サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。


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あしたのジョーという名の熱量

先日、聖闘士星矢について書いたりしましたが、実家で聖闘士星矢と他にもあしたのジョーを読んでおりまして、なんだか、両方に共通するシーンがあってそれがとても印象的だったのでその話から、「熱量」という事について語って行きたいと思います。

 

聖闘士星矢では、星矢は児童施設で育ったという設定になっていて、同じ施設で育った美穂ちゃんという幼馴染みたいな子がいて、星矢がサンクチュアリへ旅立つ前に彼女との会話のシーンがあります。

 

ここで、美穂ちゃんは星矢達が若い青春を謳歌するような世代なのに、過酷な戦いへと向かっていく、そんな星矢に対して可愛そうという風な事を言うのです。

 

対して星矢は、確かに自分たち世代の他の人達はそうかも知れない、でも、俺達は俺たちで別に嫌で過酷な戦いをしているのではない、寧ろこの戦いの中にこそ、自分たちの充実した何かを感じるのだという感じで返します。

 

その中で面白いのは、本気になるのはダサいとか、マジはかっこ悪いとかそういう価値観じゃなくて、熱く真剣に自分自身が本気になれることに対して打ち込める事の方が俺はいいと思うっていうようなくだりがあるんですが、これと全く同じ様なシーンがあしたのジョーにもあるんです。

 

(ちなみに、なぜか、聖闘士星矢のこの美穂ちゃんとの会話シーンで、星矢が返答する所を思い浮かべる時、あしたのジョー白木葉子がジョーを誘って行く踊れる喫茶みたいなとこがあるんですが、そこの場面が出てきます。)

 

あしたのジョーでは、紀ちゃんというジョーが少年院から出て、働かせてもらっている乾物屋の娘さんとの会話で、先の星矢と美穂ちゃんとのような場面が出てきます。

 

そう言えば、今両方の出来事を書いていて気が付きましたが、ジョーも星矢もどちらも彼らにそういう話をするのは準ヒロインで、ヒロインは彼らを戦いの道へと引きずり込んで行きますね。

 

星矢のヒロインはアテナである城戸沙織さんであり、美穂ちゃんはポジション的には準ヒロイン的な感じですし、ジョーのヒロインは白木財閥の白木葉子がヒロインであり、紀ちゃんは準ヒロインです。

 

紀ちゃんとは公園のブランコでの会話で、矢吹くんが可愛そうと、青春を謳歌している他の人に比べて、ボクシングに取り憑かれて育ち盛り、伸び盛りなのにご飯も我慢しなくちゃいけないと、そして、のちのパンチドランカーを示唆していたのかもですが、このままだと矢吹くんが戻ってこれなくなるみたいな事を言います。

 

そして、ジョーもここでは「燃えるような充実感を味わってきた」と言います。

 

そして、この会話の中で、伝説のラストシーンに繋がる「真っ白な灰」というフレーズが出てきます。

 

ジョーも星矢も周り同じ世代の人達とは違う、見せかけの青春ではない、本当の充実感というのを自分たちは得ているのだと言っているのがとても印象的でした。

 

話は戻りますが、あしたのジョーはジョーがボクシングに出会い、ライバルに出会い、戦い、様々な事を乗り越えていくという物語です。

 

その物語には壮絶たる作者の想い、熱量とも言うべき逼迫した何かが絵に、物語に、よく分からないけど、何かが込められていたように思います。

 

それが現れているのが、巻末の原作者の語りにもありましたが、ジョーが一時期ボクシングから離れてブラブラとする時期があります。

 

この時は、それまでの熱量が一気に冷めて、まるで別の漫画を読んでいるんじゃ無いだろうか?と思えるくらいに、何も伝わってこないのです。

 

いや、もっというと、何も無い事、虚無感がものすごく伝わってくるのです。

 

すると、後の巻になって原作者が、この時期は本当にどうしていいか分からなかったみたいな事を言っていたんで、ああ、自分が感じたよく分からないけど、なんだか迷走しているように思えた感覚はこういうことだったんだなって思いました。

 

あしたのジョーは前半部ではジョーがボクシングに入っていくキッカケが描かれていきます。

 

孤児として生まれ、どこにも属さずに一人で生きてきたジョーが、ボクシングに全てを捧げてボクシングに狂った男、丹下段平(片目でハゲのいかついおじさんです)と出会います。

 

しかし、ボクシングを始めるジョーですが、最初は段平に合わせる程度にしかやらず、詐欺窃盗など殺人や強盗などの重犯罪ではない程度の犯罪をちびっこの仲間たちとやらかし、とうとう、それがバレてしまい捕まってしまいます。

 

鑑別所へ送られるジョーですが、本人は自分の未来などもう無いと絶望に打ちひしがれる中、段平だけは彼の身体能力の未来を信じて、明日のためにと銘打ってジョーにはがきを寄越します。

 

ジョーとしては気に入らないところですが、結局のところ鑑別所で何もやることがないので、破り捨てたはがきを元通りに張り合わせて、段平の書いた明日のためにと書かれたはがきを読んでいきます。

 

そこにはジャブの打ち方が書かれており、その当時はかなり流行ったと思われる、

 

「内角をえぐるようにして、うつべし、うつべし」

 

という言葉が書かれています。

 

これを見て、段平の通信教育だと分かったジョーは明日のためにをその1、その2とマスターしていきます。

 

鑑別所から特等少年院へと送らるジョーですが、ここで往年のライバルとなる力石徹に出会います。

 

そして、彼に完膚無きに打ちのめされ、脱走計画を見事に打ち破られてしまいます。

 

その時に彼の言ったセリフで、ジャブとストレートはプロ並みだったが、ほかはまるで素人だったと吐き捨てる言葉から、段平のおっちゃんの通信教育が本物だと分かります。

 

そこから、打倒力石を掲げて彼に立ち向かうべく彼のボクシングへの傾倒が始まる訳です。

 

この、1巻から2巻の少年院編が本当に面白くて、途中に青山くんって出てきたり、鑑別所でボスをやっていた西がジョーと一緒にボクシングを始めたりと、ジョー以外のキャラクターがとっても目立って楽しいです。

 

そして、8巻の力石との戦いまで、ものすごい勢いでジョーは成長し、また、読んでいるこっちも、ものすごい勢いで目を、時間を、あしたのジョーに奪われていくのです。

 

その熱量たるや、ジョーの気迫、段平のおっちゃんの気迫、色々なものが入り混じって、一試合一試合毎に、毎回少しの安堵の話があるのが、本当に息抜きになっていて、あれがなかったら、きっと、読んでいるこっちが先に灰になってしまうんじゃないかってくらいの熱量で描かれていたと思います。

 

8巻で力石戦が描かれますが、まあ、有名な話ではありますが、それでも一応読んでない人、知らない人もいるかも知れないのでネタバレは伏せるとし、誰かが、あしたのジョーは力石戦までが前菜みたいなもので、そこから先が本当のジョーの物語なんだって言ってました。

 

その話を聞いた時、なるほど、それもそういう見方もその通りだなと思いました。

 

実際に8巻までの盛り上がりは相当で、そこから一旦若干の戸惑うストーリーも無くはないのですが、そこからジョーが這い上がっていく様は、確かにここからが本当のストーリーだとも言えなくもないなと思ったのです。

 

こんな風に本当に熱い、読んでいてやけどをしてしまいそうな漫画って今は中々無いなぁって思うんですよね。

 

面白い漫画は沢山あるのですが、こういう、何ていうか、愚直っていうんでしょうか、王道なのかな?昭和的な価値観と言われてしまいそうですが、何ていうか、この熱量って中々無いんじゃ無いかなって思ったんですよ。

 

あしたのジョーのような熱量のある漫画って、聖闘士星矢とか、北斗の拳とか、あの頃のジャンプ黄金期くらいで、それ以降って熱量のある漫画ってなんだかめっきり少なくなって行ったように思うのです。

 

今は、熱量というよりも、狂気が描かれているような感じがします。

 

そして、今の人が求めているのが、熱量ではなく、狂気なのかも知れないとも思うのです。

 

90年代から2000年代にかけて、ある種の熱量は様々な方向へと向けられたように思います。

 

それが海外だったり、新しい分野であるITだったり、それから宗教。

 

しかし、どこか熱量の向かった先の未来に幸せがあると信じていた世代が、幸せになれなかった感があるんじゃ無いでしょうか?

 

仕事一筋で頑張ってきたけど、それが今になったら評価の対象では無くなってきているとか、家族からは尊敬されない、自分は正しいと思って進んだのに、実際には幸せではないみたいな、そういう矛盾でしょうか。

 

そして、その矛盾に応えるのが狂気、つまりは、全ての価値観を破壊するような、そんな狂気に身を委ねることが出来ないけれど、どこかでそれを望んでいる、狂気への渇望が今の世代の象徴なのかなぁなどと勝手に考察してみました。

 

熱量から狂気へ、そしてその後はどこに向かっていくのか?分からないけど、子供達が幸せになれるように、とりあえず自分が面白かった漫画や今面白いと感じる物を彼らに受け渡していこうとは思います。

 

今日はそんなところです。