和登さんと綾波レイ、萌キャラを超えた母性として男心を掴んで離さない魅力について
最近ふと三つ目がとおるのOPテーマを口付さんでて、たまたまYou Tubeで1話目が無料視聴出来たので、ちょっと見てみたんですよ。
それで、そう言えば学研の連載を読んでいたなぁとか、アニメも何曜日の何時からなのか分かってなかったんですけど、見れたらラッキーっていっつも思いながらなんか見ていたのを思い出したんです。
それでね、久々に手塚治虫のキャラを見て思ったんですけど、デフォルメされているとは言え、手塚治虫の描く女の子ってある意味普遍的な魅力というか、女の子なんだけどどこか色気があるんですよね。
多分ですけど、今の萌キャラとかジャンプでの可愛い女の子からすると等身とかそういうのは全然デフォルメ的なんですけど、なんだろう、目かな?
可愛さと色気が同居している感じが今の漫画では見られない魅力を携えているなって思うんです。
火の鳥とかでも何ていうか女性キャラの妖美さってあったなと。
それで思ったのが、何というか、昔の漫画でちばてつや、横山光輝、手塚治虫の順に清純派から色気派と並んでいるイメージなんですよね。
ちばてつやはあまり裸を描かないというのもありますけど、瞳の描き方がすごく特徴的だと思います。
ちばてつやの漫画は男が汗をかく漫画が多いので、意外と見落とされがちですが、女性キャラの瞳が本当にキレイなんです。
んで、なんでだろう?って考えてみたんですけど多分ですが、勝手にですよ?僕が思うに、描く乳房のカップ数が順にA→B→C以上ってなってるんじゃないかなって思うんです。
そう、胸の膨らみの描き方が、それぞれ大人しいと清純派な漫画に見えて、膨らみが強調されると色気のあるキャラに見える。
それで、手塚治虫は服を着ている時はA~Bなんですが、脱ぐとなぜかC以上時にはDTMとかEってカップの乳房を描いているんですよ。
何を興奮して鼻息荒くして話してるんだって話ですけど、それがね、あるところで手塚治虫と最近の漫画家との違いなのかなって思うんですよ。
最近の漫画ではカップ数が設定されると服を着ていても脱いだときと同じカップ数で計算されたデザインが多いと思うんです。
だから、まあ、逆算してというか胸が強調された服装だったりスタイルだったりで、それでいて顔は可愛らしい顔になっている。
でも、手塚治虫キャラは服の時はAカップ系、脱いだ時はCカップ以上、そして、瞳の描き方は大人びいたラインを引いている訳です。
つまり3種類の魅力を一人のキャラに同梱させているんですよ。
これこそが手塚治虫の描く女性キャラの魅力の秘密なんだなって勝手に思いついて、一人にやけていました。
そして、三つ目がとおるの魅力ですが、まあ、簡単に言うと男の子が女の子を守るって構図ではなく、寧ろ基本は逆に和登さんが写楽くんを守る構図ですよね。
これってオタクが望む女性像そのままなんですよ。
女の子にリードしてもらう恋愛。
自分は一切努力しないで成立する恋愛。
何もない自分に対する無償の愛。
そう、オタクは、ひいては男は全体として母親という偶像を、女性を通して映し出し、そこに傾倒することで恋愛感情を満たそうとする部分が多分に含まれているという事です。
自分は何もしていないのに無条件に愛されたい。
男(特にオタク)はそういう生き物なのです。
さてさて、ずっとエヴァを置いてけぼりで話してましたが、ようやくここで戻ってきます。
写楽くんと和登さんの関係がオタクの潜在的な願望である母親的偶像の体現であると書きましたが、同じ構図がまさに綾波とシンジだと思うのです。
写楽くんは和登さんに対してお母さんの匂いがするから好きだと言っていましたが、シンジもまた綾波に雑巾を絞る仕草や髪をかきあげる仕草などから母の姿を映し出します。
まあ、それもそのはず、なぜならば綾波はシンジの母であるユイを元に作られていたからです。
そんな綾波レイも奇しくも和登さんと同じくショートカットなんですよ!
ショートカットで主人公を一方的に守ると言っているヒロイン。
これはもう、男心を掴んで離さない要素満載です。
山田玲司のヤングサンデーで有名な漫画家、山田玲司さんは、自身の漫画の中でうる星やつらのあたるはものすごくありえない存在だと言っています。
何の取り柄もない男が一方的に可愛い女の子に好きだって追いかけられる物語だと。
現実には絶対にありえないって。
これも同じく男性心理をものすごく突いたヒロイン像だと言えます。
まあ、そんな感じに勝手に手塚治虫が描いた世界とエヴァンゲリオンの世界を自分なりに結びつけて考えてみたりしてみました。
今度は、女性キャラがなんで色っぽいのかとか女性キャラの色気と可愛さの関係性についてちょっと考えてみたいとか思っています。
今日はそんなところです。