サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。

子育てでイライライしない方法色々

こんにちは、今回は子育てネタです。

 

子供達を世話してて、中々言うことを聞かなかったり、駄々をこねたり、やることが遅い時などイライラとしてしまう時ってありませんか?

 

僕は基本的に「笑う門には福来たる」と思っているので、なるべく笑顔でいようとか思って実践してたんですけど、気が付いてみると、

 

おお!子育てではめっちゃ実践してない!!!

 

って事に気が付いたんですね。

 

なので、そもそもなんでイライラしてしまうのかを自分なりに分析をしてみることにしました。

 

まず、イライラするパターンを以下に挙げます。

 

  • 余裕がない時(自分自身だったり、時間だったり)
  • 不安や悩みがある時
  • 他にやることがある時
  • 寝起きや寝不足の時
  • 夫婦間で子育ての考え方が違っている時
  • 夫婦喧嘩している時
  • 他人の目があるところで駄々をこねられた時

 

とまぁ、自分なりに振り返ってみて、自分がイライラするパターンは大体こんな感じでした。

 

何となく共感出来る方もいるかもしれませんし、また違ったパターンでイライラする方もいると思います。

 

そして、自分のイライラパターンを見てみた時に、意外と自己管理によって解決できる問題が半分以上あるなと気が付いたんですね。

 

時間に余裕がないとか、寝不足とかはこれを機に自分の生活リズムを見直せばいいですし、不安な悩みなども自分自身の問題で、実は子供は関係無かったりします。

 

また、他にやることがあるパターンはなるべく子供といる時はシングルタスクになるようにするか、自分がマルチタスクに慣れるかどちらかで解決が出来そうだと思いました。

 

夫婦間の問題は置いておいて、他人の目があるところでってのはぶっちゃけ、自分の子供がいい子に成長してくれる為に、自分の他人からの評価を気にしていては、どちらを優先するかと冷静に考えたら、子供の成長を優先した方がいいに決まってるんですよね。

 

また、よくよく見回してみると、案外子供の駄々とかに対しての周りの方の目線もどちらかというと温かい眼差しというか、見守ってくれている方々も結構いてくださって、逆に批判的にうるせーなって思う人からは別に批判されてもいいやって思ったんですよ。

 

まあ、あからさまに人様に迷惑をかけることはいけませんが、そうでない範囲で子供の駄々をある程度放任して見ていてくれる環境がとっても有り難いなあと。

 

そんなこんなでイライラを変換するために色々と自分なりにやってみたことを書いていきます。

 

1.条件分岐法

これはプログラムの条件分岐のように、予め子供の行動に対して、自分はどうするかを決めておき、その場で考える事をなるべく少なくしました。

 

イライラってある意味で脳のオーバーフローが原因だったりすると思ったので、こうすることにより、子供が駄々をこねたり、時間が無かったりして脳がストレスを感じている中で、なるべく考えないで行動に移せるようにしてみました。

 

また、条件分岐の為に子供の行動回数とかをカウントしていると意外と自分の心もイライラよりも落ち着いてきて、「あ、今やり直した」とか「うーん、中々難儀しているなぁ」とか冷静に見ることが出来るようになって来た気がしました。

 

そう言えば、タイガー・ウッズが自己のセルフコントロールの一つで、良くないショットを打ってしまった後に、直ぐに感情的になって、モノにあたったり、悪たれを叩いたりせずに、心の中で数を数えながら歩くと言ってました。

 

そして、20歩あるいた後に必ず落ち着いて、次のショットに向かえるようになるのだと心の中で何度も呟きながら20歩あるくようにしたところ、好成績を上げられるような素晴らしい選手になって行ったというエピソードでした。

 

なるほど、ゴルフという心を落ち着かせる事に重きをおいたスポーツの中で、タイガーみたいな凄い世界的な選手でも、上手く行かない結果が出ると、イライラしたりヒステリックになってしまったりしてしまうのだから、何も心の訓練をしていない自分がイライラしてしまうのはごくごく当たり前の事なんだなと思ったのです。

 

逆に、そんな心の訓練をしている人でもイライラに対しては対応を考えている訳ですから、我々心の素人が何の対応も用意していないまま、イライラを抑えようなんてのはどれだけ無謀なことなのかってのを思い知りました。

 

まあ、逆説的には、そういう対応を予めしているからこそ、彼らはプロとも言えるわけですね。

 

なので、そこはプロにあやかって、心を平常に保つ為には準備が必要であると学ぶこととしました。

 

2.第2の自分が見ている法

これは、自分の斜め後ろから今の自分の状況を観察しているみたいな視点を持つようにすることです。

 

コツとしては、今の状況を1つ1つ口に出してみることです。

 

「あ、今ようやっと靴履きだした。」とか「おお、ズボンを反対に履いている」みたいな。

 

ただし、条件があって、悲観的なイメージとか否定的な先の未来については口にしないことです。

 

「ああ、このまま行くと遅刻して怒られてしまう」とか「早く次に行きたいのに、この子が遅いせいでいけない」みたいなです。

 

あくまで口に出すのは、視覚的に見えている状況だけにするようにするのです。

 

また、子供の状況だけでなく、自分が今どうしているかなども口にするとより第2の自分感が増します。マシマシです。

 

3.子供の感情に引っ張られない法

2番目と似ているかもですが、子供が泣いていたり、怒っていたりすると、ミラーニューロンの影響か、はたまた自らの未熟さからか(いえ、ミラーニューロンの働きにしておいて下さい)、その感情って結構持ってかれる場合があるんですよ。

 

向こうが怒ってたら、こっちもなんかちょっと怒り気味になっちゃいそうになったり、泣いていたら、ちょっと可哀想だなって思ってしまったり。

 

でも、一々子供達の感情の起伏にこっちが振り回されていたら、たまったもんじゃありませんし、こっちも気持ちが疲れてしまいます。

 

なので、意識して、意図的に子供の感情にシンクロしないように自分に言い聞かせるようにしました。

 

勿論、いつでもそうする訳ではなく、急いでいる時や注意しなくてはならない時など必要な時にだけ、シンクロを切り離すように心がけ、普段はなるべく寄り添ってあげよう的には思うようにはしてます。

 

こんな風に色々とやってみてはいたんですが、

 

それでもね、

 

どうしてもね、

 

ムカー!!!!

 

ってなっちゃう時ってあるんですよ。

 

やっぱり。

 

そういう時は、とにかく止まるようにしました。

 

文章で書くとこんな感じです。

 

「っっッッつ!!!!!!!」

 

そう、ぐっとこらえて声を我慢します。

 

んでね、最初、これをやっている時に、逆にストレスで自分が体壊しちゃうんじゃね?なんて思ったんですよ。

 

だけど、ふと冷静に振り返ってみると、怒っている方は怒っている方でそれもそれでストレスがあって、体にも心にも悪いなって思ったんですよ。

 

更に言うと、自分の周りで怒っている人って大体が多分に漏れ無く病気だったり大怪我だったり何かしら起きてるんですね。

 

なので、怒ってると自分と子供と両方にストレスかかるけど、起こるの我慢するのは自分だけにしかかからないから、少なくともストレス的にはエコノミーかなと。

 

んで、そう考えて、やってみ続けてると、意外と怒るのを我慢している期間って少なくって、最初止まるようにしていたら、段々それが癖になって、今度は怒る前に自分で、「あ、ここはちょっと考えどころだぞ」って思えるようになったんですよ。

 

また、単に我慢ってのも難しかったんで、最初は止まる事から初めて、息を吸い込むようにしたり、「あ、今自分は怒ろうとしているぞ」って第3者目線で自分に語りかけるようにしたり、何となく怒りそうになったら自分で自分を撫でてあげるとかしてみました。

 

そうこうしていたら、意外とキレちゃうみたいなイライラや怒ることが無くなってきたんです。

 

そんでもって、大きいイライラや怒りが無くなると、不思議なもんで、小さなイライラの方も全くではありませんが、段々少なくなっていったり、小さくなっていったりするので、ブチ切れて怒らないようにするってのは結構大事なのかも知れないなんて思いました。

 

まあ、そんなんで自分は大分子育て中のイライラを解消出来るようになって来ましたが、このやり方が使える人もいれば、全く使えない人も多々いると思います。

 

ともあれ言いたかったのは、イライラしてしまったら、まずは110番!じゃなくて、とりあえず、どのパターンでイライラするのか振り返って思い返してみて、分析してみるといいんじゃないかと思います。

 

そして、割り出してみると具体的に沢山の事例が出てくると思います。

 

その時にその事例毎に個別対応を考えるのではなく、出てきた事例を自分なりにカテゴリ分けして、これとこれは総括するとどんな状況なのかって抽象的な概念にまとめると、対応方法もまとまって少なくて済みます。

 

そして、自分の状況を整理して、まとまったら、まずは実践してみます。

 

そうすると絶対に一発では解消しませんから、ダメだった対応は却下するか修正するかします。

 

勿論、一回実践してダメだから却下とかではなく、何回かやってみて、ダメそうだとか、これは効きそうだとかを統計的に考えた方がより正解に近づきやすいとも思います。

 

最後に、最近思ったんですが、結構子育てって迷いの中手探り感が半端無いと思うんですよ。

 

それで、何となく、迷っている時に、特に自分の両親とか相手の両親とかに何か言われると、すっごくそれを気にかけてしまったり、余計に迷ってしまったりすることってあると思うんですよ。

 

でもね、子供達のおじいちゃんおばあちゃんって、色々と偉そうなこととか最もらしいことを言うかも知れませんが、彼らの子育てが正しかったかどうかって、その結果は自分自身(おじいちゃんおばあちゃん自身)が分かっていない事が多いんですよ。

 

でも、ご自身なら分かりますよね?

 

自分の両親の正しかったところと正しくは無かったところが。

 

それに、おじいちゃんおばあちゃんの言っていることって、その時の教育論であって、20年以上古いんですよ。

 

今は今の育て方や教育方針、今の時代に合ったやり方ってのがあるんですね。

 

そして、それを分かるのは今子供を育てている親だけなんですよ。

 

なので、例え肉親であろうとも、自分の子育てに関してはぶっちゃけ外野は黙っててくれって感じで、何か言われても全て聞き流してしまっていいと思うんですよ。

 

それにね、迷っている子供(あなた)に対して、余計迷うような事を言う人が正しい訳無いじゃないですか!

 

今あなたが迷って、考えて、手探りで探して、そうやって子供に愛情を注いで育てているやり方があなたの子供を育てる一番の最適な方法なのだと僕は思うのです。

 

つまりは、他人にはその子を育てる最適な方法は構築出来ないんです。

 

自分の子供は自分が一番いい育てるやり方が出来るってことです。

 

子供って、案内小さい頃からもよく見ていて、親が頑張っているとその背中を見てますし、サボっていると、サボってるなぁって結構バレてるモンなんですよね。

 

なので、一生懸命悩んでいたり、考えていたりしている姿は、例えその場にい合わせていなくても、子供達には十分伝わっていると思います。

 

それこそが、親の愛情なんじゃないかなって思ったんです。

 

具体的に何かしてあげたってのもそうかも知れませんし、具体的に何かを言ってあげたってのもそうかも知れませんが、それだけではなく、その子の為に考えたり悩んだり迷ったりしたその心こそが、愛情なんじゃないかなって。

 

なので、今親として大事なことは、自信を持って、自らが自分の子供を育て上げる最高の教育者であると認識することなんじゃないかなと思いました。

 

そんな事を書きながら、正直に言うと半分は自分で自分にエールを送っています。

 

まあ、少しでも共感出来たり、誰かの悩みの荷を軽く出来たらいいなぁなんて思います。

 

子育てベイベー!!!☆

ギターって第1ポジションの開放弦って後からやった方がいいのでは?

ふと最近とある疑問が出てきたのです。

 

きっかけは、フジテレビ!じゃなくて、カルカッシというクラシックギター教則本に書かれていた一言でした。

 

第2ポジションまで進められる人は少ないが、ここまで来れると、逆にギターを生涯の友として迎え入れずっと弾き続けていく人が多い。みたいな内容でした。

 

ここで思ったのは別のエレキギターか何かの教則本でも同じような事が書いてあった気がして、確かそこにも、1つハイポジハイポジション、開放弦を使わないポジションの略)の運指を覚えてしまえば、割りと次の別のハイポジの運指は次々に覚えられる。みたいな事が書いてあったのでした。

 

そこで、ふと自分の昔のギターを弾き始めた時を思い出してみたのです。

 

ローコードを何個か覚えて、1曲位弾き語りが出来る様になった時に、次はスケールを弾いてみようみたいな感じで当時の教則本にあって、確かにそこには開放弦を入れた運指が書かれていました。

 

そして、思い出したのは、左手で押さえた弦を弾く時と、押さえないのに弦を弾く時とあり、少し戸惑っていた記憶でした。

 

また、もっとずっと弾けるようになった時に、メジャースケールの7つのパターン(6弦をルートで、それぞれド~シから始める運指)を覚えた時に、1つ覚えたら、割りと楽に次も覚えられ、7つ覚えられた時に、凄く上手くなった気がした記憶もありました。

 

そして、今を思い返すと開放弦を使った運指って、実はあんまり使ってないんですよ。

 

特にソロを弾く時なんかは滅多に開放弦を使ってないです。

 

そして、改めて思ったのは、

 

だったら開放弦の運指覚えるの後でいいんじゃね?

 

ってことです。

 

だって、実用性も少なくて、その次に覚えることの障害に成り得ることを先に覚えるメリットって無くないですか?

 

だって、絶対に開放弦の運指で押さえない弦を弾くパターンと押さえる弦を弾くパターンで苦労した経験が全く活かされない、逆にその苦労の記憶が次にもっと難しいであろうと言われているハイポジ運指に対してのチャレンジするモチベーションが失われる原因だと思うんですよ!

 

逆に、いきなりハイポジ覚えて、それを応用して7つのポジション覚えちゃった方が、ローコードからバレーコードとかで7フレット以上の指板の音を使う抵抗がかなり軽減されると思うんですよ!

 

じゃあ、なんで今の教則本って開放弦の運指から教えるのって考えたんですが、やはりそこはカルカッシを含む昔のクラシックギター教則本から来ているんじゃないかと思う訳です。

 

クラシックギターはじゃあなんで開放弦の運指教えるのって言われると、クラシックギターの場合、ギター一本で伴奏とメロディとを弾く為、どうしても指で押さえるだけでは、弾く音が足りなくなってしまうんですね。

 

また、ギターの楽器の構造上と人間の指の構造上、物理的な制約で、和音を作る時に開放弦を使った方が、使わないでやるよりも効率的に演奏効果を得られる訳です。

 

なので、クラシックギターでは開放弦を使った運指の習得が必須だった訳です。

 

そして、その次に第2ポジション、第3ポジションとバイオリンと同じようにレベルに応じて徐々に高いポジションでの演奏技術を習得していく訳です。

 

所が、ロックとかポップスではぶっちゃけ伴奏はベースやキーボードなど別の楽器がやってくれるので、リードだけを弾く場合、開放弦を使わないでも演奏可能です。

 

ってかむしろ、単旋律を弾く場合は開放弦の音は伴奏の音と近い音域になるので、特別な意図が無ければ、出来ればそこから離れたハイポジションでの演奏の方が好ましいです。

 

なのに、なんでクラシックじゃないギターの教則本でも相も変わらず開放弦運指を最初に教えているかと言うと、僕はローコードとカルカッシに引っ張られているだけだろうなと思うんです。

 

ローコードって開放弦使うじゃないですか。

 

だから、次に覚えるスケールも開放弦を使おう。

 

みたいな。

 

それにカルカッシも開放弦の運指からスケールは教えてるから、昔からのギターのお手本がそう言ってるんだから、間違いないだろう!

 

ってね。

 

また、

 

俺は、私は昔に開放弦から教わって来た。だから、教えるのも開放弦から教えよう!

 

みたいな。

 

多分、そんな感じで今の教則本を書いている人もそんなに意識なくほぼ適当に開放弦の運指から始めているんだと思うんですよ。

 

でもね、違うんですよ!!

 

僕らはそんな難しい道は通らずに、出来ることなら簡単に上手く成りたい訳ですよ!!

 

なのに教則本を書いている人達はその苦行を乗り越えて来た人なんですよ。

 

そういう人達はまさにローコードをCから始めるような人達なんですよ!

 

苦労の記憶が無いんですよ!

 

ダメなら淘汰されてしまえって感じですよ!!

 

まあ、そういう憤りはここまでにして、ではではどのように覚えたらいいのかって考えてみたんですが、スケールもローコードと同じように形で覚えたらいいと思うんですよ。

 

最初ローコード覚えた時って、多分みんな大体がこんな指の形っていう風に覚えて来たと思うんですね。

 

この押さえているのが何の音で、開放弦が何の音でなんて一々考えてやってないじゃないですか。

 

だったら、スケールも最初はここからこういう形で順番に押さえていくとスケールになるよって言う風に覚えた方が絶対覚えやすいと思うんですよ。

 

従来だと、コードは右脳を使って形で覚えて、スケールは左脳を使ってドレミファソラシの言語情報から覚えてるんですよ。

 

これを、両方共右脳処理に寄せて、両方共形で覚えるようにすることで、ギター脳を成長させていく上での障害を取り払って行きながら拡張させていき易くなると思います。

 

なんて色々と書きましたが、じゃぁお前教本書けるのかよってツッコミも無きにしも非ずかな?なんて思ったので、今度、機会が会ったら超初心者向けのギター講座を作ってみようと思いますので、作ったらまた紹介でもしようかと思います。

鬼ごっこについて

鬼ごっこについて

 

こないだ子供達と一緒に鬼ごっこをやりました。

 

 いつもは一緒にはやらずに、子供達がやっているのを見ているのが多かったのですが、今回は何となくうちの子友達などに誘われたのもあって、やることにしたんですよ。

 

それで、その時に、ただいつも見たくやっているのではなく、ちょっと工夫をしんながら自分で楽しみつつやってたら、ものすごく自分が楽しくて、同時に子供達も物凄く喜んでくれたので、今回はそんな子供と真剣に遊ぶ事についてお話してみます。

 

普通、お父さんが休日に子供とどっか公園にいくとかいうシチュエーションって、最近ではよくあるっぽいんですが、どこか義務感というか、やらされている感って無いですか?

 

ちなみに僕はぶっちゃけありました。

 

子供達をお休みの日に外で遊ばせなきゃいけない。

 

そんなよく分からない義務感や奥さんから押し付けられている感を感じながら外に子供達を連れているお父さんって結構いるんじゃないかと思うんですよ。

 

なんせ、自分もそうでしたからね。

 

でも、意外と子供達って別に一緒に遊ばなくても、何となくそばに居てあげるだけで、普段は一緒にいないお父さんと一緒だっていう安心感なのか、満足感なのかそういうのがあるようで、子供達は割りかしほったらかしでもそこそこ満足してくれるんですよね。

 

パパとどこどこに行って来たみたいな既成事実効果でしょうか。

 

それでも、時には一緒に遊んでくれーって言われて否応無しに答えざるを得ない状況ってあると思うんですね。

 

なので、そんな時にふと今回の話を思い出して、義務感や押し付けられ感を楽しみに変換出来ればなぁと思うんですよ。

 

ところで、ここでちょっと話を変えて、鬼ごっこをする時に、子供が鬼ごっこに求めている事をまとめてみようと思います。

 

鬼ごっこに子供が求めているもの

 

逃げる役→鬼から逃げる楽しさ

鬼役→逃げる役を捕まえる楽しさ

 

まぁ、簡単に言ってこんな感じだと思います。

 

んで、ここから逆算して鬼ごっこが楽しくなくなる要素を抽出します。

 

逃げる役→鬼に全然つかまらない、または直ぐに捕まってしまう。

鬼役→逃げる役を全然捕まえられない、または逃げる役を簡単に捕まえられてしまう。

 

っとまぁこんな感じだと思うのですが、これって実は子供だけでなく、鬼ごっこに対して大人も含めた全般的な要素だと思うですよ。

 

だって、テレビの逃走中とか観ていても楽しいですが、やっている人達って絶対に楽しいじゃないですか。

 

なので、大人がなぜ子供達と一緒に鬼ごっこをやってつまらないかというと、逃げる役の場合は、手を抜かないと直ぐに鬼から逃れてしまいますし、鬼の場合は簡単に捕まえられてしまいます。

 

ここに大人が子供と一緒にやってつまらなく感じてしまう点があるのです。

 

もし仮に、本気で大人同士で鬼ごっこをやったら、多分楽しいと思いますよ。

 

(勿論、それなりに身体能力を合わせる必要はありますが。)

 

なので、逆に考えるとこの点を上手く詰めれば、大人が子供とやっても鬼ごっこを楽しくなれると思ったんですね。

 

んでまぁ大抵の大人は、子供達が逃げる役の時は「すぐに捕まる」、鬼役の時は「捕まえられない」という状態にならないように、手を抜いて子供達が飽きないようにしてあげていると思うんですよ。

 

でも、それだと実は大人側の楽しくなくなる要素が解消されないんですよね。

 

なので、ここはアキバ流にちょっと視点を変えて、縛りプレイだと思えばいいのかなと思ったんですよ!

 

レベルを上げないでラスボスに挑む。

 

武器を買わないで最後までクリアする。

 

みたいに、一見っていうか全くの無意味なんですけど、そういうルールを自分に課しながらプレイすることで、難易度を上げていくのって結構難しいですし、それはそれで普通にやっているより楽しい部分って出てくると思うんですよ。

 

つまりは、これを子供の鬼ごっこに適用させちゃう訳です。

 

でも、この縛りプレイ。一つやるに際して気をつけないといけない事がありまして、実はこの縛りを子供達に見抜かれると、子供達は気が付いてその縛りしないでやってって言い出してくる場合があるんですよ。

 

また、縛りプレイを公言してやってしまうと、そもそもその縛り条件を子供達が受け入れなかったり、逆に子供達に縛り条件を口出しされてしまったりして、その子供に口出された条件のせいで、無理ゲーになっちゃうか、クソゲーになってしまう確率が非常に高いんですよ。

 

なぜなら、縛りプレイの縛り条件ってゲームバランスを考えてその中で微妙なさじ加減によって導き出されるものですから、子供がその場の思いつきで成立するような甘いもんじゃ無いんですね。

 

そこは大人の頭脳がどうしても必要になってくる訳ですよ!

 

なので、縛りプレイをする場合はまず公言はしないのもそうなんですが、子供達にその条件がバレないように自分の中で死守するってのが結構大事だったりします。

 

あからさまに、右足けんけんだけでやっていたら、段々子供達もつまらなくなって、ちゃんと走ってよって言われちゃいますし、(そんな鉄人いないか)毎回捕まえられる所を見逃していては、今度はちゃんと捕まえてと言われるでしょう。

 

なので、ちょっとして僕なりに考えた縛りプレイリストを挙げてみようと思います。

 

界王拳プレイ

全力で走れるのは何秒と決めて(子供達との身体能力差を考慮して)、次に使えるまで何秒待たないと使えないみたいに自分の心の中で数を数えながら制限してやる。

(30代を超えると年齢的に必然的にこうなってしまうかも知れないが、それを敢えて自分で制限しているんだって思うことで克己心を奮い立たせ、自らを鼓舞して戦える)

 

アサシンクリードプレイ

かくれんぼの要素を組み込んで、逃げる役に見つからないように上手く回り込んで、気が付かれないでタッチできる時にしかタッチしない。或いはどの範囲まで気が付かれずに近づけるかを決めて、その範囲内まで行けたらタッチするみたいな。

(ただし、隠れる場所や物陰のない場所では不向き)

 

ケイン・コスギプレイ(またはサスケプレイ)

常に逃げる時、追う時どちらでも筋トレを組み込みながらやる。けんけんを交互にするとか、腕立てを何回してから走るとか、走っている途中に棒や障害物があった場合は必ず懸垂とかぶら下がりとか何かしらしてからその障害物を通り抜けるとか。

(ただし、翌日いや、その日の夕方での疲労感、筋肉痛は免れない為、日々トレーニングを日常的にしている人にしかオススメはしない)

 

パルクールプレイ(またはフリーランニングプレイ)

サスケプレイとちょっと似ているのだが、こちらはもう少しライト。パルクールの動きを使って、障害物や段差がある度にワンアクションを加えて走る。段差から飛び降りたらワザと転がるとか、壁がある時はそれを蹴って方向転換するとか、ちょっとカッコつけながらやるイメージですね。

(こっちは衣服が汚れること必須なのと、自分がアクションした周辺に子供達がいるとお互い怪我をする場合がありますので、絶えず注意をしながらプレイする必要あり)

 

ざっと挙げてみてこんな感じでしたが、またはこれらを自分なりに組み合わせてやってみても面白いかも知れません。

 

因みに僕はゆるゆる設定のアサシンクリードプレイと界王拳プレイを組み合わせてやってみましたのですが、かなり自分の中で楽しかったです。

 

いわゆる本気で自分の中でも遊んでいました。

 

そして何より、本気で遊んだ後の子供達との何とも言えない一緒に楽しさを共有した感がハンパ無かったです。

 

遊んでいる時は勿論、会話をすることも言葉を交わすことも殆どありませんでしたが、その日の帰り道、子供達と帰っていて、また遊ぼうねって言い合った時の次の再開をお互いに待ち望んでいる感は、ホント、久々に味わったのでこれは是非他のお父さん達にも味わってもらいたいななんて思ってこれを書きました。

 

子供達の遊びの縛りプレイがちょっと流行ってくれないかな何て、微かな希望と共に今、筋肉痛と戦っています。ではでは☆

意外とグルメな秋葉原

秋葉原って昔は富士そばか、じゃんがらラーメンか、とんかつ丸五しか無かったイメージ(ひどく独断と偏見の僕の個人的な勝手なイメージです)ですが、今、秋葉原を数メートル歩くたびに美味しそうなお店とか駅前やらナントカビルやら色んな所に食べ物屋さんがあるなあと思います。

 

GOGOカレーやケバブ屋さんなど、いわゆる秋葉原B級グルメみたいなものも多く出てきたと思いますが、今回は個人的に好きな食べもの屋さんや昔を振り返った事を語って行こうと思います。

 

秋葉原ケバブ屋さんと言ったらまず真っ先に思い浮かぶのがスターケバブドネルサンド

 

これ昔は車の屋台だったんですよ。まぁ知っている人は皆知ってますけど。

 

んで、当時(多分10年以上位前)から値段はあまり変わっていなくて、500円とか600円だったと思うんですが、当時の僕としてはこの大きさでこの値段は高いって思っていたんです。

 

だって、500円払ったらマックだとハンバーガーだけじゃなくてポテトとジュースも付いて来たんですよ!

 

なのに、こちとら屋台で売ってるのに、店舗代かからないのに、マックのセット以上の値段でサンド一つって、んなもん絶対買わないぜー!

 

って思っていたのを思い出します。

 

そんな中、友達と秋葉原を歩いてたんですが、ある時ふと友達がケバブの屋台にふらっと寄って、「これ旨いんだよ、知ってる?」って言って、あっさりと買ってパクパク食べていたんですよ。

 

もう、僕の中では

 

「なぁーにぃー!アレ買うの!?」

 

って状態で、んでもってその友達はどっちかって言うと、僕の様にケチンボ根性ってよりは逆に、割りと大盤振る舞いな人だったので、どうせリッチ層狙いの商売か!とか勝手に僻んでいたのを思い出します。

 

でも、通る度に陽気な笑顔で言ってくるお兄さんとそれをさらっと買って行った友達の、

 

「これ旨いんだよ、知ってる?」

 

の言葉が何度も何度も押し寄せてきて、とうとう僕も

 

「よし、文句を言う前に一度買って食べてみよう!」

 

そう思って、試しに買って食べてみました。

 

当時は割りと食べ盛りだったので、パクっとさらっと食べてしまい、んーこれで500は高いなぁ、でも確かに旨いなぁって思ったのが第一印象でした。

 

牛丼が1杯280円で、リンガーハットが1杯340円で、バリューセットが1つ500円で、割りかしお腹がいっぱいになるのに必要な金額が少なくて済んでいたデフレ真っ只中だったあの頃、僕の頭の中はコストパフォーマンスによって支配されていました。

 

そういえば、サガフロ2アルティマニアでプロデューサーの河津氏が、若木の杖はコストパフォーマンスが一番いい武器なので、使いきってから売るとお金も増えて戦闘によるスキルや経験値も増える事が出来るので、ウィルの所持金の全てを若木の杖にするのがウィル編の始まりの鐘だとか言っていたのを思い出した。

 

コストパフォーマンス繋がりでした。

 

んで、そんなコスパに縛られつつも、なぜかまたあのケバブが食べたいと思って何回か買って食べている内に、価格帯が気にならなくなり、いつの間にか買って食べているようになっていました。

 

それと最も足繁く通ったのが、じゃんがらラーメンでした。

 

元は学習塾だったとか異色のラーメン屋さん。

 

秋葉原以外にも原宿、日本橋、銀座、赤坂と色々と店舗があり、銀座は確か一回無くなったと思ったのですが、さっきネットで見てみたら再開しているようですね。

 

更に今見たら池袋にも出来ていたんですね。

 

情報のリライトも記事のリライトと同じように重要だなぁと思いました。

 

西池袋店、今度行ってみようと思いました。

 

さてさて、九州じゃんがらラーメンですが、昔は外にテーブルや椅子を並べて、普通に半屋台みたいな感じでやってました。

 

外席がない今でも人気で並んでいましたが、当時は外席があってもっと席数が多いはずなのに今よりもっと並んでいた記憶があります。

 

秋葉原のタダゲー仲間におごってもらったり、一緒に食べたり、普通のじゃんがらを頼んだつもりが、全部入りが来て、じゃあ勿体無いので食べますって言って全部入り分お金を払うつもりが、お店の計らいで、じゃんがら分で良かったり、僕にとってはとても色んな思い出があるお店です。

 

ついこないだも、替え玉無料キャンペーンやっていて、友達と食べに行き、食べ過ぎてお腹を下しました。

 

何回行っても逸話が絶えないお店だなぁとついつい思ってしまいます。

 

この九州じゃんがらラーメンですが、一時期に友達との間である食べ方が流行りました。

 

じつは、おじやってメニューがあったんですよ。(今も有るのかな?)

 

それで、おじやのご飯だけ食べた後に、替え玉したらラーメンとおじやと両方食べられるよねって言って、おじやを頼んだ後に替え玉をするという食べ方をしていました。

 

でもそれって、ラーメン食べた後にご飯入れれば良くね?って思うと思いますが、なぜかその時はこの食べ方に夢中でした。

 

それからじゃんがらの味噌にもハマった時期があり、一時期は味噌を頼みまくった思い出があります。

 

後、じゃんがらラーメンってさっき出てきた麺のおかわりで替え玉ってのが出来るのですが、これを頼むタイミングってのが実はあるのです!!

 

例えば、如何に細麺だから茹でるのが早いとは言え、麺を全部食べきった後に替え玉コールをすると、若干ではありますが、手持ち無沙汰感が出てしまうのです。

 

そして、その手持ち無沙汰が危険で、その間についついレンゲでスープを飲んでしまうアクションを行ってしまいガチなんです!!

 

でも、よく考えて下さい!ここでスープを飲み干してしまったら、後からくる替え玉の麺を迎え入れる為のスープが無くなってしまうんですよ!

 

なので、理想は替え玉が来るまでにスープをなるべく飲まない事なんです!!!

 

そんで、更に言うならば、最初に頼んだ分の麺が食べ終わった瞬間に次の替え玉が来れば最高じゃないですか!!

(そんなに熱く語ることでもなく、もはや常識ですか??)

 

そこで、僕らは替え玉を頼んでから麺が来るまでの時間、他のお客さんの替え玉コール状況、その日の店員さんの手際の良さなどから、麺の湯で時勘を鍛えることに成功しました。

 

そして、麺の茹で時勘を手に入れた我々は、いつどんなタイミングで秋葉原のじゃんがらラーメンに行っても、ジャストのタイミングで替え玉をコールする事が出来るようになりました。

 

最初の麺を啜り終わったまさにその時、店員さんから替え玉が運ばれてきた時の俺最高感は、多分僕らしか思っていませんし、誰にも分からないかも知れませんが、とにかく心の中で密かによっしゃー!!!と声高らかに叫んでいます。

 

応用すると、じゃんがらラーメン以外でも博多天神や風龍、一風堂でも使えます。

 

とにかく、じゃんがらラーメンは秋葉原にあってくれたお陰で、僕はここから色んな事を学びました。(主に麺の茹で時勘。。。)

 

語り始めるとキリがない秋葉原食レポじゃないですけど、食べ物の記憶ですが、一旦ここいらで切ろうと思います。

 

気が向いたらまた違い記事で書くか、この記事をリライトして追記していこうかと思います。

ミクの英語版のダウンロード

初音ミクのv4買いました!英語版もバンドルされている方です!!

 

ところが、その英語版はダウンロードだけだったんですが、一定期間を過ぎると再びダウンロードが出来ないみたいなんです。

 

なので、その場合はクリプトンに問い合わせて、もう一度ダウンロードさせてくれって言う必要があります。

 

僕と同じようにパソコンの入れ替えをしたり、サブPCに入れるとかで再びダウンロードが必要になったけど、ダウンロード出来ないって人がいたら、試しにクリプトンに連絡をしてみて下さい。

 

一番はまぁあ、ダウンロードしたファイルをどっか自分で保管しておくことかも知れませんね。

 

さてさて、英語版の初音ミクですが、結構いいですね。巡音ルカで英語版のテキストとかは多少使い勝手は分かっていましたが、ルカで使える人だったら、特にノープロブレムで使えると思います。

 

英語版のミクとルカを使って気が付いたのは、恐らくなんですが、ルカの英語版の技術をミクで応用していると思うのですが、特に高音域になると、ルカなのかミクなのか声色の区別がつかなくなるような気がします。

 

これは、まぁボーカロイド全般で英語版に限らず日本語テキストでもそうなのかも知れませんが、高音になればなるほど、倍音が可視聴音域を超えて来るので、どうしても聞こえてくる倍音が少なくなってしまうので、音色のキャラクター性が失われていくのだと思います。

 

これはボーカロイドに限らず、ヴォーカリスト、楽器、シンセなど全ての楽器に言えることだと思います。

 

例えば、ハイトーンボースのメタルシンガーとかで、色んな人がいると思いますが、ある音域を超えると、多分高いC(ト音記号第3間のド?いやもう一個上かな?)辺りじゃないかな?とにかく、男性が出せる限界に近い音域を超えてくると色んなヴォーカリストの人が居ますが、その音域の出し方が似ているのか、誰が歌っていても、似たような音色に聞こえる気がします。

 

分かりやすいのはオペラのアリアとかで、物凄い高い超高音域の裏声の凄い奴とかだと、もう、専門家出ないかぎり恐らく一般の人の耳では誰が歌っているか歌手を当てるのって難しいと思うんですよ。

 

それぐらい声色が似てくる的な。

 

まぁ、それと同じ事がボーカロイドでも起きました的な報告でした。

 

しかし、それだけだと記事としてもボリュームが少ないので、もうちょっと掘り下げて英語版のボーカロイドについていくつか話してみようと思います。

 

ミクもルカもどちらも殆ど使い方は一緒ですと言うのはさっき言いましたが、この英語版のテキストのメロディへの割り振りが凄い!!の一言!!!

 

こっちがある程度意図して歌詞を付けたら、それにかなり忠実にというか、適切に歌詞をメロディに割り振ってくれるのです。

 

逆に、メロディに英歌詞を付けるのが分からないって人がいたら、まずはこの英語版を買ってみて、Google翻訳で思った言葉を色々と探して、長さ的にそれっぽいフレーズを作ってお試しでボカロに入れてみるとイイですよ!

 

それだけで、何か出来た感が味わえますし、英歌詞の曲アレルギーも多少無くなります。

 

まぁ、ネイティブな人からしたら変な英語とか思われるかも知れませんが、そもそも日本語歌詞の詩でも、正しい日本語が使われていないケースもありますし、そういった事も含めて表現だと思うんですよ。

 

んので、批判する人は放っておいて、まずは色々と作ってみる方が大事なんじゃないかと僕は勝手に思いました。

 

それに、英語で作ると今はYouTubeとかSoundCloudとか世界中の人に聞いてもらえますし、英歌詞の方が日本語歌詞よりも多くの人に聞き入られ易いんじゃないかと思います。

 

(誰だって母国語の言葉とか知っている言語の歌の方が、知らない言語の歌よりも聞きやすいでしょ?)

 

まあ、それを言ったら、中国語版とか作った方が、世界的な人口比率で言うと有効なのかも知れませんね。

 

ボーカロイドメーカーの皆さん!!ぜひ中国語版やその他の使われている比率の高い言語での対応、お願いします!!!

 

でもまあ、それには世界的にボーカロイドの存在を知らしめて、世界的にマーケットを広げていかないといけませんよね。

 

なので、とりあえずは、翻訳英語のおかしな歌詞かも知れませんが、僕はGoogle翻訳+ミク、ルカ英語版で曲を多数作っていってみたいと思います!

 

それで、世界的にももっとミクやルカの認知度が高まって、多言語への対応が出来るくらいの規模になったらいいなぁなんて思います。

 

ビバ!ボーカロイド!!

女の子増えたよね~秋葉原。ってか一部新宿化してない?

女の子が増えた

 

一昔前ってかれこれ20年ばかし前の話ですが、アキバって本当に女子が全く見当たらなかったんですよ。

 

それが今や普通にいるどころか秋葉原で働いている女の子がいるっていうのが、昔の秋葉原を知っている人からしたら、ずいぶんと変わったなぁって思うとこだと思います。

 

秋葉原と言えば、昔はラジオや真空管で一斉を風靡して、世界で一番部品が集まる場所とまで言われたところデス。

 

5年位前だと日本で一番有名な都市の名前が東京や大阪とかでなくダントツで秋葉原だったそうです。(これは、何も中国とか韓国などのアジア圏に限らずカナダとか欧米諸国でもそういう認識だったみたいですよ。秋葉原に観光客が多いのもうなずけますね。)

 

個人的に秋葉原の変性を見ていこうと思うんですが、部品ブームから今度は90年代前後でゲームブームってのが来たと思います。

 

ドラクエから始まり、ストツーなどの格ゲー、そしてファミコンスーファミなどのコンシュマーゲームと一緒に伸びていったのがアーケードゲーム

 

そんなゲームブームから一転して2000年代をちょっとして見せたのが萌えブーム。

 

ゲーム業界が徐々に行き詰まっていき、生き延びるために取った施策としてのキャラのグッツ販売が、意外な伸びを見せ、そして徐々にゲームよりもキャラ先行になっていったように思います。

 

そして、徐々にサブカルが市民権を得て、2010年を迎える前にニコニコ動画が台頭して来ます。それに連なってコミケなどのアングラだった文化が秋葉原とネットと繋がってどんどん大きくなって行きます。

 

コミケと連動するようにニコニコ超会議なんかのアキバ系イベントなども一般認知度が非常に高くなって行きました。

 

コミケアキバ系イベントで欠かせないのが、コスプレです。

 

レイヤーさん達のコミュニティや交流が盛んになるのもこの辺りからかなと思います。MixiなどクローズなコミュニティからTwitterFacebookなどのオープンなコミュニティへと広がりを見せて行ったのにつれ、実際に秋葉原にコスプレをしたり、出かけたりするレイヤーさん達、それを見に来るヲタク達、そして、それを商売にしてしまおうと目論んだ頭のいい人達。

 

そんな人達が集まって今の秋葉原が出来てるんじゃないかと思います。

 

女の子が増えたのも、パーツやゲームなどのコンテンツ重視から、アニメやグッツなどのキャラクター重視になって来たので、そのキャラクターにより近い女の子がそこにくっついてくるというのも、何となく頷ける気がします。

 

ちょっと話は飛びますが、ゲーム実況で女ん子がやっている動画あるじゃないですか。

 

僕、アレって凄いずるいなっていうか頭いいなってか、凄いなって思うんですよ。

 

だって、男の子の好きなモノが全て入っているから。

 

ゲーム、女の子、応援、んー、全部ってのは言い過ぎか、でもアキバ系の男の子のハートはぎっちぎちに鷲掴みだと思うんですよ。

 

アキバ系の男の子って引きこもってたり、外の世界に極端に接触する機会が少なかったり、そん中で、リアルにアニメでもビデオでもなく、リアルに反応して動いたり話したりする女の子ですよ!

 

しかも、その子は自分と同じゲームが好きなんです!

 

更にそのゲームは過去に自分がやったことが有り、自分のアドバンテージ感半端ないんです。

 

こんなシチュエーション、空きっ腹にGOGOカレー状態ですよ!(ちょっと重いですか?)

 

でも、別に女の子のゲーム実況は全然もっと広がって欲しいなって僕個人としては思います。全然批判するつもりはなくて、単にすごいマッチングだなぁって思ったんです。

 

それよりも、もっとゲームと女の子が自然になってもいいのかなって思ったりします。

 

でんぱ組のみりん氏や、もが氏がめっちゃヘビーユーザーだったのは記憶に新しいですが、今はスマホゲームで結構女子もゲームやっている人口増えていると思うんですね。

 

でも、コンシュマーゲームやPCゲームまでやっているユーザーはかなり少ないと思うんですよ。

 

なので、コンシュマーやPCをプラットホームとしているゲームメーカーさん達に言いたいんですけど、なんとかうまい具合にスマホゲームからコンシュマー機やPCタイトルへと誘導出来る流れ作れないですかね?

 

スマホで体験した面白さをコンシュマーやPCでよりディープにリアルに体験出来るみたいな仕組みでしょうか。

 

スマホゲームをコンシュマーやPCの本タイトルの宣伝に使う訳です。

 

宣伝と言いながらも、スマホゲームもそれをしっかりと創られてないと手抜きじゃんって

言われて終わっちゃいますので、ハマる要素をしっかりと入れないと行けないと思いますが。

 

なんか、凄い個人的なんですが、WiiUを買おうかと迷ってたら、いつの間にかスイッチの発売とWiiUタイトルの発売終了が決まったあたりとか、ハードの寿命がエラく短くなってませんかみたいな。

 

まあ、ネットが台頭して来て生活スタイルが今までとはがらっと変わって来たところはあるかも知れませんけど、何となく、古き好きゲーム時代をちょっと懐かしく思ってみたりしていまうところなのかも知れません。

 

いずれにしても、女の子と秋葉原、これって凄くこれからの時代のキーワードじゃないかなって僕は勝手に思っていたりします。

 

っというよりも、単に僕が好きなキーワードです。僕は女の子も秋葉原もどっちも大好きなんで、両方共盛り上がってほしいなみたいな単なる希望ですね。

 

ビバ、女の子!ビバ、秋葉原!!

インフルエンザで学級閉鎖

テレビとかメディアでインフルエンザが流行っているって言ってましたが、全然流行っている気配すら感じなかった今日この頃。

 

巷の噂では2月の上旬がピークだとかいいながらも、全然流行りのハの字すらかすりもしないで来たので、ああ、またメディアの恐怖バラマキ脅かしネタねって思ってたのですが、今週になって子供達の学校で学級閉鎖があるよって聞いて、ありゃま、本当に流行って来たのねと実感しました。

 

とは言え、各学級に2名以上で学級閉鎖ということのようなので、大体100人中8人とかそんな感じで10%行かない感じなんですね。だから確かに10人に1人なので見かける数が少なかったというのもうなずけます。

 

流行を大流行にさせないための施策として、規定値を決めて早めに学級閉鎖に踏み切る今の体制はしっかりしているなあと思いました。

 

昔の自分が通っていた頃は、クラスで半数とか1/3以上とかかからないと学級閉鎖にならなかったので、休みの人が徐々に増えていって、後1人で学級閉鎖だって思ったら、休んでいた子が回復して投稿してきた時のうおー!もうちょっとだったのに感は今はきっと無いんだなぁとしみじみ思いました。

 

そう思い返すと、親として子供に学校に行きなさい、学校は楽しいでしょ?って言いながらも自分も実は学校休んで遊んでた方がよかった派だったなってのを思い出しました。

 

初心を忘れるべからずですね。

 

話をインフルエンザに戻すと、今は予防注射とか、マスクとか、早めの学級閉鎖とか色んな対策で大流行を防いでいると思うんですが、なぜかそれでも毎年インフルエンザって大流行までは行かないまでも毎年流行りますよね?

 

ここからはかなり僕の個人的な変な意見なので、違うなって思う人は聞き流すかブラウザを閉じちゃって下さい。

 

今年思ったのは、インフルエンザで学級閉鎖が行われたタイミングってのが、丁度テレビでインフルが流行りますよって言ってた後のタイミングなんですよね。

 

インフルがこの辺りで広がる予定ですよって言っている辺りで丁度その後位に学級閉鎖になったんですよ。

 

んでね、会社に言ってた時ですが、確かにインフルで休む人とかいましたが、そんなに流行って感じではなく、ちらほらと出る程度で割りとまばらだったんですよ。

 

何が言いたいかと言うと、朝の情報番組がインフル流行るよって言うと、それを見ている子供の親とかお年寄り達がそうなのかって思って、勝手に自分を中心にインフルエンザにかかりやすい確率が高まるような行動とか、体の中の変化が行われると思う訳です。

 

所が、社会人は朝の情報番組を見ませんし、そもそもテレビ自体もあまり見られない昨今、それにニュースですらあまり見ませんから、テレビからの影響が少なく、ホントに運悪く免疫力が落ちている時にウイルスの近くに行ってしまって感染ってパターンだと思うんですよ。

 

つまり、インフルエンザの流行は朝の情報番組が作り上げている虚構であると言いたい訳です。

 

勿論、虚構と言っても、実際にインフルエンザの患者がいますし、確かにインフルエンザは結果として流行っているんですが、この毎年の流行を作り上げているのが朝の情報番組だと思うというイミで、虚構と言いました。

 

つまり、もし朝の情報番組でインフル流行情報を流さなければ、僕が社会人の時に実感した様に学校界隈でもまばらにかかって、流行まで至らず学級閉鎖も起こりにくいんじゃないかと思う訳です。

 

仮に情報を流すにしても、乾燥が高まり気温が低下する為、リスクが高まります程度にして、言い方も凄く重い感じではなく、もっとさらっと言って欲しいなぁと。

 

テレビで重苦しい顔で流行する予想ですなんて言われたら、多分誰もが恐れるじゃないですか、インフルエンザを。

 

だから、テレビを見ている人が怖がらないように情報を正しく伝えて欲しいなと思うんですよね。

 

んで、もっと言うと、毎年インフルが流行すると儲かるのが薬関係の人達ですよね。

 

病院、医薬品会社、厚生労働省とか、んで実際にテレビって医薬品会社がスポンサーになって風薬のCMとかやっている訳で、ここが繋がっないと考えるのはよっぽどお人好しかなと。

 

つまり、薬関係の人達は薬が売れると儲かる。

 

テレビで流行するかもって扇動すると薬が売れる。

 

テレビは薬の人達からお金をもらい、薬の人達はテレビで扇動した効果で薬を買いに来る人が増えてWinWinって関係が見えるかなぁと。

 

ガンを使ったテレビと抗癌剤がん保険の関係と似てますね。

 

恐怖を煽り、人々が動いた先に儲かる所があり、儲かったところは見返りで先にテレビにお金を払っておく。

 

このカラクリ、結構色んな人が気が付いて指摘してたりしてるんですけど、殆どそれに気が付いて対策している人って少ないと思うんですよ。

 

それだけ、お金をかけて情報規制したり、制限と監視を厳しくしているんだろうなって思うんで、もしかしたら、このブログにも何か来るかも知れません。

 

突然の閉鎖なんてあったら、そういう事情かも知れませんので、そうなりましたら悪しからずで。

 

まぁ、小さなブログなんでね、影響力も少ないですから、そんなことは無いと思っているので、言いたいことを適当に言っていられるのが強みです。

 

まぁ、何にしてもまだまだ寒さも少しありますから、みなさんも僕も、ずっと健康でいられますように!