サブカルアキバパパ

アキバ、サブカル、子育てについて語っていきます。


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田中圭一さんのうつヌケを読みました。

世間は七夕の夜ということで、ロマンチックな恋人たちはきっと夜真っ盛りで盛り上がっているところ、全く無縁な私は、先日田中圭一さんのうつヌケを読んで、なんだか自分も実はうつ症状があったんじゃないかと気が付かされた、そんな話をよかったら聞いて下さい。

 

(七夕の夜にする話では無いですよね、まあ、もうすぐ七夕ナイト終わるんで勘弁して下さい。)

 

元々、この本が出ていたのは知っていましたし、前にも書店で見かけたりしていたんですが、ふとなぜかね、最近になってね、ちょっと寄った書店で、立ち読みしてみたら面白かったのと、閉店間際だったから、ええい、もう、買っちゃえって思って買ってしまったのですね。

 

そしたら、なんか、読んでいる内に、これって、なんだか自分にも当てはまるんじゃないかってふと思ったんですよ。

 

更に、読み進めている内に、自分の周りにいた人とか、知り合いの知り合いとかにもなんだか該当しそうな気がして、もしかして、このせいで、自分含めてみんな苦しんでいたのだろうかなんて思ったりしたんですね。

 

まず、うつヌケの簡単な説明ですが、うつを実際に患った田中圭一さんが自分自身がどんな症状で、どのようにうつと向き合い、治していったのかというのが最初にあり、次に同じ様にうつから治った人や、まだ治りかけの人、うつを治す方の人からとにかくうつに何らかの形で関わってきた人にインタビューをして、そのお話をエピソードと対話形式で漫画にされています。

 

田中圭一さんというと、手塚治虫のパロディの絵とか結構有名ですよね。

 

さてさて、内容とかレビューは他の人に任せるとして、僕は自分が個人的に感じたことをつらつらと書いていきたいと思います。

 

まず、最初に思ったのは、「この仕事は自分には向いていない」という気持ちに無理やりふたをして、ずっと頑張り続ける状態の表現がすごくなんかぴーんと直感的にわかりやすくてハマりました。

 

最初の方のページで出てくるんですが、ちょいちょい同じ様な状況の人が出てくると同じ描写が出てきて、ああ、これがうつになるかもって兆候の最初のサインなのかなって思ったんです。

 

事実、以前、会社勤めしていた時に、本当になんで自分はこんな事をやっているのだろう?という本当に無駄な事をし続けているという想いに蓋をして、ずっとサラリーマン生活を過ごしていました。

 

本当に無駄なんです。やっている全てのことが、そして、その無駄から無駄を産むべくして、新しい無駄という仕事が繰り返されていくみたいな感じで、その反面、何もしなくてもエレベーター式に給料が上がり、定年まで順風満帆な方々がお客様として同じフロアにいたりして、自身の給料の霞具合とお客様との境遇の違いさ、そして、仕事に対するモチベーションの無さから、本当に毎日うわーってなってたんですね。

 

更に、共働きというと聞こえは良いのですが、簡単に言うと、当時は奥さんの方が沢山お給料を受け取っていて、しかも、その額が僕の何倍もな訳です。

 

ぶっちゃけ、僕が働いて稼ぐ額って、奥さんの支払っている税金の額と同じくらいって感じだったんです。

 

え?なに?俺、税金分取り返すために、毎日週5日、朝から夜まで働いてるの?

 

奥さんは週1定期と不定期に適当に仕事をこなせば良い状況。

 

本当に、なんなんだろう?ってずっと疑問を持ちながらいました。

 

まあ、自分がその状況に甘んじてしまっていただけなんですけどね。

 

しかし、その当時は、すごく自分自身が多分危なかったんじゃないかと今振り返っても思います。

 

また、その後の闘病生活でも、会社を一旦休職して家事をやりながら通院していたのですが、このいままで全くやってなかった家事がまたツラタンで。

 

でも、ここでは闘病で勝つんだ!って必死に思っていましたから、それだけが目的で必死にやってましたので、とにかく心の辛さはあれど、そんな壊れる余裕も無かったと思います。

 

でも、今にして思えば、きっとあの時の僕は他人や周りに対してえらく配慮に欠けた人間だっただろうなぁと思うのです。

 

勿論、闘病しながら、新しい生活スタイルに移ってというのもありますが、きっと僕自身もっと謙虚な気持ちを持ち続けていられれば、もちょっと色々とその後が変わってたりもしたのかなともふと思う時があります。

 

そして、まあ、家内を亡くした時からしばらくは、完全にうつ状態に近かったのだったと思います。

 

今までの蓄積もありましたでしょうし、人生で最もショッキングな出来事を経験してしまった訳ですから、当然と言えば当然かもですね。

 

更に、身体の無理が来たのか、熱が1ヶ月ほど続き、全然下がりませんでした。

 

その時ばかりは流石に実家に頼り、子供たちも全部任せっぱなしにして、ただひたすらに寝ていました。

 

今思うと、よくもまあ、実家に1ヶ月もずっと寝ていられたなと思いますが、当時は何の疑問もなく、そこでずっと寝ていました。

 

それだけ心身共にやられてしまっていたのだと思います。

 

そこから身体は大分回復し、その前からも友達が何人も心配して訪ねてきてくれて話をしてくれたりしたので、心的には割とそんなに最悪な感じにはならなかったように思います。

 

ただ、とにかく、その当時は家族も含めて全てが信じられなくて、(っと言いつつ、割と友達の事は信用していましたね)疑い、贖い、色んな感情と混ぜっこでまあ、何か色々と自分の中で格闘していました。

 

そんな中、少し落ち着きを取り戻せたのは、ふとピアノを弾いた時でした。

 

悲しい音を弾くのですが、その悲しい音が響くと、なぜか自分の中で少しずつスッとしてきて、それに気が付いて、今度はギターを手にしてみたのですが、どうも最初はギターではそうはならなかったです。

 

でも、徐々にピアノに触って(主にマイナーと9th系のコードを弾いてました)いる内に、今度はギターを触ってみようという気になり、そしたら今度は弾き語ってみようと思って小さな声で歌ってみると、歌はやっぱりちょっとダメ。

 

でも、少しづつドラマを見てみたりとか、アニメ作品を見てみたりとか、自分の中で自分の好きなものを自分の身の回りに置いてみるということをしていく内に、徐々に少しづつではありますが、心が晴れていくのを感じられました。

 

自分がうつだったのか?それは病院で診察されたり診断された訳ではないので分かりませんが、でも、このうつヌケを読んでいて、ここで出てきた人達の話を聞いていると、なんとなく分かるなって思う部分とかすごく共感する部分が多くありました。

 

なんか、ちょっと長くなりそうなので、短く適当に切らずに、明日また書かせてもらっていいですか?

 

ちょっと書いてみたら、もっと本気でちゃんと書いてみようと思ったんです。

 

きっとこれは自分の心の状態の記録を時間軸に沿って、書いていくことで、何かが見つかるのかもって今この瞬間に気が付いたからかも知れません。

 

ではでは、また明日、続きを書こうと思います。