子供って、ホント、色んな事を知らぬ間に学習してて、よくもまあ、こんな言葉を覚えたなぁとか、こんな事いつの間に覚えたのってなることってあると思います。
大人でも覚えるのが大変そうでも、結構子供だと、すんなり覚えてしまって、その後も使いこなせていたりとか、子供の頃の吸収力って、パンパースのおむつ並に凄いなぁって思ったんですよね。
なんでだろうって思った時に思い付いたのは、子供って、戦隊モノとか、アニメのキャラクターや設定って、すんごく良く覚えるじゃないですか。
それときっと同列なんだろうなって思ったんですね。
つまり、大人はちょっとむずかしいかなって敬遠するような事柄でも、子供にとって、興味があったら、そんな大人の難しそうだなフィルターは無いので、ホント、マミーポコみたいにドンドン九州、じゃなくて、どんどん吸収してくれるんだと思うんですね。
んで、子供の興味がどこに行くかって、子供が接する環境なんですよね。
一番は親が何に興味があるか、親が日常的にしていることや、日常的に活動していることをまず真似するんだと思うんです。
車好きの親なら、子供も車に興味を持ちますし、楽器好きな親なら、子供も楽器に興味を持つでしょう。
大切なのは、子供には見境が無いということです。
大人がこれは子供に教えるには難しいかなとか、覚えるにはちょっとという大人の常識は、彼らには通じないということを親である僕達は覚えておく必要があると思います。
子供って、物理的な制限は大いに有りますが、情報的な制限って多分無いんですよね。
肉体的には小さいので、力とか足の速さとかは大人に絶対的に敵いませんが、こと情報の入力に関しては、多分大人も子供も変わりないんじゃないかと思うんです。
大人の方が記憶力が良さそうに見えるのは、それまで覚えて来た知識と関連させて新しい知識を覚えることが出来るのと、記憶のメカニズム的にショートカットして覚える道筋がいくつか出来上がっているからかなと。
逆に、ショートカットも出来ているのですが、通行止めも沢山出来ているんだと思うんですね。
それがフィルターとなって、難しいとか、出来ないみたいな壁を作って、覚えにくくさせている元なんじゃないかと、そんでもって、子供はショートカットは無いですが、同時に通行止めも無いので、そういう意味であるところでは大人よりも覚えられやすい部分もあるのかなと思います。
でも、子供が大人が知っているような、ちょっとむずかしい言葉とか、概念とか言うと、ちょっと可愛らしですよね。
そうそう、子供は記憶するのに、知識だけでなく、概念的な事、抽象的な事も結構覚えてくれます。
大人の場合、下地があるので概要を説明すればある程度伝わってしまいますが、子供には抽象的な事を理解する下地がありません。
なので、子供に抽象的な内容を説明する時は、具体例を色々なパターンで出してあげて、1回説明した抽象的概念を、また別の時に出てきたら、これはあの時はなしたこれだよってそれとなく教えて、何回か繰り返すと、今度は子供の方から、これってこういう事?って自ら応用して返してくれたりします。
抽象概念を説明するコツは、具体例の抽象階層を揃えて説明するコトですね。
正方形と球とか、鉄と有機体など、階層が違う言葉を並べて説明すると多分子供もごっちゃになります。
(幾何学>図形>多角形>四角形>正方形、幾何学>図形>球、化学>無機>元素>鉄、化学>有機>有機体みたいな???)
また、若い方が頭が柔らかいと言われますが、これも、大人になればなるほど、ショートカット以上に通行止めを作りまくっていくので、若い方が、通行止めが少ない分、覚えやすいって事なんじゃ無いかなって思います。
それと、記憶のキーワードは本人の興味だと言われてますよね。
前にもうんこ漢字ドリルを褒め称えましたが、ああいう風に、子供が興味を積極的に持てる教材のある分野とか、子供が積極的に興味を持てる環境を親や大人が作ってあげる事が、子供を伸ばす一番の方法なのかもですね。
そうそう、脳の中の通行止めフィルターは、子供でも出来ていきます。
これは、大人が安易に発した言葉や無意識に言っている言葉を子供は聞いていますので、その影響を受けて、大人と同じように思考してしまうのです。
これが、親や大人による子供の能力の抑圧でもあります。
本来はもっと能力があるのに、親や周りの大人が、ネガティブな発言をしていたり、子供に対してお前はこうだからみたいな事を言っていると、それが子供の脳に認知されて、ラベリングされてしまいます。
ですから、子供の前で不用意な発言、たとえ本心であっても、子供の成長を妨げるような言動をしては行けないのだと思いました。
逆に、ポジティブな言葉であれば、例え思っていなくても、ドンドン発言してあげるべきなのかなぁと。
良いことばかり言うと天狗になると言われますが、天狗になってもらえれば良いんだと僕は思います。
天狗になることを恐れる人、批判する人は、きっと天狗になったことが無い人だと思います。
自分が天狗にさせてもらえなかったから、天狗にさせて貰える人が羨ましくて、天狗にさせてもらっている対象を批判、或いは自分を天狗にしてくれない対象を批判する的なメカニズムが働いているんじゃ無いかなぁとか思います。
それと、褒めるでダメになるみたいな意見がありますが、何となく見ていると、「叱らないこと=褒める」みたいな感じで、叱らない親はダメだよねって事を言っているのに、褒める教育は良くないって結びつけているような気もします。
元来、褒めることは自己肯定に必要なので、基本的に褒めておいて、悪いことをしたら叱るというシステムで問題ないと思うんですよね。
褒められて育つと、褒められて当たり前になって、もっと褒めてくれってなるみたいな意見を聞きましたが、その時に、褒めるハードルを親が下げなければずっと子供は上がり続けますよね?だから何が悪いのかなって思いました。
もっと褒めて、もっと褒めて、で鰻登りにシャボン玉みたく高く飛んでいってくれればいいなって思います。
多分、今の親を批判したい人は、叱らない親、子供と取引をする親を批判したいんだと思うんです。
それが、最近の親は褒めるってのとくっついてるんだろうなぁと。
まあ、色々ですね☆