サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。


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恋愛工学とかPAUメソッドとかに対する新しい拡張

LOVE理論や僕愛で出てくる恋愛工学の考え方、元ネタは恐らくザ・ゲームのPAUメソッドなのかな?

 

両方共読んでみて自分なりになるほどと思いながら確かにこれが普及したら男女のマッチング率も高まっていいのかなぁと思っていたのですが、何やら恋愛工学でググってみると意外と女性側からの批判的な意見がある模様です。

 

恋愛工学は女性軽視な理論であるのか?

 

反論を見ていると、まぁ恋愛工学やLOVE理論の目標が女性とエッチをすることだから、そもそも男女とでゴールの設定が違うのだけれど、色々と反対意見を読んでいて、単に女性からしてキモいとか以上に、女性側の意見にも一理あるなぁと共感するところがありました。

 

なんだろう?と思ったのだけど、多分、恋愛工学は女性に対して、限りなく実験対象として接するコトに徹していてるところなんじゃないかなと思うんですね。

 

エッチ自体、本来はその場の雰囲気や相手の状況とかそ時々のケースバイケースで正に臨機応変に対応していくのが本来なのだと思けど、それもケーススタディやマニュアルに当てはめて、この場合はこうだから、次はこうしようみたいな流れが感じられて、それが女性からしたら気持ちが悪いということなんだと思います。

 

そもそも、グダ(恋愛工学でエッチを拒まれる事の用語)って言っても、相手はその時点でちょっとNGな訳だから、グダ崩し~みたいなの以前に、それが出た時点で恐らく女性からちょっと待ってよって言ってるんだよね。

 

なので、本当はちょっと立ち止まって、何が行けなかったのか男性も振り返るべきところではあると思うんですよ。

 

だって、何より、偶発的な条件でない限り、女性と二人きりになるシチュエーションになっているということは、少なくとも女性の側もそういう気持ちが全くない訳ではなく、ある条件下(女性がいいなと思えば)においてはそうなって(エッチして)も良いぞと思っている部分は有るはずなんですよね。

 

ましてや密室に二人でいる状況までこれたのであれば、よっぽど特殊な関係や状況で無い限りは、少なくともその状況になるまでは女性の側もOKだった訳なのよ。

 

なのに、一旦そこで女性が待ってって言ううことは、何かがある訳ですよ。

 

女性的にちょっと何かこの人信頼出来ないなぁとか、何かちょっと違うなぁとか。

 

そういう女性のちょっと待ったを多分、容認してあげられる余裕がきっと女性的には欲しいんじゃないかなと思う訳です。

 

がっつかないのと、チキンは違うからね。

 

恋愛工学やPAUだとがっつかない、いい人じゃなくて、がっついてる人がモテるみたいな書き方がされていたのだけど、これに少し誤解があるように思うのです。

 

がっついている人とがっついていない人では、まぁ当然がっついている人の方が、女性を獲得できる確立は高くなるんだけど、じゃあ、女性からかっこ良く見られるかどうかで言うと、間違いなくがっつかないできちんと自分の成すべきことに向かって生きている人の方がかっこ良く思われるんじゃないかと思う訳ですね。

 

そんで、がっつくんじゃなくて、行く時に行けないチキンになるなって意味でのがっつき、つまりはゴーサインを見つけたら一気に攻め落とす的な所なんだと思う訳です。

 

つまり、がっついているようには見せずに、でも心の中ではいつでも相手のOKサインを探して、いざシグナルが出たら躊躇をしないで行くみたいな。

 

つまりがっつくと言っているのは、いつでも女性に迫るのではなく、単に躊躇をしないで行ける時に行くことなんだと思う訳です。

 

神様の言うとおり2でチキンじゃなくて、ビーフになれみたいな。

 

それから、エッチ自体の捉え方も男性と女性とで若干違いがあって、エッチというか恋愛感なのかな?

 

男性は多分、「量」、「クオンティティ優位」で、女性は「質」、即ち「クオリティ優位」なんだと思うんです。

 

そうすると男性はエッチに対して一過性の快楽である側面が非常に強いですが、女性からしたら、会話の延長上、所謂より濃密なコミュニケーションとして捉えているんじゃないかと思う訳です。

 

なので、あくまで女性としては快楽を得る手段だけでなく、コミュニケーションの延長だから、エッチに至るまでのプロセスとか、男性がどんな態度かとかこんな風に言ったらどんな対応するのかなとかってのは、恋愛の質を測る上でとても重要な要素になる訳だよね。

 

そこで、女性はキャッチボールのつもりで、「ちょっと待って」って言ってるつもりで拒絶を一時的に示したとしても、男性が盲目的に、あ、これはグダだからこれこれこの判例に当てはめてみたいなカシャカシャチーンみたいな態度を取られたら、絶対にそこから先の関係には進めたく無くなっちゃう訳だですよね。

 

リスク分散と恋愛対象を複数持つことはイコールか?

 

恋愛対象を1人に絞ると、そこに執着が生まれてしまって、モテないパターンになってしまうってLOVE理論でも恋愛工学でも同じことが書かれてました。

 

僕はそれを読んだ時に、「おお、なるほど、そうかもなぁ」と関心したんだけど、実際に自分が上手く行っていた時は確かにチャンスが1つしか無いって状況では失敗したけど、いくつか保険じゃないけど、声をかけられる人が他にもいる状況の方が圧倒的にうまく行っていたから、これは確かに理にかなっているなと思ったのは事実です。

 

でも、よくよく考えたら、これって単に執着を持たなければいいんだよなぁと後になって思い返してみた訳です。

 

どういうことかというと、正に仏陀の教えなんですよ。

 

空の思想、好きな人は確かに好きなんだけれど、そこに執着を持たないみたいな。

 

好きな人として存在はしているんだけど、同時に空としてその人の全ての情報を捉えるみたいな。

 

つまり、そこいらに落ちているホコリや石ころは別にどっかに行っても捨てられてても何も感じないように、好きな人も、ホコリや石と同じ様に同列に存在していると考える訳ですね。

 

桜塚護の星ちゃんも正にこの境地だったのでしょうか?なんてことはさて置き、とにかく好きにはあるのだけど、その人に必要以上に執着をしないという事が重要なんだと思う訳です。

 

でも、実際に人を好きになると分かるのですが、好きになると言う事と、執着を捨てる事は正にトレードオフ、好き度合いが増せば増すほどに、執着もマシマシ(二郎)、好きの度合いが減ればそれに比例して、執着も自然と減るというのが大原則。

 

なので、先の恋愛工学しかりLOVE理論しかり、執着を増やさない為に、恋愛対象を増やして相対的に執着を減らす方向に持っていくというのは、ある意味では正解だと思います。

 

ここでのある意味というのは、訓練の方法としては良いかもしれないですが、この方法が最終的な答えではないという事です。

 

好きを極限まで高めることで相手の全てを好きになれる、正に恋愛のセブンセンシズだ!

 

そう、僕たち青銅聖闘士(モテナイ男子)が黄金聖闘士(女子)に立ち向かうためには、セブンセンシズに目覚める必要があるのだと!

 

かつてムウが教えてくれたように、コスモ(好きの気持ち)を極限まで高める必要があるのだ!!

 

ましてや、クロスすら持っていない僕たちはコスモ(好きの気持ち)を燃やすために、街へ出て、女の子に声をかけて、その為にルーチーンや某かの色んな方法を使って経験値を高めたりというのは必要ですよ。

 

なのでそういうコトに恋愛工学ないしLOVE理論、PAUメソッドを活用するのはありだと思います。

 

でもザ・ゲームの続編の30DAYSであったように、これらのメソッドを最後には一切忘れて女性に望む必要があるんです。

 

つまり、これらの方法論は全て、自分のコスモを極限にまで高める為の修行の手段でしか無い訳ですよ。

 

本当の戦いはこれらに頼らずに全てのマニュアルは一切忘れて修行の果てに出来上がった、練上がった自分自身のコスモ(何度も言うけど、好きの気持ち)で戦わないといけないのだという事実をみんな忘れてる気がするんです。

 

そして、セブンセンシズに目覚めるということは、相手の事を本当に好きになるということだから、執着が高まる所か、相手の全てを許せる位にまで好きにならなくてはならないのです。

 

つまり、相手の女性がどんな性格でも、今自分がアプローチしていないその時に別の男性と付き合っていても、その男性とエッチをしていても、過去にどんなに沢山の男性と経験があっても、或いは自分と遊んだその足で別の男性の所に遊びに行ったとしても、それら全てを許せる位に全部好きだと言える位極限まで高めてこそセブンセンシズなのです。

 

つまり、そこまでいくと、仮に相手の女性が自分ではなく、違う男性を選んだとしても、それはそれで許せる訳なのです。

 

つまり、極限まで相手の事を好きになれたら、執着の有無と好きの気持ちの有無は関係なくなるという事。

 

好きな人って振られたら振られたで、また現れませんか?

 

そう、ここ重要なんです。

 

出会いがないとか、ここでチャンスを逃したらとか言っている人いるかも知れませんが、あの時に振られたあの子が忘れられないとか思っている人いるかも知れませんが、ちょっと街を見渡してみて下さい。

 

ふらっと外に出てどっか出かけてみてください。

 

間違いなく、可愛いなぁとか、美人だなぁとか、素敵なだなぁとか思う女性を見かけるはずなんです。

 

そう、そうなんです。好きな人ってのは実は常にいるんです。

 

自分の理想の彼女って領域が頭の中にはちゃんと領域が確保されてるんです。

 

そして、好きになったって場合はその領域にたまたまその女性があてがわれただけなんですよ。

 

だから、例え振られたとしても、その女性を好きだった事とか、その女性が好きだからその為に頑張ったことってのは全くの無駄ではなく、自分の理想の彼女に対して行った行動として経験値がちゃんと蓄積されていくんです。

 

そして、きちんと目を開いて前向きに生きていれば自ずとまた新しい好きな人が、誰だって出てくるんです。

 

人によっては出会ったり別れたりとか沢山ある人もいるかもしれません。

 

でも、実は全部同じなんです。

 

自分の中の理想の伴侶という領域なんです。

 

そこに、その時々によって、ある人が入ったり、ある時は人じゃなくてイメージやアイドルが入ってきたりしているだけなんです。

 

つまり、自分はあの人が好きだと思うのではなく、自分の頭の中の理想の彼女の領域が好きなのだと言うことです。

 

そして、そこに好きになった人が入りこんだと考えるのです。

 

そうすれば、例えその人があなたを選ばなくても、その人に対する執着はなくなるはずです。

 

執着しているのは自分の脳領域な訳ですから。っとこういう風に自分の考え方や着眼点、想い方をシフトしてみるともしかしたら、実際に好きになってもその執着を出来るだけ軽減して、その人と接する事が出来るかも知れません。

 

何より、人と人の巡り合わせはあるという事なんです。

 

実際に自分も10年位前に別れた当時とても好きだった女性とひょんなタイミングで再び巡りあった事もありました。

 

別段その後どうだったって訳でもないんですけどね。

 

でも、その出会いをキッカケに、僕は

 

「出会いというのは、その時その時の必要かそうでないかによって(出会いが)ある」

 

のだと、つまり必要な出会いが必要な分だけあるのだと、もし出会いが無かったらそれは出会わないで自分の刃を磨き続ける時なのかも知れないとか、もしくは、自ら積極的に出会いに行く為の修行の時なのかも知れないと、そんな風に考えられるようになったのでした。

 

出会って別れて出会って別れて大変だぁ!(ドラゴンボールだよ)

 

ロマンチックをあげない方のドラゴンボールのエンディングテーマの歌詞ですが、まあこれに尽きるのかなぁと。

 

多分、今みんな傷つくことに物凄く臆病になりまくってるんじゃないかと思うわけですよ。

 

だから、恋愛工学とかLOVE理論みたいななるべく成功率を上げたいみたいな、自分が傷つかない為の理論武装をしようとしてるんだと思う訳です。

 

でも、意外とフラレても、人間大丈夫だよって。

 

海に入ったことのない子供って波の音が怖かったり、潮が引く感覚が怖かったりして中々海に入れなかったるすんですが、一旦飛び込んでみると思ってたほど怖くなかったり、またその飛び込んだ中で自分の好きな遊び方を見つけちゃたりとどんどんタフになっていくじゃないですか。

 

それと一緒で、恋愛も傷つくとか傷つかないとかそういうのを考えないで、とにかく自分の気持ちで飛び込んで行く事ってとっても重要なんじゃないかなと思います。

 

でも、それでもやっぱり人って臆病な部分がありますから、なるべくなら傷つかないでいい思いをしたいって思うじゃないですか。

 

だから、そいういうのを手助けする意味でなんちゃら理論とか工学とかあってもいいとは思うんですが、最終的には思いやりだと思うんですよね。

 

相手の事を思うだけじゃなくて、自分自身の事を思う思いやり。

 

だって、恋愛工学の元となったザ・ゲームの恋愛マスターの人は最終的には心がやっぱりハッピーになれないじゃないですか。

 

つまり、色んなメソッドを駆使して、効率的に女性を口説けても、最終的には自分がこの人だって思った人と一緒に想いを遂げられるのが一番なんだと思う訳ですよ。

 

そんでね、そういう人って、多分恋愛テクニックみたいなモノを使わなくても、きっとあなたのことを自然と好きに成ってくれるんですよ。

 

そういう人に巡り合う為に沢山の人とエンカウントするとか、その未来の人に見合うために自分を磨くとか、そして、なによりも自分自身を大切にして生きていれば、自然と自分と関わる人も大切に接するはずなんで。

 

そうすれば自ずと自分の好きになった人にも大切に思いやりを持って接することが出来るから、相手にも優しく出来るし、それがマッチングすれば一緒になれるし、しなければ、その人は単に自分とは一緒になる人じゃなかったんだと思えばいいんだと思います。

 

とは言え、何にしても出会いは重要ですね。

 

出会いというとコミュニティ内でというのが多く有る意見だと思うのですが、別に道歩いててでもいいと思うんですよね。

 

綺麗だなって思った人に声かけたいなって本気で思ったら、きっと何か必死に自分の頭で考えてキッカケを考えますから、それは所謂ナンパとは違ってきっと運命の出会いになると思うんですね。

 

そんで、そんな風に一生懸命頭を使って考えて声をかけてくれた人なら、女性もきっと悪い気はしないと思います。

 

そして、大事なのは相手がNoと言ったら素直に引くことです。

 

女性から待ってと言われたら素直に止める事です。

 

これを徹底していれば、きっと痴漢として訴えられる事もないでしょうし、相手の女性にも不快な思いをさせないで済むと思います。

 

とにかく女性に不快に思われないように気を配りながら、アクション、アピールをしていくってのがとっても大事なんじゃないかなと。

 

読んでくれた方がこれを機に女性の気を悪くすること無く沢山アタックして自分なりの方法で彼女をゲットして、男女のマッチングがどんどんよくなる世の中になったらいいなぁと思います。

 

他にも男女の考え方や感じ方の違いなどについての記事を書いていく予定ですので、喧嘩中の彼氏彼女、夫婦の方とか参考になって中が少しでも良好に解消されたらと思って気合入れて書いていきます。

 

ビバ人類☆彡