サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。


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現代における楽譜不要論?!別に読めなくても動画や音声頼れば良くない?的な その2

さてさて、前日は盛大にも和声学をナジッてい行きましたが、今日も全開で音大卒についてディスって行きます!!(いやいや、えっとね、今まで自分が抱いていた像と実際の事情の違いについて語って行こうと思います。)

 

えっとね、そもそも言いたいのはですね。

 

日本の音楽教育って、なんかまあ楽譜至上主義みたいなのって無いかなと。

 

そんでもって、それって何か違くね?って言いたいだけなんです。

 

楽譜はあくまで音楽を表す一つのツールとして、優れた側面もありますが、今は楽譜以外にも優れた音楽を表すツールが沢山あるよねって。

 

だから、楽譜が正確に読めないとダメとか、視唱出来るのが素晴らしいとかでなくて、まあ、分からなかったら、音声聞きながらとか、動画見て、どうやって弾いているのか参考にして良くないかなと言いたいのです。

 

それで、楽譜至上主義の頂点として音大性やそこに君臨している日本の音楽教育を行っている人達に対して、そもそも、音楽の演奏家としてはあんまり如実には活躍してないよねって。

 

だから、学問を学問するには音大知識って良いかもだけど、演奏家とか作曲家とか、音楽を作ったり演奏したりで飯食っていくスキルはぶっちゃけ音大の先生もそんなに無いよねって。

 

んでもって、楽譜から入ると、リズムのとり方が結構、原曲とは離れた感じだったりするんですよね。

 

例えばね、昔、テレビの番組で錦織健さんってオペラ歌手の人が、サザンの太陽は罪な奴を歌ったんですよ。

 

んで、原曲は聴いてないで初披露したのがオンエアだったそうで、多分この放送見た人はみんな衝撃的だったんじゃないでしょうかね?

 

まあ、サザンを楽譜から入るって人は中々いないって当時でも言われていて、歌はもちろんすごく上手だったのですが、歌詞の節回しが、原曲を聴いてないというので、まあ独特で、これが楽譜からポップスを歌うって事なのか!ってすごく分かりやすい例だったなって思いました。

 

んでまあ、何が言いたいかというと、クラシックで出てくるリズムパターンとジャズやポップスに出てくるリズムパターンって若干違う訳です。

 

なので、不得意なパターンだと読めなくは無いし、弾けなくも無いんですけど、ノリが違いうというか、なんというか、アクセントの位置っていうんでしょうか、そういうのが何か違う感じがするんですよ。

 

で、そういう人も結局、音を聴いたら一発で理解してくれる訳でして、だったら、音と楽譜と両方同時に最初から使った方がいいじゃんって思うんです。

 

無理矢理に楽譜だけで弾こうとか、理解しようとかでなくて、音無しで楽譜だけで読める方がすごい的なことじゃなくて、使えるものをフレキシブルに使って、素早く実現できる人の方がいいんじゃないかなと。

 

それでですね、ようやく最初のレッスンの違いという所に戻ってくる訳なのですが、最初に子供達が習っていたクラシック寄りの先生はどちらかというと楽譜絶対主義な人で、音から入るのとか、大人が弾いて教えるのは絶対に良くないって先生だったんです。

 

なので、子供達にも読めない時は基礎から確認させて、一から読ませようとして、決して先生自身が弾いてみせてってことは無かったんですね。

 

それはそれで、まあ、良かった部分もあるんでしょうけど、どこかで、音を聞かせて楽譜と照らし合わせてってのを何回も繰り返した方が、良いんじゃないかなって思ったりしてたんですね。

 

完全に音が全く入っていない状態で新しい楽譜を読むのと、ある程度音のイメージがあった状態で読んでいくのとでは、先に音の情報が合った方が、読み易いし、その分入りやすいから、結果的に読めるようになるんじゃないだろうか?と思ってたんです。

 

そういう疑問を持ちつつ、先のクラシック奏者のリズムやコードに関する知識なんかも自分のモヤモヤの背景にあり、そんな中で新しいジャズ寄りな先生が、楽譜がパッと読めてない子供に対して、さらって軽くこうだよって弾いて見せてあげたんですよ。

 

それで、間違っている部分とか、読めてない所を、ここはよく見て、こうだよって率先して弾いて見せて教えてくれてたんですよ。

 

それが、今までの先生とはまるで対照的で、その時に、あー、やっぱりこっちの方が早いよね?って何となく自分でも納得したのです。

 

まあ、それだと音大に入るようなレベルでの読譜力は付かないとは思いますが、ぶっちゃけそこまでの読譜力行かなくても、ある程度、自分が音の参考とかわからない部分を読める程度だったら良いんじゃないかなって思うんですよ。

 

今は映像も音も全部ありますから。

 

だから、映像(弾き方とか指使い、身体の使い方)、音(実際にどんなメロディでどんなリズムなのか)、楽譜(視覚的に音を捉える)という3つの要素を上手く使って行けばいいから、音大レベルの読譜力って過ぎたるは及ばざるが如し的な部分じゃないかなーってちょっと思ったんです。

 

その読譜力に引っ張られて、その曲本来の魅力的な部分を削ぎ落とした演奏になってしまうってのもすごくあると思うんですよ。

 

技術力とか演奏力は確かに素晴らしくて、ミスも無いんだけど、なんかよく分からないけど、あんまり魅力的ではない演奏。

 

この正体って、まさにポップスとかの独特のリズム回しだったり、グルーヴ感だったりを1234の頭拍でのリズム処理からの拡張で取ってしまっているのが原因なんじゃないかなと。

 

つまり、ポップスって裏拍がすごく大事だったり、そこにアクセント持っていくのが普通な曲ってあるんですけど、それも表拍ありきの裏の音みたいな。

 

んー、細かすぎて伝わらないモノマネよりも伝わらないですね。

 

なんてーか、のっぺりした演奏になっちゃっている感。

 

まあ、ちょっと中々言いづらいので、どうにかなにか別の手段で伝えられる事が無いかとか考えてみます。

 

まあ、ということで、何はともあれ、楽譜は楽譜としてもちろん便利なツールではあることには全く意義は無いのですが、楽譜のみから独力で読譜できるという力に固執せず、今はテクノロジーの力を存分に借りて、動画、音声を参考にしながら、音楽を弾いたり分析したり読んだり楽しんだりしていけたら良いんじゃ無いかなということをただ言いたかっただけでした。

 

長々と2回に渡りぐだぐだとお付き合いいただきましてありがとうございます。