今日の論理的思考 180320
ふと、クラシック出身の人とジャズ寄りな人との衝突について考えてみました。
クラシック出身者は楽譜を基本として、アドリブやコードワークなどは苦手です。ですが、難解なリズムや複雑な組み合わせでも、楽譜にちゃんと書いてあれば、再現可能です。
一方、ジャズよりな人、ポップスも含めたピアニストというよりは、キーボーディストと呼ばれるような人達は、楽譜は参考程度に読めるかもですが、リアルタイムで読みながら弾いたり、初見で弾いたりするのは苦手です。
でも、コードやスケールを使って伴奏やアドリブを自分で作る事が得意です。
意外と僕も知らなかったんですが、音大出身のクラシックの人って、コードやスケールってあんまり知らないみたいなんですよね。
また、音に対する捉え方も、絶対音感なんですよね。
ソルフェージュってんですかね、音を聞いて、何の音かの音名で把握しているんです。
反対に、ジャズ寄りな人は何の音が鳴っているかよりも、コードに対して何度の音が鳴っているかとか、キー(調)に対して何度の音かとか、インターバル(音程)が何度かみたいな感じで音を捉えていると感じがします。
いわゆる、固定ドと移動ドですね。
こっからは僕の推測なのですが、(ってかここで語られている殆どは僕の推測ですけどね。。。)音大出身のクラシック寄りの人って、小さ頃から物凄い時間を音楽に費やしてきたんだと思うんですね。
んで、膨大な時間って、脳内のネットワークを形成するに多分十分で、つまりは英会話における英語脳みたいな感じで、音楽における音楽脳が形成されているんですよ。クラシックの人って。
なので、その膨大な情報量によって絶対音の処理がなされているのかなぁと思います。
一方、ジャズよりな人は、大人になってから始めた人とか、子供の頃に少しやってたけど途中でやめて、また大人で再開した人とかが多いかなと。
そうすると、クラシック出身のように音楽脳が出来ていない訳です。
その中で音を処理しないといけないので、効率的に音を処理する事が求められます。
12音に対して、それぞれ個別の音という風に捉えるには、判定するための蓄積というか脳内のデータベースの量が圧倒的に足りない訳です。
そこで、12音(固定ド)ではなく、7音(移動ド)を基本的な流れで捉える処理の仕方を余儀なくされたのかなぁと。
つまり、何の音なのか(12音中のどれか)までは分からないけど、その曲の中での何度の音(7種類の内のどれか)かの方が、判定に必要な情報量が少なくて済むので、必然的にジャズ寄りの人達は並行音で音を捉えるようになったんかなと思います。
12音のどれかで判定する場合、単純に12分の1の確率です。
しかし、7音の場合は7分の1なのですが、並行音のすごいところは、どの調でも7分の1で済むという事なんです。
どういうことかというと、今の音楽はバッハが提唱した平均律というのが使われていて、主に12の調(①ド、②ド#またはレ♭、③レ、④レ#またはミ♭、⑤ミ、⑥ファ、⑦ファ#またはソ♭、⑧ソ、⑨ソ#またはラ♭、⑩ラ、⑪ラ#またはシ♭、⑫シ)があって、それぞれの音から始まって、7つの音を経て、また始まった音にまた戻るというのが平均律での長調、短調のパターンです。
んで、この考え方(固定ド)だと、12個のドレミファソラシドが存在することになるんですが、移動ドの場合は、どの場合でも、全部ドレミファソラシドを1234567と代数的に捉えて、12個あるドレミファソラシドが全部、1234567と考えてしまえるのです。
例えば、ト長調はソから始まって、ソで終わる調で、ファに#が付きますが、固定ドだと「ソラシドレミファ#ソ」と読みます。
でも、移動ドの場合は、長調は全部1234567(全全半、全全全半)で捉えて、ソをドと見立てて、ドレミファソラシドと感じ取るので、何の調か分からないけれど、ドレミファソラシドを作ったり、聞いた音をその調のドレミファソラシドの何かは分かる訳です。
つまり、長調の場合、固定ドだと12の長調がありますが、移動ドの考え方だと、長調は長調1つとして考えられる訳です。
なので、処理する能力も固定ドに比べて12分の1で済みます。エコノミーな訳です。
クラシック派とジャズ派みたいに書きましたが、要は音に対する捉え方、聞こえ方が、絶対音(固定ド)か相対音(移動ド)かということなのだと思いました。
よく分からない着地点になってしまいましたが、なんとなく、自分なりにもう少し練って考えてみて、まとめられたら、またこのネタを書くかも知れないです。