サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。


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親と子の共通言語について

年末年始、買い物のついでに入ったAmazonプライムの副次効果でプライムビデオなるものを観る機会が増えまして、子供たちと一緒に映画やらアニメやら色々と観ました。

 

その中でも特に三谷幸喜監督のザ・ミュージックアワーを観た時、子供と大笑いしながら観て、観た後も色んなシーンやセリフを言ったりして笑いながら話したりしてました。

 

続く、ステキな金縛りではザ・ミュージックアワーに出てた佐藤浩市が映画の俳優役で出てるのを見て、みんなで「あ!この人、あの人だ!!」って言ったりしながら、やはり大笑いしながら観て、観終わった後も色んなシーンやセリフで笑ってました。

 

それでね、なんでこんなにも家族みんなで大笑いしながら観てたんだろうって考えてみたんですよ。

 

なぜかというと、これがもし自分と自分の両親とだった場合、恐らくは父はあまり笑わず、母は僕が大声で笑うと注意していただろうからです。

 

そう、なんで、自分と自分の子供の場合は、一緒に大笑いして観ることが出来て、自分と自分の両親の場合はそうでないのだろうか?と疑問に思ったんです。

 

んで、笑うことに関して言えば、結果的に言うと笑いの感度の違いがあると思います。

 

そう、僕と僕の子供たちの笑いの感度は近いんですが、僕と僕の両親の笑いの感度は遠いんですよ。

 

なので、笑いの感度の違いが、一緒に見ているものに対しての反応の違いに現れるんだと思ったんです。

 

では、なぜ、僕と子供たちの笑いの感度が一緒なのだろうか?と考えてみました。

 

まず、一つ挙げられるのは、一緒にいる時間がある程度長い事だと思います。

 

自分が子供だった頃に比べて恐らくは一緒に過ごしている時間が多分、長いかなぁと思いますし、なんか、会話も普通に自分と自分の子供たちとの方が沢山している気がします。

 

なので、共に過ごす時間が長いと自然と笑いの感度も近くなるのかも知れないですね。

 

それと、もう一つ挙げられるのが、これは実は、昔から意図してやっていたのですが、自分の好きな作品、漫画、アニメ、ゲーム、本などをさり気なく配置して、子供らが自然とそれらに興味が向くような誘導みたいな事をしていました。

 

お陰でハンターハンターとか、からくりサーカスなど一部の漫画では子供たちの方が、僕よりも詳しくなってしまったり、ゲームもあるジャンルだと、僕が本気でやっても、子供らに敵わないものもある位です。

 

また、僕が勝手にハマったものを、子供たちに付き合わせていたりするので、お祭り含めた町会行事なんかはもう、彼らは大好きになりましたし、最近だとスケボーやガンプラを僕がハマって始めたのですが、それなりに彼らも好きになっていると思います。

 

そんなこんなで、僕の好きなものの中で子供らも好きなものというのが割と重なっている部分があるということですね。

 

勿論、彼らが好きだけど僕はそこまで好きではないものもあります。

 

僕の知らない彼らの好きなこともあると思います。

 

そう、言いたいのは、共通して好きなこと、共通の話題が豊富だということなんです。

 

それって 共通の話題=共通言語 だと思うんですよ。

 

その世界観、ストーリー、設定、セリフ、用語、などなど、そういった全てが一緒に経験した事があるからこそ分かるものだと思うんです。

 

だから、職場の人でも共通の好きなものがあると、話が弾んだりすることってあるじゃないですか。

 

異性同士でもそういうのってあると思います。

 

友達同士だと、どちらかというと、共通の好きなものがあるのが友達だったりするんじゃないかなぁって思うので、あまり意識に登らないし、そういう感覚って無いかもですが、実は同じ共通言語で喋っているんですよ。

 

今だったらツイッターとかSNS上で同じ好きなもの同士の繋がりとかだと、そういう共通言語としての好きなもので繋がり合っていたり、共通言語内で情報のやり取りが行われていたりすると思います。

 

逆に、共通言語が無い人同士での会話だと、中々話が弾まないどころか、好きなものをお互いに共有出来ていないので、話題も浅いしつまらないと思うんです。

 

それこそ、永遠と天気の話の延長上な虚しい会話、無駄な言葉のやり取りでしかないと思うんです。

 

話を戻して、友達とか恋人とかではなく、親子で共通言語があると何がいいかというと、子供に何かを伝える時に、使えるってことなんです。

 

例えば、何か注意したり叱っている時に、事象を分からせるためのたとえ話に、漫画やアニメのキャラクターの行動だったりを引用するんですよ。

 

そうすると、すごく分かりやすい悪いことしている場面とかってめっちゃあるじゃないですか。

 

また、すごく分かりやすい正しいことをしている場面あるじゃないですか。

 

それを言うんですね。

 

そして、その逆を言うと明らかに物語もおかしいし、そのキャラクターもおかしくなるから、子供たち自身も、自分のやったことがおかしいことに、分かりやすく気がついてくれるんんですよ。

 

また、何かしら親として子供に伝えたいことも、漫画やアニメなどのいち場面を引用して話すと、すごく伝わりやすかったりします。

 

まあ、それは僕がオタクだからかもなんですが、とにかく言いたいことは共通言語があると、コミュニケーションが円滑になるだけでなく、ものすごく伝えたい内容がお互いに伝わるんだって事です。

 

それは、共通言語を通して、言葉として伝えるべき情報が凝縮されて、最短の単語で伝えられるからなんだと思います。

 

さてさて、ではこの共通言語、今では意図的に親が子供に恣意的に誘導しないと中々得られなかったりするんじゃないかと思うんですよ。

 

昔はお茶の間って言って、テレビがその役割を果たしていたんじゃないかなって思うんです。

 

同じ空間で同じ番組を見て、あーだこうだ話題に出して話す。

 

テレビは新聞とも繋がっていますから、ある程度一緒にテレビを見ていないお父さんも新聞(スポーツ新聞含む)などを通じて、テレビの話題が自然と入ってくる訳ですよ。

 

なので、テレビがメディアとして機能していた時代はそうやって共通言語が保たれてきたんですが、共通言語してのテレビって実は短期的話題なんですよね。

 

一時というか、その時、その時はいいんですが、その話題が後になってしまうと、もう一切話さなくなるというか。

 

ああ、でも漫画とかアニメもそうなのかな?

 

普通は一時楽しんで、それで終わりって事なんですかね?

 

単に僕がオタクだもんで、作品が好きだから何度も読んだり観たりして覚えてしまっているから、それを共通言語として使っているってだけなんでしょうか?

 

うーん、いや、何か、書きながら自問自答してしまいました。

 

でも、友達と話す時は、共通言語使ってますし、友達にも通じますから、やっぱり、そうですね、好きなものがあれば、それは共通言語になり得ますね。

 

っと言うことで、まとめると今はテレビを見ている世代とテレビを見ていない世代との分断があるので、共通言語が出来にくい世の中になっているんじゃ無いかなぁって思うんです。

 

そんな中で、子供たちに親が合わせる方向ではなく、親の好きなものに子供たちを誘導する方向で色んな漫画やアニメや本や映画やゲーム、それ以外にもスポーツとか体を動かす何かだったり、自身が続けている好きなことを子供たちに触れさせる事で、親と子の共通言語を作ることが出来るんじゃ無いかなって思ったんです。

 

そして、その共通言語は、親から子に伝える時に役に立ちますし、親子間でのコミュニケーションも円滑になって、家族間でも談笑が自然と増えるんじゃ無いかなぁって思いました。

 

今日はそんなところでございます。

 

いつもいつも、最後までご愛読下さいまして、ありがとうございます☆