サブカルアキバパパ

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いつの間にかスティーグ・ラーソンから変わっていったミレニアム

ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女 (上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女 (上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

ミレニアムって小説をご存知でしょうか?

 

ドラゴン・タトゥーの女としてハリウッドでも映画になった作品で、謎の女リスベット・サランデルとミカエル・ブルムクヴィストの登場するシリーズ小説です。

 

ミステリーが基調ですが、政治的な背景を描いていたり、フェクションの中に現実とも重ねさせる描写などがあり、どことなく社会問題を告発するような雰囲気が漂っている作品でした。

 

最初の作品は完全にミステリーでしたが、2作目、3作目からは、様々な社会問題を取り入れて、読者や社会に問題の投げかけをしているような作品でした。

 

ところがこの作者のスティーグ・ラーソン、4作目を発表前にして急死してしまいます。

 

1作めはミステリー、2作目は女性暴力と人身売買について、3作目は亡命者と公安局の闇についてを告発したさしずめフィクションとミステリーの皮を被った告発小説という雰囲気でした。

 

そして、2作目の最後に3作目の問題が提示されていたのですが、それに習うと4作目で取り上げられると思われる内容は、3作目の最後から推察すると、いわゆるタックスフリーに関する話なんですが、ラーソンの急死により書きかけの4作目が発表されることはなく、別な作者によって引き継がれ、全く新しい4作目が発表されます。

 

発表された4作目の内容はデジタルに関する話で、いわゆるスノーデンス氏が亡命して告発したエシュロン(米国の盗聴システム)についての話でした。

 

そう、3作目に示唆されていた内容とは全く違う内容だったのです。

 

ここで、陰謀論が囁かれたりもしました。

 

つまりは、4作目に本来はラーソンはタックスフリーに関する社会問題を小説から提起するつもりだったが、タックスフリーによって膨大な利益をもたらされている一部の既得権益組織が、その発表による影響を恐れてラーソンを暗殺したという陰謀論です。

 

まあ、実際に3作目を読み終えた後に、4作目の発表前に急死したという情報を来た時に、僕も同じ用に、ああ、タックスフリーで利益を得ている人に狙われたのかな?って思いました。

 

そして、すっかりと新装開店、全く内容の違った話で、それでいてミレニアムの雰囲気はそのままに、新しいミレニアムはスタートしていったのです。

 

続く5作目も順調に発表され、いつしかラーソンのミレニアムは消えていきました。

 

新しい4作目からのミレニアムも嫌いでは無いですが、若干、ラーソンだったらそんな風にリスベットを動かさないんじゃないか?とか、そこでラーソンのミカエルだったこんな事を言うんじゃ無いかな?とか思ったりすることも無かったのですが、それでも4作目の蜘蛛の巣を払う女は面白く読み応えのある作品ではありました。

 

数学的な話、コンピューターな話に寄っている感じはありましたが、それにより、謎だったリスベットの能力を間接的に説明するのにとても役立っていたのだと思います。

 

個人的にはタックスフリー編の4作目も気になりますが、これはこれで良かったのかなとも思います。

 

っというのも、新しいミレニアムは読み物として軽くなった気がするのです。

 

1作目は本格ミステリー、2作目は血生臭いドロドロとした炎のような作品、そして3作目は政治的背景を伴った角張った作品という印象でした。

 

特に、2作目の最後の方のあの展開には本当に驚かされました。

 

3作目のタイトルを「眠れる女と狂卓の騎士」としたのも、後から2作目を読む人が3作目のタイトルから2作目の流れを読めないように、或いはミスリードさせるかのような意図があったのかも知れません。

 

それほどに、読者に対するリーディング(導き)が、ラーソンの小説は非常に秀逸だったとも言えます。

 

また、ミレニアムを読んで、北欧を旅してみたくなった人はどれほどいた事でしょう。

 

バスタブに浸かりながらシャンパンを飲むミカエルとエリカの姿を想像しながら、シャンパンは飲めませんし、事件の一つも解決していないんですけど、湯船に浸って今日も疲れを一つ落としていこうと思います。

 

今日はそんなところです。