サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。


スポンサードリンク

仮 柵と鳥

ちょっと今日は口調を変えて、思いついた事を思いついたままに書き連ねてみました。

 

よかったら、最後まで読んでみて下さい。

 

以下本文

 

僕は川べりを歩くのが好きで、よく近くの川に散歩をして訪れることがある。

 

川の手前には柵があって、柵の向こう側に鳥たちがいるので、その様子をなんとなく見ているのが好きなのだ。

 

柵の向こう側で鳥たちは餌をついばみ、翼をはためかせ、時に腰を下ろして日向ぼっこに勤しむ。

 

そんな鳥たちを眺めながらぼんやりと歩いている時間は、自分にとって別に必要不可欠とというものでは無いのだろうけど、どこかそういった時間が僕の中の何かを作ってくれているのだと勝手に思い込むようにしている節は無いとも言えないかも知れない。

 

柵の向こうの鳥たちは自由に勤しむ。

 

柵のこちら側の僕は適当歩いている。

 

この絶妙な距離感は川べりに柵があってこそ成立する事であり、もし、この川に柵が無かったら、鳥たちは緊張し、或いはそこに降りてはこず、僕も鳥たちを眺めることが叶わないかも知れない。

 

また、その柵を僕が超えて川の向こう側に行っていたら、鳥たちは飛び立ってしまうだろうし、逆の柵のこちら側に鳥たちが来たら、僕は彼らを捕まえようとしてしまっただろう。

 

しかし、この柵があるお陰で、互いが互いの不可侵を守ることができ、そのお陰で鳥たちは安住の地を、僕は安息の時間を得ることが出来ているのだ。

 

だが時に、そういう不可侵を超えてしまう時が僕にはある。

 

正確にはあったと言った方がいいか、でも、この先も無いとは言い切れないので、ある、と現在形で言った方がいいだろう。

 

昔の僕は、そこに柵があっても、平気で超えてずかずかと他人の領域に入り込んで行く傾向にあった。

 

いや、柵があることに気が付かないで、ずかずかと行く時もあったし、柵があっても逆にこんなものと柵を壊して入り込んで行くきらいがあった。

 

そして、相手にも自分の柵を取っ払って、こっちに来いと強要するような、そんな部分が強くあったのだ。

 

その気質のせいで、多くの人が迷惑を被ったであろうし、沢山の人たちを無碍に傷つけてしまったと思う。

 

それでも今なお人間関係を続けてくれている友達には本当に感謝しかない。

 

自分の柵を取っ払い、相手の柵を物ともせずに無視して突っ込む、要はプロレスだ。

 

その頃の僕は相手と心のやり取りの中でプロレスをしていだのだ。

 

相手が望む望まないに関わらず。

 

勿論、プロレスを好まない人も多くいただろう。

 

反対にプロレスを理解してこっちの技に対して、やり返してくる人もいた。

 

そして、僕は相手のやり返しに対して、嫌悪するという、自分だけ技をしかける癖に相手の技は受けないというえらく卑怯なやり取りをしていた部分もあったと思う。

 

全てが全てそうではないが、相手の技を受けることも無くは無かったが、それは自分が理解出来た技の時だけで、自分が納得していない技に関しては、受け入れるどころかそれを批判し、嫌悪し、そして遠ざけた。

 

自分が受ける嫌悪の理由を、自分自身で作り出している事に気が付かずに相手を嫌っていたのだ。

 

そもそもなんで僕はそのような気質が付いてしまったのかと考えた時に、昔から父や母と議論を常日頃からしていた事がある程度関係しているような気がした。

 

僕が子供の頃、父は論理的に話す事が好きで、論理的な物事の考え方などについて、色々と語っていて、僕はいつもそれになんとなく耳を傾けていた。

 

父とは時々、夜が多かったと思うのだが、一緒に二人で散歩だったのか、買い物だったのか、とにかく父にくっついて一緒にどっか歩いていた記憶がある。

 

ある時は喧騒の街を歩きながら、ある時は静かな住宅街を歩きながら、とにかく何かしら話をしながら歩いていた記憶だ。

 

そんな中で、僕が徐々に論理的思考が身に付いてきた時だろうか、ある議論のような話の中で、父の話している内容の矛盾点に気が付き、僕はその矛盾を事細かに説明し、父を今で言う論破してしまった事があった。

 

その時の僕は、常日頃から論理的に物事を考えて、理屈で物を話しなさいと聞かされていたので、父の言う通りの事がやっと自分にも出来た!と喜び、当然、父からもよく論理的に反証が出来たなと褒めてもらえると思った。

 

だが、その時、父から出てきた言葉は。

 

お前のは屁理屈だ。そんな屁理屈を言ってないでもっとちゃんと物事を考えなさい。

 

というような内容だった。

 

後半は実はあまり覚えていないのだが、確かに最初に屁理屈だと言われたのはなんとなく覚えている。

 

それ以降、何かしら僕が自分なりに順序立てて考えた話をすると、それらは全て父からしたら屁理屈になってしまい、話はそれで一切聞いてもらいないようになった。

 

どうしたら屁理屈がちゃんとした理屈になるのか何度も何度も父に論理的な説明を繰り返しても、何をどう話しても、最終的には屁理屈と言われて終わってしまうので、僕はとうとう父に話をすることをやめてしまった。

 

そこから中学、高校と鬱屈した時代を経て、友達と好きなものについて語る事、悩みを打ち明けることなどを学び、そこから僕の話し相手は父から友達へと変わった。

 

二十歳頃を過ぎた辺りの僕は、世の中みーんな嘘つきで、本音を話す人は誰も居ないと考えては、自分だけは本音で話をする唯一の人間なのだと訳の分からぬ自尊心を振りまいて生きていたのだ。

 

正直で有る事と、バカ正直である事の違いに気が付かずに、人に対して思った事を思ったように話し、それがとてもカッコいい事のように思っていた時代があった。

 

そう思う一方で、自分が立場的に思うことを思う通りに言えないシチュエーションが出てくる事も多々あったのだが、それに関しては考えないようにしたのか、記憶から消し去っていたのか、ともかく恐らくは自分の中で何かしらのバランスを取っていたのだろう。

 

もっと言ってしまうと、バカ正直に話しても大丈夫な人にはそのまま言葉を選ばないで話しをして、この人は言葉を選ばないと怒られると思った人には言葉を選ぶようになったのかも知れない。

 

卑怯なプロレスが始まったのがこの頃だったように思う。

 

色んな友達を捕まえては、それは偽善だとか、言い訳だとか、もっと自分に正直であれとか、本当の〇〇はなんだとか、そんな事を連日誰かしらを取っ捕まえては何かしらの議論をしていた。

 

きっと、自分をプラトンアリストテレスかのように思い、この世の真実を自分だけが見つけることが出来ると本当に信じて疑って無かったんじゃないかと思う。

 

さっき、言葉を選ぶと言ったが、そう、その言葉を選ぶという事に関して僕はずっといい加減に生きてきたのだ。

 

社会人を経験していながらも、恋人、友達や家族など自分が親しい人に対しては言葉を全く選ばないで、そのまま何も考えないで浮かんできた言葉を相手に投げつけていた。

 

それによって相手が傷ついている事もなんとなく分かりながらも、自分は相手の言葉によって傷つく事も受け入れるから、相手も僕の言葉で傷つくことを受け入れるべきだとさえ思っていたのかも知れない。

 

それが、ある日を境に、言葉の持つ重要さを理解するに至った。

 

と同時に、今まで自分がしてきた所業というか、どれだけ近しい人に無配慮な言葉を投げつけてきたのか、それによってどれだけ傷つけ続けていたのか、そして、自分がそうしてきた事で、どれだけのトラブルを自ら引き起こしていたのかを理解したのだ。

 

身に降りかかる全ての厄災は自分が引き起こしていたのだと。

 

厄災と言っても、人間関係で起こる厄災だ。

 

自分が投げつけた言葉によって、相手から恨みを買ってしまっていたり、その言葉によって妬みを抱かれていたりしたにも関わらず、それに全く気が付かない自分がいたのだ。

 

今にして思えば、当然の結果だと考えに到れるのだが、その当時の僕は全く考えすら思うこと無く、自らの首を絞めるであろう言動を行い続けていた。

 

寧ろ、その自分の言動が、相手にとっても良いことであると信じて疑わなかったのだ。

 

ああ、恐ろしい。

 

まったくもって阿呆の極みである。

 

言葉の持つ棘、鋭利な刃、突き刺さる痛みを、僕は自分がある程度の耐性を持ってしまっているが故に、自分以外の人も同じ尺度で考えてしまっていて、同じ耐性で考えていたのだ。

 

ひとえに想像力の欠如である。

 

そんな貧相な他人への想像力しか持ち得ていない自分を想像力豊かだと思っていた。

 

しかし、そういう自らの行いの過ちに気がついた時、それらの原因となっていたものから自分の生まれ育った環境と、過去の経験などの再認識が行われるに至った。

 

結果、今のような、柵を超えない生き方を学び、それによって、他人を無自覚に傷つけてしまう事をなるべく回避する傾向になった。

 

それでも時々、相手を傷つけてしまう時がある。

 

だが、昔と違うのは、その行動を取ってしまった後に、気が付く事が出来る事である。

 

気がつけるので、次からはそういう言動をやめようと思えるのだ。

 

勿論、それを言ったらお終いよ的な場面も無くは無いかも知れない。

 

だが、それでも極力、次がある場合は同じ過ちをしないで行くことが出来るようになった分、昔よりはいくばかしかマシになったのだと考えるようにした。

 

正直さとは、自分自身に持つ言葉であり、他人に向ける言葉では無いのだと理解した。

 

他人に対しては正直になるのではなく、誠実になる事なのだと。

 

当たり前という言葉を他人にではなく自分にこそ使うべき言葉であり、他人には有り難いを使うべきであると言うのと同じである。

 

言葉には、自分自身に対してのみ使うべき言葉にも関わらず、他人にも適用してしまい、それによって軋轢なり弊害なりが生じてしまう事がある。

 

正直と誠実、当たり前と有り難い。

 

他にも色々とあるだろうが、今はぱっと思い浮かばない。

 

だが、一つ一つ意識して使う言葉を変えることで、自分自身を変えることができると僕は僕自身の未来の可能性を信じていたい。

 

以上本文終わり

 

今日はそんなところです。

 

いつも、最後までご愛読いただきまして、ありがとうございます。