかった人にとって、その体験、経験によって起こりうる事実というのは、まったくもって存在しない世界なんです。

 

ありがたみが分かるのは、それを実際に自分が「日常的に」行った後、それ以外にはないのです。

 

この「日常的に」ってのが実は大事で、男は大体日常的でな無く、スポットで家事や育児を手伝って、その大変さの燐片を感じた気になってしまっているのですが、本来の問題、本来の大変さは、行っている事そのものではなく、それが日常的に続いている中での出来事であるという事なんですよね。

 

例えば、賽の河原で、1回や2回石を積むのは誰でも出来ますが、毎日そこでやり続けて下さいって言われたら、それって1回や2回で体験した大変さの比じゃないじゃないですか?

 

え?地獄に行ったこと無いから分からない???

 

そうですよね。

 

えっと、パチンコで1回や2回大当たりを出すってのはビギナーズラックで出来るかもですが、それを毎日、毎回必ず当たり続けなくちゃ生きていけないってパチプロだったら、全然当たりを引く大変さって違うじゃないですか。

 

え?地獄にもパチンコにも行ったこと無いから分からない??

 

あなた、幸せですね。。。

 

まあ、とにかく、日常的にやる事というのは、スポットでやるのとは大いに違うんだって言いたいんです。

 

そうそう、1日署長と本当の署長では、、、、もうやめます。

 

また、これは別の友だちと話していたことなんですが、これは完全に僕の偏見ですが、子供がいない人の方が、いる人に比べて、独断的で人に厳しくないですか?

 

子供がいると、自分のコントロールではどうしようもない出来事が日常的に発生します。だから、そういう事象に耐性があるんだと思うんですよ。

 

でも、子供がいない人は、自分でコントロール出来ないって事象が自分の生きている世界では起こりようがないので、そういう自体に遭遇した時に、とても不合理さを感じやすくなっているんじゃないかと思います。

 

あと、基本的な人の優しさというのか、そういうのが、子供がいるといないとでは根本的に違うと思うんですよね。

 

子供がいなくて、根っから優しいって人はかなりレアだと思います。

 

上辺とは言いませんが、どこか、優しさの質に違いがあるように思うのです。

 

んで、始めの子育て話に戻るんですけど、電車とか公共の場でベビーカーや子供や赤ちゃんに文句言ったり、そういう目で見たり、不快に思う人で、自分も子育てしているとかして来たとかそういう人はいないと思うんですよ。

 

子育ての経験がないとか、まだする前だとか、そういう人の方が、険悪なムードを出すんじゃないかなと思います。

 

まあ、確かに酷い親御さんとかもいなくもないですが、それは少数だと思うんです。

 

それよりも、老人、独身者からの妬みから、そういった少数派の例を叩き台にして、目の前の頑張っている母親を責めるみたいなところってあるんじゃないかなって思うんですよね。

 

老人は若さに対して、独身者は孤独では無いことに対して嫉妬しているんだと思います。

 

なんかもっと、みんな思いやりをお互いに持てたらなぁって思いました。

 

自分は気が付くのが大分遅かったので、早期に気が付いて、既婚者は奥さんを蔑ろにしない、独身者や老人は、孤独や老いの不安からのスケープゴートに他人を利用しないってなって欲しいと思います。