プライドと面子の指向性による男女の違いについて
なんだかよく分からない表題ですが、わかりやすく言うと、男女でプライドというか面子というか、まあ、外面への考え方、価値観がちょっと違うので、それをマイクの指向性という言葉を使って説明しますということです。
まず、指向性って言葉なんですが、マイクにで使われている言葉で、超指向性とか、無指向とかまあ、色々と種類があります。
んで、指向性ってのは、簡単に言うと、ある範囲の方向にだけ、例えば、マイクからみて上だけ、音を拾いますよ、それ以外の音はあまり拾いませんよ、ってのが、指向性マイクです。
これは、カラオケなんかやった事ある人は分かると思いますが、マイクの先っちょをスピーカーに向けると、ハウリングって言って、キーンってなるじゃないですか。
でも、マイクの方向を変えると、キーンしなくなるんですよね。
これがまさに指向性マイクで、先っちょに指向性があるわけです。
ようは、先っちょからよく音を拾うけど、先っちょ以外はあまり音を拾わないってことです。
指向性とは、その決められた方向に効果があるという意味だと思って下さい。
反対に無指向マイクというのは、全部の方向から同じ様に音を拾うので、もし、無指向マイクをカラオケに持ち込んでしまったら、キーンってハウリングしまくってしまって、歌どころではありません。
あと、超指向性(スーパーカーディオイド)というのはその指向性がものすごく限定的だという意味で、指向性よりも幅が狭いイメージです。
さてさて、前置きが長くなってしまいましたが、前置きが長いということは、話は簡単、お後が短いということです。
嘘です、きっとまた長々と書いてしまいそうなので、先に言っておきます。
さてさて、女性と男性とで対外的な面子に関する考え方が違うというのを言いたいのと、それをお互いが理解していないゆえに男女の喧嘩が起こったり、すれ違いだったり、相手のことを理解出来ない事象が起こってしまうのではと思い、それについて考えていってみようと思いました。
あるなにかにこう書いてあるのを読みました。
男性は恥ずかしさや面子に関して、女性と一緒にいる時、その目の前の相手だけを相手にして、考えるが、女性は、目の前の男性だけでなく、すべての人からどのように見られるかという観点で基本的には考える、というのです。
つまり、男性は目の前にいる相手に対してだけどうにかなればいいと考えるのに対して、女性はすべての人に対してどうにかならないといけないと考えてしまうというわけです。
ちょっと、自分でも書いててわかりにくいですね。
例えば、男性はパートナーに例えば浮気した時に白状してしまいがちですが、女性はそれをほぼほぼ絶対にしません。
これは、浮気の白状という行為が、男性の場合、目の前の相手だけにしか影響しないと考えるため、目の前の女性が他に黙っていてくれれば、彼の面子は保たれるわけです。
しかし、女性はそうはいかない。なぜならば、その男性に話す=全ての人に話すと同義だからです。
つまり、女性の場合は、その男性だけに話している感覚ではなく、そこで事実を認めて人に話す=そういう自分自身を世間はどう見るだろうか?という風に考えてしまうのです。
そして、世間的に思わしくない自分というのを認めることは出来ないので、白状することも絶対にしないのです。
浮気の白状には、男性はつみの意識に耐えきれない、精神的に弱いから、直に白状し、女性は罪の意識に耐えうる精神的な強さを持っているから白状しないみたいな意見もありますが、僕はこのプライドに関する男女間の違いもかなり密接に関係しているのではないかと思いました。
浮気の白状以外にも、色んな喧嘩があったり、行き違い、言い争いなどあるかと思うんですが、そんな時、ふと、この男女間でのプライドの捉え方の違いってのを思い浮かべてみて下さい。
もしかしたら、相手の言っていることの意味が、相手が本当はどうしたいのか、どうしてほしいのかが見えてくる場合が出てくるかも知れません。