サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。


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巡り会う本

 

ネコの手も貸したい 及川眠子流作詞術

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皆さんは本は買って読む派ですか?それともダウンロードしてデータで読む派ですか?

 

あるいは、本は買わない派でしょうか?

 

僕は割と本は買って読む派ですが、本以外にもネットの記事やニュースアプリなんかも読みます。

 

なので、割と本屋さんにはふらっと立ち寄ったり、本屋さんがある施設に行くと必ずと行っていいほど子供達と居ても一緒に本屋に行ったりしています。

 

おかげで子供達は本屋が好きになってくれました。

 

まあ、それとは別に、最近買った本が、実は1年前に見て、立ち読みしたり買おうかなって迷った本ばかりだったんですよ。

 

しかも、買ったのは最初に見た本屋とは全く違う本屋なんです。

 

勿論一目惚れでその場で買ってしまうケースもありますが、20代の頃に比べたら一目惚れで本を買う率は下がりました。

 

大学の時は電車通学の時間が長かったので、大体は通学中に読む本を選んで、読み終わったらまた選んでみたにしていました。

 

ですが、大学生ですから、そんなにも本を書い続ける訳にはいかなかったので、区や大学の図書館を結構利用していました。

 

なので、普段は図書館で借りた本を読んで、良い本を本屋さんで見つけたら、それを買って読むみたいな感じな日々でした。

 

中学高校と本を3行読んだら眠くなっていたあの頃の自分と比べたら大違いです。

 

でも、なんであんなに前は眠くなっていたのに、本を読めるようになったのか?って考えたら、意外と簡単なことだったんですね。

 

理由は一つ。

 

自分で本を買いだしたらか。

 

そう、それまでは、中学高校時代は、読書感想部とかの学校で選ばれた本だったり、時々父親がこれはおもしろから読め!みたいにして渡される本だったりで、まあ、簡単に言うと自分の興味のない本ばっかだったんですよ。

 

ネバーエンディング・ストーリーにしても、結局映画を観て、何となく興味を持ったものの、買った当時はストーリーが追えなくて、読めませんでした。

 

ネバーエンディング・ストーリーについては、もうちょっと大人になってから、エンデが物語を通して社会風刺をしているのだと気が付くようになり、そこからはとてもおもしろく最後まで読めました。)

 

なので、自分が親から本を渡されるのはすごく嫌だったので、子供にはそういう思いはさせないようにしようって思ったんで、子供にこの本面白いから読みなさいみたいな事は絶対にしないようにしてたんですけど、八犬伝とかついついやってしまっています。

 

ですが、一応自分の父親との違いとしては、彼らが興味を持つような誘導をしているつもりで、自発的に読みたい!って思ったら読んでくれたらいいなみたいなスタンスでやっています。

 

そういう点では八犬伝はうまくいきましたね。

 

で、血筋というのか、漫画では姉が買っていた本だったり、父が持っていた本だったりを同じものを選んで買っていた事もありました。

 

東京バビロンや吸血姫美夕(バンパイアミユ)とかは姉が持っていたのに気が付かず、自分で買いましたし、水滸伝は父が持っているのを知らずに自分で買ってました。

 

また、父の本か祖父の本か分からないのですが、進められて渡された本には一切興味がありませんでしたが、祖母の家にあって、たまたま見つけた、甘えの構造という土居健郎著を見つけて、自分の愛読書にしたりもしました。

 

そういう意味でも本って面白いめぐり合わせがあるなって思いました。

 

そんな風に時代を超えて巡り合う場合もあれば、最近の様に、気になっていた本に再び出会って、それを手にとって今度は買うみたいな巡り会わせもあるんだなって思います。

 

これって、ダウンロードでは中々無いかなって思うんですね。

 

ダウンロードの場合、特にKindleとかだと無料で読めたりするから、とりあえず気になった本は全部ダウンロードして積ん読したり出来ますよね。

 

そうでなくても、電子書籍の方が安い場合があるので、とりあえずポチって積ん読ってやりやすいかなと。

 

別に紙の本至上主義という訳では無いんですけど、データにはデータの良さがあるように、紙の本にも紙の本の良さがあると思います。

 

その一つが、こんな風な時間が経った巡り会いです。

 

最近シーズン3が始まったサイコパスですが、シーズン1で槙島聖護が紙の本は自分の感覚をリセットする一つのツールなのだって言ってましたが、何となく分かる気がします。

 

重み、感触、匂い、それら全ての雰囲気が、ある種の儀式じゃないですけど、自分にとって何か有益な物をもたらしてくれる気がするんですよね。

 

昔は本を読んでいる自分ってなんかカッコいいみたいな、タバコ吸っているのカッコいい的なイメージを僕は本に持っていましたが、そういう一種の自己陶酔な部分もあるのかも知れませんね。

 

今日はそんなところです。

 

「甘え」の構造 [増補普及版]

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