サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。


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スタバとニコ動の以外な共通点

今日ふと、思いつきで外で作業しようと思って図書館に向かったのですが、たまたまなのか運命の示し合わせなのか、まさかの休館日にあたってしまい、仕方なしにスタバで作業することにしたのですが、ふと、そこで思いついた事があったので、それを書きます。

 

まあ、タイトルにも書いた通り、結論から言いますと、スタバとニコ動ってなんか似てね?って事なんです。

 

え?スタバあんなにシャレオツでリア充のたまり場なのに?

 

ニコ動ってめっちゃリア充とは真反対にある場所なのに?

 

って思うと思うんですが、いやいや、似てるところがあるんですよこれが。

 

さて、皆さん、ここで質問です。

 

ニコ動がニコ動たらしめる要因、YouTubeとは全く違うところってなんでしょう?

パッと思いつきます?

 

そう、コメントです。

 

あの画面に流れるコメント達が、ニコ動の文化と言ってもいいくらい、言わば他の動画サービスと一線を画した所だと思うんですよ。

 

なぜ、コメントが?YouTubeにもコメント欄あるじゃんって思いますよね?

単に画面上にあるのと、画面外にあるだけの違いでどっちもコメントあるから別にそんなに違わなくね?って。

 

でも、画面外のYouTubeのコメントと、画面上のニコ動のコメントでは、同じコメントでも、交流するという意味では一緒ですが、根本的なところで意味がかなり違ってくるのです。

 

その違いは、リアルタイム性です。

 

YouTubeのコメントは、動画を見た後か、もしくは見る前にちょろっとその瞬間読み込まれたコメントを上から見ていくみたいなのが一般的に多いと思います。まあ、それかYouTubeではコメントはあまり見ないという人もいるかも知れません。

 

ところが、ニコ動では画面上に動画の最中にリアルタイムで表示されるので、コメントが否が応でも目に入ってきますよね。コメントを消す機能もありますが、ニコ動見ててコメント切る人って多分かなり少ないと思います。だって、それだったらニコ動じゃなくて他の動画サイトから見た方が動画の質も通信速度も多分早いですから。

 

つまり、ニコ動の優位性というのは、このリアルタイムに流れてくるコメントにあるわけです。

 

そして、このリアルタイムに流れてくるコメントは時として、その動画自体をより面白くする要素の一つでもある訳です。

 

例えば、その動画のある場面を見て、ある人がツッコミを入れたとします。

 

するとそのツッコミが面白かった場合、動画自体を見て評価していた人たちは、今度は動画+ツッコミコメントをセットで見て評価するようになります。

 

そして、そこにまた新しい感想だったり別の視点のツッコミだったりと動画の再生回数が増えれば増えるほどに、その動画に関するコメントが増えていきます。

 

こうすると不思議なもので、コメントが全くない動画とコメントがバアーって沢山ある動画だと、同じ内容だとしても、まずコメントがある方が面白そうに見えます。

 

これは群集心理として、同じお店でも、行列ができている日に並んで食べた人と、行列がない時に食べった人では並んで食べた人の方が、より美味しく感じるというのと似ています。

 

人は無意識に他人の評価というのを取り入れて判断しています。

 

なので、他の人が見ているもの、他の人が沢山コメントを書き込んでいる動画というのは、無意識的にもなんだか面白いもののように思えてしまうのです。

 

弾幕とかで盛り上がっている動画を見ているとなんだか自分もその弾幕と一緒に盛り上がりたくなるみたいなのってありませんか?その感覚です。(無かったらスマソん)

 

このようにニコ動にはコメントというのが無くてはならないものであり、そのリアルタイムで流れてくるコメントはその動画自体の価値すら影響しうるものだというのを、ちょっとばかし、頭の隅に置いといて下さい。

 

次にスタバについて、説明します。

 

えー、まだ何言ってるのか分からないって方も、もう暫しお付き合い下さい。

 

スタバってまあ、おしゃれなイメージありますよね。

 

お店の中もそこにいる店員さんも、それからそこに座っているお客さんもみんなシャレオツなリア充の塊みたいな人たちの場所ってイメージ無いですか?

 

正直、僕にはそういう偏見で溢れています。

 

でも、実は別にそこにいる人もリア充で無い人もいるわけです。今ここで作業している僕がまさにその例です。

 

でも、なんとなく、そこにいるだけで多分、他の人からみたら、僕もシャレオツなリア充に見えているんだと思います。(ガチオタにしか見えてないかもですが。。。。)

 

んで、なんで、そんな風にスタバってお客さんがシャレオツに見えたり、お店自体がすごいシャレオツな空間に見えるのかって言うと、多分なのですが、スタバの空間を作っているのって、スタバのお店自体もそうなんですが、そこに来るお客さんも一緒にスタバというブランディングを作り上げている要因になっていると思うんですよ。

 

まずは、お店側がシャレオツな空間を作る、今までのコーヒー屋とは違うんだとコンセプトを打ち上げます。

 

次に、そのコンセプトに共感した人達を店員さんとして引き入れます。

 

そして、そのスタバのシャレオツコンセプトに共感したお客さん達がそこに居心地の良さを求めてやってきます。

 

多分ですけど、僕はどちらかというとスタバはあまり落ち着いたり、リラックスする場所ではなくて、どちらかというと、誰もいない場所とか、青空とか、芝生とか、そういう方が割とリラックスしてしまうんですね。(まあ、なのでシャレオツなリア充ではないのですがね。)

 

でも、きっとシャレオツなリア充な人ってきっと、スタバに来るとリラックス出来るんだと思うんです。

 

それか、スタバに来ている自分に酔って、優越感に浸っていられるのだと思います。

 

そして、それを可能にしているのが自身のリア充度とか、お洒落度なのかなと勝手に思っているのですが、何を言いたいのかというと、要はスタバの空間をシャレオツなリア充空間に作り上げているのは、他でもない、そこに来るお客さん自身なのだということ。

 

さて、話をニコ動に戻します。

 

ニコ動は、コメントによってその動画の評価に影響を及ぼしていると書きましたが、これって、スタバがそこに来るお客さんによってシャレオツ空間を作る上げているのと似てませんか?

 

つまり、スタバもニコ動も、どちらもそこに来るお客さん(視聴者さん)が、そのお店(動画)の評価、雰囲気を作り上げる一員を担っているという事です。

 

ふと、自分の違和感とお店の雰囲気を見ながら振り返った時の他の客さんを見て、そんな事を思いつきました。

 

反論異論、共感同調、色々とご意見ありましたら、コメント欄に書き込んで下さい!