怒るとは強めの愛情の表現である
皆さんは最近、誰かに怒ったり、何かに向かって怒りを顕にしたり、或いは怒られたことってありますか?
多分、普通に暮らしていて、誰かに怒ったり、或いは怒られたりすることってかなり希少だろうなぁと思うんですよね。
時にすぐに怒り出す人とか、怒りっぽい人、いつもイライラしている人なんかはいるでしょうが、基本的には怒る or 怒られる経験って中々日常生活を普通にしていると味わえないというか、経験しないかなぁと思います。
怒る人の特徴を誰かYou Tubeの動画で言っていた人がいて、いつも怒る人って何でいつも怒るのかというと、誰かに自分を分かって欲しいから怒るんだそうなんですね。
でも、普通、一般的にはコミュニケーションで怒るという事が発生すると、そこで一旦コミュニケーションは途切れてしまって、本来の目的である、伝えるという事がなされないまま、途絶えてしまい、その後のその人との関わり方はその人を刺激しない、怒らせないような立ち回りに自然となっていき、徐々にディスコミュニケーションな状態になってしまうんですよね。
周りの人と自然とディスコミュニケーションになってしまうので、いつもイライラして怒っている人は自然に人との距離の測り方だったり、会話の仕方を学ぶことなくそのまま加齢していきます。
中年を過ぎた辺りでは恐らく周りもその人への対応を他の人間関係とは別にして対策するようになっていて、その頃になるとよっぽどの腐れ縁のようなものでもなければ、きっとそういう人と関わり続けている人ってのは居ないでしょうね。
過去に自分が一番怒った出来事を思い返してみて下さい。
恐らくその時も、怒った相手に何かを伝えたかったんだと思います。
さて、いつも怒っている人の中にも実は2種類あって、怒りをコントロールできずに怒ってしまう人と、怒りを自分でコントロールして怒っている人です。
前者は先に出た例で明らかですが、後者の怒りをコントロールして怒る人ってのが実は居ます。
怒りをコントロールして怒っている人ってのは、実は優しい人だと僕は思います。
その怒りというか怒っている所作は実は怒っている人へ伝えたい故の怒りだったりするのです。
最近、ラーメン系のYou Tube動画なんかを漁って見ているんですが、ラーメンで怒るって言ったら、恐らくは佐野実さん、吉村実さん(今気がついたんですが、おふたりとも同じお名前なんですね)が特に強烈かなぁと思います。
佐野さんはラーメンを食べる時は静かに手早く食べるように怒っている所が印象的で、吉村さんはお弟子さんを小突いたり蹴飛ばしたりしているのがとても印象的ですね。
お二方とても厳しい表情で時には睨む形相なんかが凄く全面にイメージとして押し出している所があるんですけど、それでもあんなに物凄く大繁盛していたじゃないですか。
自分のお店の大繁盛だけでなく、お弟子さんとか、感化された人とかきっと大勢いたと思います。
そう、最初に紹介したいつも怒っている人の前者パターンのようにディスコミュニケーションが発生していなんですよ。
それは、なぜかというと、怒りを自分でコントロールできているからに他ならないんだと思います。
怒りのコントロールって怒りを抑えることに注視しがちですが、実はあえて気持ちの上で怒ってなくても、状況に応じて怒らなきゃいけない的な逆パターンもあるんですね。
だから、怒りをコントロールしている人の怒りは、怒っている感情をただぶつけているのではなく、伝えたい目的に応じて怒りを使い分けられてるのです。
そして、怒りをコントロールしている人の怒りって、実は優しさなんですよね。
ラーメンを喋ったりしてないで早く食べろと怒る佐野さんは、ラーメンは時間でドンドン伸びてしまうから、ラーメンが一番美味しい状態の内に早く食べて欲しいという、これ言ってしまえばただのお節介かもですけど、そういうお客さんに美味しい状態で最高の味を楽しんでもらう為の愛情なんですよね。
お弟子さんを小突き、時には蹴飛ばし、罵倒し、そういう吉村さんも実はそのお弟子さんがお店を出した時に、一人でもきちんとやっていけるように、色んな事を発破かけてるんですよね。
まあ、もしかしたら、そんなお二人も時に感情が先立って怒りの感情をぶつけてしまう事も多々あったかも知れません。
ですが、きっと怒りの感情をぶつけてしまった以上に、愛情としての怒りや元々の愛情が伝わるからこそ、人が付いて来ていたんだと思います。
怒る人のメカニズム。
怒る人は頑固、それは違います。
怒る人でも、感情をぶつけてしまう人は頑固かも分かりません。
それは、自分で自分を変えられない不器用さとそんな自分に対する周りの人に分かってもらえない悲しみがそう写っているのかも知れません。
ですが、怒っている人はその怒りの中で泣き叫んでいるんだと思います。
幼稚園の子供で癇癪を起こしている子と根は同じなのです。
頑固と言うより、変えられない自分に困っている人なんだと思います。
では怒りをコントロールしている人は何かというと、これは頑固なのではなく、一貫しているんです。
一つの道筋に従って、それを外れまいとしているからこそ、曲げられないんですね。
だから、もし、筋道に乗っているものであれば、それまでとまるで違う事であっても、新しい発見として捉えてそれを取り入れられる柔軟さも持ち合わせている訳です。
では本当に頑固な人ってのはどんな人か?
本当に頑固な人ってのは、逆にあまり感情を表に出さない人です。
感情を顕にせず、どんな道筋もどんな道理も通さず、頑なに全てを拒み続ける人です。
もう、完全にATフィールドですね。
ゼルエル級です。
だから、すげー頑固な人見たら、完全拒絶型、あーゼルエルって思えばいいと思います。
そういう見方でいくと、怒りのコントロール派はラミエル(ピラミット立方体型)ですかね。
全方位対応でありつつも、状況に応じて自らの形、攻撃スタイルを変えることも厭わない。
逆に感情むき出しは初号機でしょうか。
つまり、めっちゃいつも怒っている人は心の中にシンジくんが居るんですよ。
毎日毎日、
「逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ」
って言いながら、思いながら、外に出ているんですよ、人に話しかけているんですよ。
そのプレッシャーたるや、僕らってきっとそこまで深く考えて外に出ていますか?
そこまで考えて誰かにコンタクト取っていますか?
多分やってないですよね。
でも、初号機に乗るシンジくん(つまりはいつも怒っている人の心の中、深層心理として)は毎日が葛藤との戦いであり、その中でも必死になって奮い立たせながら生きているんだと思います。
そんな中ですから、僕らにとっての軽い一言やちょっとした事が、彼らにしたらそれは軽くも無ければ、寧ろ一大事なんですね。
そう思うと、いつも怒っている人に対してどう接すればいいのか?ってのがなんとなく分かってくる気がします。
ようは丁寧に、気を配って接するということでしょうか。
そして、同時にいつも怒ってくれる人へは感謝の気持ちでそれを受け取るということでしょうか。
最後に、頑固な人は、うーん、どうしようか、なんていうか、どうしようもない気がします。
今日はそんな所です。
最後までご愛読いただきましてありがとうございます。