サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。


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差別の種類と本当の意味、そして、差別化戦略を図る事によって作り出される特別な自分

 

 

違いを差別して排除しようとする流れと、違いを個性として受け入れて共に生きていく流れ。

 

最近はこの2つの流れが特に大きく開いているように思います。

 

差別をすることは良くないことであると幼少に教えられていたとしても、差別をしてしまう人がいます。

 

これはなぜなのか?ということをちょっと考えてみました。

 

そもそも、差別について考える時、過剰に養護する層がいました。

 

僕はそれに対してちょっと疑問を持っていて、昔大学の時のレクリエーションか何かの授業で先生に噛みつきました。

 

その先生はその時の都知事か誰かが「三国人(サンコクジンと読むそうです)」と発言した事について言及していて、差別的な発言は良くないって言ってたんですけど、僕はそれを聞いていてとても不思議な気持ちになったんです。

 

そもそも、今書いていてGoogle日本語でも変換出来ませんでしたが、「三国人」という言葉自体がその当時(そして今も)浸透していなかったのですよ。

 

なのに、それを使ったからそれは差別用語だと指摘している先生を見て、逆にその言葉を差別用語であると指摘することが差別につながるのではないか?と問いかけた訳です。

 

要は「三国人」という言葉の意味を知らない人が多い中で、その言葉を取り上げることで既に文化から消え去った差別用語を、再び押し上げる結果になってないだろうか?と。

 

そして、せっかく文化として消え失せた差別用語を、差別養護者た指摘することによって浮き彫りになり、逆に差別しやすい環境を生んでしまうんじゃないか?みたいな事を確か先生に向かって言った記憶があります。

 

先生としては、「三国人」というのは差別用語でこんなに悪い言葉なんだ、それを君たちは知らなかっただろう?そして、それを使っている事は悪いことだから、あの人はとても悪い人なのだよって単に言いたかったのでしょうね。

 

三国人」という事をみんな知らないよねって事をそれを使う人は悪い人だよねって事を言いたかったんでしょうけど、まあ、なんか聞いていておかしいなって思ったんでついつい口出してしまいました。

 

何度も論争している内に時間がオーバーしてしまい、周りの他の生徒達がおまえ、もういいよって雰囲気だったので、何となく、チャイムなりましたよって顔してたら、先生も今日はこれでおしまいにしましょうみたいな流れになり、終わり際に先生から学部と名前を聞かれました。

 

ここで言いたいのは、差別をなくそうって思っている人の中でも自分の行動が差別を生み出す状況を作ってしまっている事に気が付かないで差別を無くす運動をしている場合があるということでした。

 

それともう一つ、差別を無くそうという人にはTwitterでも炎上したりとかありますが、かなり過度に過敏に反応している人も一定数居ます。

 

でね、思ったんですけど、差別ってなんなんだろうって。

 

僕はね、相手を自分とは違うとして見下げた態度を取る人も、これは差別だ!と大騒ぎする人も、両方とも差別している人だと思うんです。

 

じゃあ、差別しない人ってどうか?というと、別に差別する人がいても、関係なく過ごせる人じゃないかなって思うんですよ。

 

本当に差別してないんだったら、差別している人の感覚って分からなく無いですか?

 

ある人が「僕は高等遊民だけど、君はニートだから」ってな感じに差別したとしましょう。

 

でも、高等遊民ニートの違いってまあ、普通分からないじゃないですか。

 

そうすると、そこにそれを差別だ!って指摘したり不当な扱いだって怒ったりしないじゃないですか。

 

もう少し突っ込むと、例えば、ある人が外国人だからと言って、その人に対して不当な扱いをしたとしましょう。

 

でも、それを差別だと感じるのって、同じ差別感覚を持っている人なんじゃ無いですかね?

 

もし、外国人も日本人もみんな一緒って感覚だったら、まあ、ようは国籍は日本で外見が西洋っぽい人か純日本人かみたいな事だとして、西洋っぽい人がなんか、不当な扱いされるじゃないですか。

 

でも、別に差別感覚持ってなかったら、え?なんで彼だけ不当な扱いされるの?ってなるじゃないですか。

 

それを、彼が西洋っぽいから差別だ!ってそこに問題点を帰結しないと思うんですよね。

 

なんで?って不当な扱いをした人に問いただして、その人がこいつは純日本人じゃないって言ったら初めて、それってなんかおかしくない?ってなると思うんですけど、差別って思わなくないですか?

 

その人の感覚がおかしいって思いません?

 

差別しているって分かるって事は同じ感覚を持っているって事じゃないですかね?そして、その人のことを少なくとも差別していると指摘している人はおかしい人だとは思ってないですよね?

 

変な人、ではなく、差別する人って写っている訳ですから。

 

そんでもって、更に言うなら、僕からすると、差別だ!って騒ぐ人は、「差別している人」を「差別」していると思うんです。

 

だから、差別って感覚はある意味では鏡なんじゃ無いかなって思うんです。

 

なので、差別差別ってのべつやたらと騒ぎ立てるのはあまりよろしくもないのかなとか思います。

 

一方で、選民思想はとっても危険な思想ではると思うので、扱いには非常に気をつけないといけないとは思います。

 

自分は特別、彼は違うっていう風に、選別して考える考え方です。

 

この選民思想の考え方には、実は小学校の時のグループみたいな考え方がベースになっていたりしないかなと思うんです。

 

何の根拠もなしにいきなり他人を決めつけて、勝手に色分けして爪弾きにしたり仲間に引き入れたりするじゃないですか。

 

でね、これってなんでそういう事をするのかと言うと、小学校とか中学校とかとにかく学校の中って、同じ歳の同じような人が集まっているじゃないですか。

 

そうすると、人って段々とアイデンティティに目覚める時に同じような集団の中にいると、自分のオリジナリティについてとても疑問視してくるんだと思うんですね。

 

そこで、強烈なキャラクターを持っている人はいいですけど、中々そういう個性を持っている人って少ないじゃないですか。

 

大体はみんな同じような平均的な人が多いと思うんです。

 

そうなると、逆に、じゃあ、自分ってなんだろう?って思った時に、他人との違いを探すんだと思うんです。

 

その他人との違いを探すにあたって、自分が強烈な個性を身につけることなく他人とに違いを作れてしまうのがこの選民思想だと僕は思うんです。

 

ちょっとした何かの違いを見つけて爪弾きにする。

 

仲間に引き入れてグループを作る事で自分の存在を確立する。

 

そうすると無努力で個性に代わるアイデンティティを獲得出来るんですね。

 

でも、その仲間から離れたら一瞬にして無くなってしまう危ういアイデンティティな訳です。

 

無論、それは薄々当人たちも気がついてますから、お互いを監視体制で見張り合う訳ですね。

 

しかし、そういう子達は結局、個としての精神的な強さは持ち合わせていないので、逆に個として強いアイデンティティを持っている子に対して非常に警戒します。

 

そこで、集団でアイデンティティを形成するグループの子たちは個が強い子に対して2通りのアプローチをします。

 

一つは、付かず離れずで、相手と一定の距離を保ち、そして、相手には比較的友好的に表面上取り繕います。

 

もう一つは、個が完全に出来上がる前に、強くなりそうな子に対して、自分たちのグループに取り込もうとするのです。

 

これにより、もしグループから離れたら、グループの子達に嫌われてしまったという烙印を押せて、そうすることで、その子の強さを少しだけ挫く事が出来ますし、逆にグループ内で育ってくれれば、強力な味方になります。

 

そして、個の力が現時点で弱い子を差別し、自分たちのグループの特別性を保つことによって、自分たちにアイデンティティを、仮初めのアイデンティティを保ち続けようとするのです。

 

これがいわゆるスクールカーストの正体です。

 

そして、この感覚はスクールカーストを飛び越えて、大人の集団でも行われる場合があります。

 

いわゆる派閥争いというのがそれです。

 

派閥争いには、単なる精神的な作用だけでなく、物理的な、経済的な政治という力学が働きます。

 

なので、よりスクールカースト以上に派閥争いは非常に厄介な仕組みと言えるでしょう。

 

大人ですらそういう事をやっている人が世の中を動かしている訳ですから、子供にだけそれをするなと自制しろと言うのは、土台無理な話ではないかと思います。

 

なので、そういったスクールカーストが生まれていくのは仕方がないとして、そうなった時にそう考えるのか?どう対処するのか?というのを子供達に予め考えさせたり、知恵を与えたりすることが、必要なのではないでしょうか?と僕は思いました。

 

スクールカーストがあった時、僕はどちらかというと、部活の属性の強さに守られ、被害をあまり受けませんでした。

 

ですが、もう一方で、僕は独自にオタクの友達とコミュニティを作っていたので、どこでどんな風に孤立しても、クラス内で孤立しようが、部活内で孤立しようが、オタクつながりで誰かしら友達がいました。

 

これは一つ僕の中で当時強みだったと思います。

 

ある友達からは、「お前はオタクの王にでもなりたいのか?」みたいな事を言われて、よく分かりませんでしたが、少なくとも、同じ学年のほとんど全てのオタク要素を強く持っている人たちとは誰でも話せる状態ではあったんじゃないかと思います。

 

それはある種の一つの僕の中の強い個性だったのかも知れません。

 

子供たちには、個性を強くもてと言ってもまあ、すぐには伝わりにくいと思いますので、とりあえず自分の意見を強く持つように言い伝えていこうと思います。

 

そして、必ず自分の意見と集団の意見が食い違う時がある、その時にどんな風に行動するか?流されないで自分の意見を貫く方法、うまく折り合いを付けて、完全に譲歩しない方法など、処世術みたいな物を伝えて行けたらと思います。

 

さてさて、このブログも3ヶ月ほど前から毎日更新するようになりました。

 

不思議なもので、毎日更新していると、不定期に更新しているのとは違った感覚が出来てきます。

 

いつも、何気なく書いてはいますが、いつも読んで下さっている方、良いねを付けてくださる方、ブクマしてくださる方、たとえ、立ち寄ってすぐ去ったとしてもタイトルなどでアクセスして下さった方、全ての方にとても毎日アナリティクスを通して感謝しています。

 

今年は最期なので、この場をお借りして感謝の言葉をお伝えしたいと思います。

 

今日は更新が遅くなってしまい、これを見るのが来年になってしまうかも知れませんが、とにかく見ていただける方、読んでいただける方、そして、これを読んで少しでも共感していただける方がいましたら、とても感謝感激雨霰で、みなさまに読んでいただけることが、このブログを続けていける一つの糧、いや、それが続ける糧となっております。

 

来年以降も、続けて、1年連続更新、2年連続更新、と続けていきたいと思います。

 

そして、単に続けるだけでなく、読んでいる方に少しでも有益になるようなお話や、楽しんでもらえたり、ああ、そうかもって共感してもらえるような、そんなお話を書き続けていきたいと思います。

 

先にも書きましたが、更新が遅くなったので、遅れましたが、

 

皆々様!!!

 

良いお年をお迎え下さい!!

 

そして、来年も宜しくお願いいたします!!!

 

今日は、そして、今年はそんなところです。

 

偏見や差別はなぜ起こる?: 心理メカニズムの解明と現象の分析

偏見や差別はなぜ起こる?: 心理メカニズムの解明と現象の分析

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: ちとせプレス
  • 発売日: 2018/07/27
  • メディア: 単行本