サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。


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現代における楽譜不要論?!別に読めなくても動画や音声頼れば良くない?的な その1

最近、子供のピアノ教室を変えました。

 

前はどちらかというとクラシック系の所で、先生も元音大性の若い人だったのですが、今はジャズ寄りな現在も現役で活躍しているミュージシャンの方に教わるみたいな感じの所に変わったんです。

 

それで、二通りの教え方を見てふと気が付いたので今日はそれについて話してみようと思います。

 

いやね、実は自分も音楽好きで独学でギター、ピアノ、DTMと諸々やってるから、前々から何となしに感じていた疑問があったんですよ。

 

例えばね、クラシック寄りの人って、リズム感悪いんですよ。

 

一緒にセッションとかしていても、ノリが足りないというか、頭拍が重くて、シンコペーションしたリズムとか、跳ねたリズムとかだと、すごくもっさりとしてノレてない感じがするんです。

 

ただ、平坦でフラットなリズムで、細かいパッセージ弾かせたら、まあ、水を得た魚ですよね。

 

なんとなくなんですが、前々から思ったのが、パラメータをそっちに全フリかい!みたいなイメージがずっとあったんです。

 

んで、まあ、クラシックの難曲は弾けないけど、それなりにコードとスケールで弾ける人は、まあ、速弾きとか苦手かもですが、伴奏もソロもそつなく行ける感じで、バランスがいいと思うんですが、逆に意識として、自身は音大出ていないからみたいな変な苦手意識というのか、劣等感まで行かないですけど、そういうのあったり。

 

でもね、まあ、ぶっちゃけ音楽って、「音学」じゃないじゃないですか。

 

楽しめる方がいいじゃないですか。

 

から、別に音大出てなくても、全然音楽出来てたらいいとか思ってたんですよ。

 

逆に、音大出た人ってもっと知識とか音楽理論とかも豊富なのかな?って勝手に思っていたのですが、よくよく聞いてみると、演奏技術はメチャクチャすごいけど、コードや理論はからっきし、みたいな人が多いそうなんですね。

 

作曲科を出た人以外は、そういうのは専科で自分で取らなければ全然知らないんだそうです。

 

つまり、クラシック出身、もっというと日本の音大卒の人じゃあ、がソロ、即興が出来ないのって、そういう知識とか経験は音大を卒業するまでの過程、つまりは幼少に習い始めてから、社会人になるまで、ほとんど勉強も体験もしてこないからなんだなって分かった訳です。

 

じゃあ、そういう人も必要にかられたら勉強出来るんじゃね?って思うじゃないですか?

 

でも、音大出ると一応それなりにずっとやって来たモノってあるじゃないですか。

 

そう、つまりはプライドが邪魔しちゃって中々素直に新しいことを学ぶのって、意外と初心者がすんなりと学ぶより難しかったりすることもなくはないみたいなんですね。

 

後は、予備知識があるから何もない所から勉強するよりも簡単じゃね?って部分も、実は前に習った知識に足を引っ張られてすんなりと新しい知識が入らないって部分もあるんです。

 

音大で習う和声学って、実は結構、学問のための知識というか、実際にはその知識、分類、呼び方いらなくね?ってそういう無駄なというか、まあ、そうですね、無駄な知識が多いんですよ。(言い切ったぁ!!俺、言い切ったぁ!!!)

 

後は、教科書を成り立たせる為の知識というのでしょうか、もっというと、実際の演奏や作曲には何の役にも立たない知識(また、俺、言い切ったぞぉー!!)や分析にしても、演奏ベースで分析するのではなく、あくまで、学問ベースで分析するみたいな、そんな知識が多くて、実際に演奏するために必要な知識や理解、体感するのに必要な感覚が養われにくいんですよねぇ。

 

例えばなんですけど、コード理論とかでよく出てくる話で、メロディや旋律ってんですかね、まあ、ピアノで言うと右手で弾く音的な、普通の感覚だと一番よく聞こえる音についてですが、コードトーンとノンコードトーンってあるんですよ。

 

コードトーンってのは簡単に言うと、伴奏で使っている音と、メロディが同じって事です。

 

だから、ドミソって左手で(Cで)伴奏してたら、メロディはドミソのどれかの音を使っていれば、そのソソミーも、ドッミドーも全部コードトーンなんすね。

 

分かりやすいので言うと、となりのトトロのサビは、最初(トットロ~♪以降ね)は全部コードトーンです。

 

んで、月夜の晩に~♪の部分でノンコードトーンが出てきます。

 

んで、このノンコードトーンって、言ってしまえば和音、伴奏から離れた音なんで、基本的には出てくる頻度ってコードトーンに比べて少ないんですよ。

 

にもかかわらず、そのノンコードトーンを和声学では経過音、倚音、刺繍音、掛留音、先行音、逸音、保続音と別れているんですよ。

 

掛留音に至っては、グーグル日本語入力でも漢字変換出来なかったですよ、って川の流れのようにかよ!ってね。

 

で、それぞれの名前毎に役割というか、こういう場合のノンコードトーン(和声学では非和声音と言います)は、逸音で、こういう場合の非和声音は経過音だみたいな感じで決まっているんですけど、いや、これね、確かに受験勉強のテストでふるい落とす為の何かだったらすげー使えると思いますよ。

 

でもね、演奏や作曲、アレンジ(編曲)だけでなく、アナライズ(分析)に至っても、全部ひっくるめてノンコードトーンって捉えられていれば、全然問題ないんですよね。

 

ま、要は、問題の出題者って意地悪な人がいて、その人が受験生って真面目に頑張る人に向けてテストするのにはすげー使える道具(用語と知識)なんですが、それ以外には全くの糞の役にも立たない事を優先して覚えていくのが和声学なんですよ。(ちょっと言い過ぎました)

 

しかも、音大卒の大半はその和声学を少しかじった位で卒業する訳なので、和声学が実際の演奏や今の音楽とどういう風に違うのかとか、時代のズレみたいなモノを含めた感覚は養われる前に、上辺だけの知識だけさらって卒業していくって感じです。

 

和音に関しても、ジャズ寄りな人からすると「ドミソ」も「ミソド」も「ソドミ」も全部、「C」として捉えて、逆にそこから、自分で「ドソドミソレ」とか「ドソレミシ」とか「ドソレミソ」みたいに好きな音の組み合わせを作れて、どれも「C」の時の伴奏として使えます。

 

ところが、クラシック出身者からすると、ドミソは1の和音、ミソドは46の和音とかってそれぞれの転回形(ドミソをミソドと音を入れ替える事を転回と言います)毎に名称が決まっているんですよ。

 

なので、「C」という和音についても、3パターン名称が付随してしかもその名称の付け方が結構面倒な法則で、ジャズ系の覚え方だと、ドミソ(転回なし)、ミソド(第一転回)、ミソド(第二転回)に対して和声学は、ドミソ(一の和音)、ミソド(六の和音)、ミソド(四六の和音)って別れていて、更に、コードの機能毎にも別の名前が出てきたりとか、すげー細かく分類されてるんですよ。

 

だから、この音は何の音でしょう?

 

って言って問題を出して、解ける人を少なくする分には、すごい使い勝手がいい知識なんですけど、それを覚えさせられた側としては、ぶっちゃけ実際に演奏したりする場合は、全部まとめて「C」でいーじゃーんみたいな、そんな感じです。

 

だから、さっき言った、先に学んだ知識に足を引っ張っられるというのはまさにここで、クラシック出身の人にコードを教えると、前はそれぞれ違うって習ったのに、なんでこれとこれは同じなの?って疑問が真っ先に出てくるケースが多いです。

 

まあ、そんな風に和声学の悪口みたいな事を書きつつも、僕自身は実は実は和声学も対位法も結構、大好きだったりします。

 

大好きだからこそ、間違えないで欲しいって思いが強んです。

 

和声学は基本、リベラルアーツであって、実践的に役に立つものではないんだよって。

 

だからこそ、実践的に学びたい時は、和声学からではなく、ジャズ系の理論書やコードに関して書かれた本を読んで、昔の知識は一旦全て忘れて、一から学ぶつもりで入れるといいよって言いたい訳です。

 

なんか、すごく最初に書いた内容からかけ離れつつも、まだいい足りない部分があるので、それは明日以降にまた書いていこうと思います。

 

次はリズム編行こうと思います。

 

そんな感じで最終的に楽譜との向き合い方について語っていきたいと思いますね。宜しければ、しばしお付き合いください。