サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。


スポンサードリンク

佳子さま頑張れ!ダンスしていたっていいじゃない!!

ちょっと古いニュースですが、前に佳子さまが今現在何をしている?みたいな記事をちらっと見て、書き出しが見えて、ニートだとかダンスして公務はどうなんだとか、そんな記事をちらほらと見かけたんですが、まず、普通にダンスしている姿が可愛いですよね。

 

そして、真剣そのもので、個人的にはいいなぁって思いながら、佳子さまダンスがもっと見れればいいのにって勝手に思っています。

 

そんでもって、佳子さま批判をする人の心理についてちょっと考えてみたんですよ。

 

多分なんですけど、佳子さま批判する人は、きっと自分が苦労しているのに、苦労していない誰かを認めるのが出来ない人なんだと思うんですね。

 

要は、自分が苦しいのだから、他人も苦しい状態でないと嫌だって事です。

 

これって、前に話した、自分がした苦労を他の人にはさせないで同じ轍を踏まないように考える人と、自分が苦労したから他人にも同じ苦労を望む人って話と一緒で、結局自分が苦しい事と、他人が苦しくない事の区別が出来ていない人なんですよね、そういう批判する人って。

 

だから、自分は働いているけど、皇族だからとて、大学を出て働かないのに好きなダンスをやっている佳子さまの状態が許せない!みたいな思考になってしまうのでしょう。

 

そういった人種は一定数いるのは確かで、そういう人は週刊誌やゴシップ記事や炎上ネタが大好物なんですよね。

 

もちろん、そういう人が大半かというとそうではなく、最近は寧ろ割合的には段々と減ってきている減少傾向にはあると思います。

 

ですが、どうにもまだ一定数はそういう人達は居て、そしてそういう少数の人達が実は炎上などの現象を引き起こし、まるで大多数の同意見の人がいるかのように見せかけているんですね。

 

ある研究によると、炎上行為をしているアカウントを調べていった結果、実際に炎上行為を盛んに行っているアカウントは全体の約1%にも満たなかったと言います。

 

要は、一部の人が複数のアカウントを使って、大人数の大多数意見を装っているということです。

 

これによって、現在は少数派である自分の苦労を他人にも強要する人達はあたかも自分の価値観が大多数で、自分の考え方こそが世間の考え方であり常識であるのだと錯覚している訳です。

 

そして、少数であるからこそ、自分自身がそのままでは安心が出来ないので、より炎上行為、複数アカウントを使ってまで自身の安らぎを得るのに必死なのです。

 

これは認証欲求が激しいSNS症候群の人とも似ています。

 

女性の場合はいわゆるその矛先が男性に向けられて、一部のチヤホヤしてくれる男性を求めて決して幸せにはなれない斜面を転がり落ちていってしまいます。

 

しかし、男は承認欲求を満たそうにも、誰も寄ってきてくれません。

 

だからこそ、自分のまやかしを沢山作り、炎上行為に勤しんだり、誰かを叩いて自分の不幸から目を逸すことに必死なのかも知れません。

 

ともあれ、賛否両論はありますが、僕は佳子さまがダンスをやっている事に関して別に公務をしないで何を遊んでいるのだ?みたいな意見はちょっと違うと思います。

 

変な話、佳子さまが仮に公務を全くしないで、引きこもってゲームばっかしていたとしても僕はいいと思うのです。

 

ってかそれくらい許せる懐のある国民性の方が、日本人って良くないですか?

 

別に日本に限らず、人として、色んな立場、状況、背景がある中で、その人が一番幸せになれる道を歩もうとしているのであれば、それを邪魔するような意見や行動は誰であってもするべきでは無いのではないかと思うのです。

 

人として、それぞれが自分の人生を幸せに向かって行けばよく、誰か他の人が自分と違う道を選んでいても、それは別に単なる違いであり、仮に自分に直接的な迷惑がかかったとしたら、それはそれで、それも含めて、そういった人からも迷惑をかけられる位に自分は大きな存在なのだと思って、全部受け入れてしまえばいいと思うのです。

 

それを、別に自分に直接的な迷惑もかかってないのに、誰々に迷惑がかかるからとか、何何をしなければならない義務があるとか、そういったくだりでもって他人を批判したり責めたりするのは、僕は何か違うような気がするのです。

 

また、佳子さまがダンスをしてさっそうと輝くことは、決して公務に悪影響だけを与えることは無いと思うのです。

 

例えば、ダンスを通じて世界と交流をしていくことも可能ですし、ダンスによって佳子さまが有名になっていけば、そういった皇族でありながらもダンスで有名な人が他の国に行ったのと、単なる皇族の人が来るのとでは全然受け入れる側の嬉しさも違いますよね。

 

固い社交辞令で世界を巡礼するくらいなら、ストリートダンスで人々を魅了しながら世界中から注目を集めてた方が全然日本の国にとっては有益ではないでしょうか?

 

ちょっと飛躍し過ぎましたね。

 

ですが、要は直ぐ先に目に見える利益に焦って、遠くの見えない大きな益をもたらすかも知れない可能性を無くしてしまうのは、勿体ないと思うということです。

 

国がね、日本がね、明日をも知れぬというような状況で、国民が全員貧しくて苦しい思いをしている中だというならまだしも、僕らの国はまだまだ裕福ですし、国民全員幸せに生きていられますよね。

 

幸せかそうでないかは、心の状態で決められますよね。

 

少なくとも、物理的に死にそう国では無いですよね。

 

だから、そういう見守る余裕というのか、何というか、まあ、若い芽を積むような事はしないで、可能性を大いに期待して行ったら良いんじゃないかなって思うんですよ。

 

それでね、きっと、佳子さまを批判している人ってのは、先に言った心の狭い人だけじゃなくて、恣意的に彼女の評判を落とそうとしている層がいる訳ですよ。

 

政治的な理由で。

 

だから、気が付かないでいると、心の狭い人達は、そういう政治的な恣意的に動いている人達に利用されてますよって言いたいんです。

 

なんだろ。

 

既得権益側の人って、大衆、いや、人が考えていない隙間を利用するのが本当に上手いのだと思います。

 

巧みに操っているように感じさせないで、意図した方向へと扇動していくんですよね。

 

ですが、今や僕らはネットという自由な情報伝達手段を持っています。

 

情報収集ツールを持っていますから、既得権益の扇動する情報に踊らされないで、自分自身で情報の真偽を判断して選択していくってのが大事なのだと思います。

 

もちろん、ネットは嘘も多いです。

 

不確定な情報をあたかも日常茶飯事のように書いてある事もあります。

 

ですから、これから求められるのは、ネットに限らず、情報へのリテラシであり、突き詰めるとそれは自分自身へのリテラシでもあるのかなとも思いました。

 

今日はそんなところです。

 

日めくり 日本のプリンセス 佳子さま (バラエティ)

日めくり 日本のプリンセス 佳子さま (バラエティ)

 

 

 

麗しの佳子さま 成年皇族のご足跡 (別冊宝島 2540)

麗しの佳子さま 成年皇族のご足跡 (別冊宝島 2540)

 

 

 

ひと目でわかる皇室の危機 ~天皇家を救う秘中の秘

ひと目でわかる皇室の危機 ~天皇家を救う秘中の秘