サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。


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スタンフォード監獄実験が指し示したものとは

虐待を受けていた少女が夜中の3時に相談所へ行った所、警察へ行きなさいと言われて警察に保護された話で、その時に対応した職員の人に対して、これは良くない対応だ!的なTweetが流れてきたので、今日はその事について話したいと思います。

 

まあ、そういう危険な目にあっている少年少女を保護するための機関の職員なのに、その義務を全うしないで、まあ、ある意味で放棄するような対応を取っていた事に対して、それはあまりにも良くないんじゃないの?って意見があって、それは、まあ、分からなくは無いんです。

 

んで、これについては職員は緊急性は見られなかったとか、見た感じ大きく見えたとか言っているのに対して相談所としては職員の対応が間違えていたとして謝罪を述べている訳ですね。

 

なので、余計にこの対応した職員の人は一体全体なんなんだ!!職務放棄しやがって!!!ってそういう意見がまあ出てくるのも分からなくはないです。

 

ただ、じゃあ、この件ってその職員の人が本当に悪いのだろうか?って事をちょっと深く考えてみたいと思ったんです。

 

そう、その職員の人は本当に悪人で、怠け者で、そういった職務を全うしない性格の人なのか?ということです。

 

まずね、人って不安や睡眠不足があると、ものすごく判断能力を奪うんですよ。

 

これ前提で話します。

 

不安って言うと一番の不安は貧困ですね。

 

生活に困るレベルだったり、経済的に将来の安定というのが無い状態ってものすごい貧困に対する不安感ってすごく強くなるんですね。

 

ましてや、市の職員的な立場といえど公務員でも今は先行きがわからない時代ですし、この方がそもそも正規の公務員なのかどうかも分からないですから、もし、派遣社員さんとか契約社員さんとかだったら、賃金の面ですごく不安な状態であった可能性があります。

 

次に、この少女が訪れていた時間帯ですが、午前3時頃ということで、普通に深夜ですね。

 

なので、この方は夜勤で当直している所にこの自体に出くわしたことになります。

 

前提でも言いましたが、睡眠不足は人の判断能力を著しく失わせます。

 

また、夜勤勤務をしている人はそうでない人に比べて普通に同じだけ睡眠時間を取っていたとしても、その睡眠の質が異なると思いますので、多分ですが、夜勤勤務している人の方が日勤の人よりも睡眠不足である可能性は非常に高いと考えられます。

 

また、日勤と夜勤とだとイメージですが、夜勤をさせられる人の方がどちらかというと立場が弱い状況が多いと思います。

 

日勤の上司 > 日勤の現場の人(ベテラン) > 夜勤の人 > 新人(日勤でも夜勤でも)

 

みたいな感じじゃないでしょうか?

 

まあ、言いたいのは社会的な立場が何も保証されていなく、経済的にも安定していなくて、更に睡眠不足であるような状況だったと言うことです。

 

つまり、そういう人が正常な判断で深夜に駆け込んできた少年少女をさばけますか?って事ですよ。

 

必要に応じて保護したり、警察に連絡したり、親に知らせたり、逆に知らせなかったりってそういう判断って、結構レベルの高い判断が必要だと思うんですよね。

 

だからこそ、そういう現場で働いている人はそういう理念を持って働かなくちゃいけない!みたいなことを言っている人に言いたいのですが、そんな劣悪な状況で、正義の理念を持ち続けられるのって、アズカバンの監獄の中でずっとディメンターに魂と心を壊されないで居続けるみたいなもんじゃ無いですか。

 

相談所の夜勤の人に全員、シリウス・ブラックに成れ!って言っているようなもんですよ。

 

そりゃいくらなんでも、押し付け過ぎですよ。

 

だから、そういう問題が出てきた時に真っ先に疑うべき所は、その機関そのものとそこの仕組みなんですよ。

 

多分、一人体制とかそんな感じだったんじゃないですか?

 

経費削減とか、夜勤はお金も良くないのに時間拘束がキツイとかであまり率先して演る人がいないとか。

 

そういう状況で、そこにあてがわれた人を責めるのはちょっと可愛そうじゃないかと思ったんです。

 

そもそも、その機関の仕組みがおかしいのに、それに従って生活していたその人がたまたま問題が明るみになったからと個人が責められるのは僕はちょっとおかしいと思うんです。

 

そうではなくて、その相談所の体制とか仕組みがそのままでいいのか?という問題提起を起こして、考えるべきだと思うんです。

 

そうすることで、そこに今まで経費が割り当てられなかっった現実が浮き彫りになるかも知れないですし、夜勤と日勤でのヒエラルキーみたいなものが明るみに出るかも知れないじゃないですか。

 

そういう風に、結局悪いこと、良くないことをしてしまうのって、その人の性格がそうさせるのではなく、その人の生活を含めた環境がそうさせる部分って少なからずあると思うんですよ。

 

罪を憎んで人を憎まずと言いますが、その人がそういう行動をしてしまった背景には、何かしらの原因が必ずあると思うんです。

 

だから、それをしてしまった事自体は確かに良くない事かも知れませんが、それ以上にその人にそういう行動を起こさせてしまった社会とか組織とかの仕組みをもっと糾弾すべきなんじゃないかと思います。

 

スタンフォード囚人事件でこれを行った博士がものすごいバッシングを受けてたそうですが、この人はスラム街出身で、親友が犯罪に手を染めたり、昨日まで笑っていた友達が次の日には亡くなっていたりという状況の中で育ってきたそうです。

 

そこで、すごく疑問をいだいたのは、あんなにもいいやつだった友達はなぜ犯罪に手を染めてしまったのか?

 

これはひとえに貧困が原因なのではないか?

 

つまり、罪を犯すというのは、その人の性格が起因しているとそれまでの心理学では信じられていましたが、そこに一石を投じ、実はいい人でもバックボーンによっては悪い人にもなってしまうんじゃないかって事を証明したかったそうなんですよね。

 

そして、それは見事に証明されるわけですが、その実験で受けた被験者たちのあまりの変化に社会は実験自体を批判的に糾弾しました。

 

ですが、僕はこの実験には非常に意義があったと思うんです。

 

また、この実験を責める人たちって多分ですが、自分は犯罪とは全くの無関係だと思考停止してしまっている人達だったんじゃないかとも思います。

 

だからこそ、この実験を受け入れると自分も犯罪に手を染める可能性を否定出来なくなってしまうので、ロジカルブレイクしてしまい、自身の存続が破綻してしまうからこそ、この実験を非道な事件だと罵って、否定したのだと思います。

 

そして、今回この件でこの人個人を責める人達ってのも、自分はどんな状況でも正義を貫くと信じてやまない思考停止してしまった人達なんじゃないかなと思うんです。

 

でも、実際にその人と同じ状況に陥った時に、自分は違う選択肢を必ず選ぶんだ!って誰が自信を持って言えましょうか?

 

その保証はどこにも無いのです。

 

だからこそ、行われた行為自体はいいことではなかったと思いますが、それを行った個人を責めるのではなく、その人がそのように行動してしまった背景にもっとフォーカスして、議論したり考えたり、意見が出たらいいんじゃないかと思いました。

 

久々の投稿ですが、また明日からも続けていこうと思います。

 

今日はそんなところです。

 

 

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