サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。


スポンサードリンク

鴨頭さんが提案するスターバックスへ行こうってのを実践してみて思ったこと

僕は学生の頃、スターバックスというと高いしなんであんな所にコーヒーを飲みに行くのかがまるで理解できなかった。

 

その頃はラーメン一杯でも十分な贅沢で、コーヒーに牛丼を食べてもお釣りが来るような値段を払って飲むくらいなら、100円で缶コーヒーを飲んでいた方がよっぽどマシだと思っていた。

 

ファミレスにしたってちょっと高いって思ってビルディーかサイゼリア以外行かなかった程だ。

 

ところがだ、最近はその考え方がちょっと変わってきたというのだから面白い。

 

別に年を取ったからとか、収入が変わったからということでは決して無いと言いたい。

 

いや、言い張りたい。

 

だが、単に年だからというのではなく、色々と経験をしてきたというのは事実ではあるので、そこは認めよう。

 

ファミレスに食材の原材料以外に空間提供料金が含まれた値段であるというのをある時年上の人から聞いて、なるほどと思った。

 

それから、物の値段には物の値段には、物そのものの価値以外にもそれに付随する様々な事柄にも値段が関係してくるのだと理解した。

 

それでも自分は原理主義者とまでは言わないが食べ物を食べるのにお金を払うのであれば、その食材に一番近い値段で食べられる方がお得だと勝手に思っていた。

 

だから、とんねるずのキタナシュランみたいなお店が大好きだったし、そういうお店を毛嫌いする女子が苦手だった。

 

まあ、当然モテなかった。

 

女心?

 

今ですら全然ワカリマセン。

 

さて、気合を込めた冗談はさておき、空間にお金を払うのがバカバカしいと思っていた自分にある転機が訪れる。

 

それは何かの本で読んだ内容で、月に1回でも贅沢をしてお金をかけてでも高級な場所へ自分を連れて行くというような内容だった。

 

高級な場所というのは、色んな事にお金をかけているからこそ、その値打ちが付く訳で、そういう所に身を置くことで自分自身の価値を上げることが出来るのだみたいな事が書かれてたのを見て、なるほどと思ったのだ。

 

そこで僕は友達を誘って早速その月のうちにミーティングと称して、会社が終わった後に帝国ホテルの1階にある喫茶スペースに行く事にした。

 

喫茶スペースと言えど、さすがは帝国ホテル、紅茶だけでも1000円以上は取られる。

 

だが、それを実際に自分でやってみて色々と気がついたことがあった。

 

それは、まず、椅子のふかふか具合だ。

 

いや、馬鹿にしている訳ではなく、本当にいい椅子というのはこんな座り心地なのか?とすごく強烈に思ったのだ。

 

ホテルでバイトしていたことはあったので、ホテルの雰囲気とかは知っていたから、壁の感じとか、天井の高さとか雰囲気みたいなものには慣れていたのだが、実際にお客さんとして座ったりサービスを受けた試しは無かったので、それを体感したのは非常に貴重な体験だった。

 

なるほど、知っているとやったことがあるとでは大分違うのだなとものすごく強烈にそのソファーのふかふかによって、まるでカウンターパンチの様に喰らった感覚を今でも覚えている。

 

そう、かれこれ10年以上前の話だ。

 

16オンスは軽く超えるようなふかふかさを持ったソファだったに違いないが、6オンスで殴られたような精神的な衝撃を食らったので、もう10年経った今もその感覚を忘れないで覚えているということなのだろう。

 

僕は割と興味の無いことや意識していないことはすぐに忘れてしまうので、昨日口にした自分の言葉も誰かから指摘されると、そんな事言ったっけ?ってなるような奴である。

 

まさに舌の根も乾かぬうちというのが自分にはぴったりだろうなと思うくらいだ。

 

そんな僕でも覚えているという事は数えると少ないのだが、その数少ないずっと強烈に残った記憶の一つがこの帝国ホテルの椅子のふかふかと言う訳だ。

 

そうして、他にも色んなホテルだったり、レストランだったりと体験して経験を積み重ねていく中で、僕の中で単に「お金を払う」という行為が、物々交換として機能するそれではなく、徐々に「お金を落とす」という感覚へと変わっていった。

 

そう、ここならお金をむしろ払いたいなって思ってお金を払うような、そういうお金の使い方をしたいと思うようになったのだ。

 

勿論、安いもの、コスパのいいものを率先して買うし、ラーメンも大好きだが、それだけでなく自分のお金を使う選択肢の中に、お金を落とすという選択肢が新たに追加されたみたいなイメージだ。

 

さて、この時の体験からは大分時は経つのだが、一昔前にツタバという存在を知り、元々本が好きだったので、中々面白い試みだなぁと思ってちょくちょく代官山のお店に深夜に立ち寄っていた。

 

そうしたら、今度は六本木に出来たというので行ってみたら、ここのなんと素晴らしいのは、ピアノやギターが置いてあるではないですか!!

 

そう、本に楽器に僕の好きなものがそこにはあって、そんな中でカフェ体験をするというのがものすごく素敵な空間だなって思ってこれまた深夜にちょいちょい行くようになった。

 

話を戻すと最初は安い最高主義だったのが、雰囲気にお金を払うという事に賛成になった経緯が分かってもらえただろうか?

 

そんな感じの価値観の移り変わりを経て思ったのだが、雰囲気にお金を払うというのはもう一つ大事な物を買っているという事にこないだの鴨頭さんの動画で気が付かされたのだ。

 

それは、プライドである。

 

もっというと、オレ最高っていう自己肯定感である。

 

セルフイメージと表現した方がいいかも知れないが、人は自分自身に対するセルフイメージを様々なメタファーを通してフィルタリングして自分に取り入れている。

 

それは無意識に行われているので、意識的に環境を変えないと自分に対するセルフイメージというのは中々意識的に変えていくのが難しい。

 

だが、このオレ最高、ワタシ最高ってセルフイメージを最も手軽に持てるのが気持ちのいい空間に身を置く事なのだ。

 

そして、そのために500円オーバーの牛丼大盛りオーバーな値段をイチ飲み物に対して支払っている訳なのだと言うことに気が付かされた。

 

なるほど、なるほど、誰かが自分を取り戻すために海に行って潮風に頬を当てるように、500円ちょっとを払って、そこでコーヒー飲んでいる自分最高って思える状況を自分で意図的に作り出すことで、自分の心をある意味で充電することが出来るんだなって思った。

 

別に高級ホテルのラウンジでなくて良くて、ちょっと小綺麗でおしゃれな空間、そして、ちょっと自分にとって贅沢だなって思える場所があれば別にスターバックスでなくてもいいのだけど、スターバックスは今言ったフレーズに対して大衆イメージとしてぴったりだなとも思った。

 

そう、つまりはコンセプトがしっかりしていて、そういう層を、そういう隠れた需要を吸い上げて具現化したのだと思う。

 

だから、スターバックスに行く人はコーヒーを買いに行っているのではなく(物理的にはそうだけど)、自分自身を買いに行っている(精神的な面に着目すると)のだと思った。

 

素敵は自分の内面から作り上げるものかも知れないが、そうやって環境をお金を支払って一時的に手に入れることによって、自分に取り入れることが出来るのだ。

 

好きな場所、空間は色々あっていい。

 

別にお金をかける場所でなくても、自分が取り戻せる場所というのがあると人はもっと生きやすいのかも知れないが、手軽にそこに行けない場合は、スターバックスを利用してみるってのも一つの手かもしれない。

 

今日はそんなところだ。

 

(今気が付きましたが、なぜか、口調がデスマスから断定系になってました。)

 

ミッション 元スターバックスCEOが教える働く理由

ミッション 元スターバックスCEOが教える働く理由